まいにちWACわく!その80

驚いたのは2人の陸曹も一緒だ「おいおい、田浦…」「だ、大丈夫なんですかぁ?」
ヒソヒソ話ながら驚きと不安は隠せない

「ここから先はリタイアなんかできないんですよ。台風が来てる山の中に放置なんて事になったら…」
「あの子なら大丈夫ですよ、ねぇ岡野2曹?」
「う〜ん…」岡野2曹は腕組みをして考える「そうだなぁ…他に手はないしな」それを聞き神妙な顔になる岩田2曹
「彼女をよく知るお二人が言うなら従いますが…」「じゃあ決まりですね」そう言って無線機のマイクを手にする田浦3曹

「CP、こちらタンゴ、送れ」すぐに返信が来る『こちらCP、送れ』
「山崎が負傷、赤城と交代させる、送れ」そこまで一気に言うと無線機のプレストークボタンを放す。マイク越しにもCPにいる面々の息をのむ気配がして、それから20秒ほど沈黙が続いた
「…どうしたのかな?」田浦3曹が言ったその時、背のうの中に入れてある携帯がけたたましく鳴り始めた
慌てて防水用のビニール袋を取り電話に出る。発信者名は「佐藤准尉」とある

「はい、田浦です…」『田浦〜何事だ?山崎がどうしたって?赤城を使うって…』「ちょ、ちょっとストップ!今から説明しますから…」電話口で一気にまくし立てる先任を遮って、田浦3曹は経緯を説明する

「…というわけです」『そうか…しかし赤城で大丈夫なのか?』
「…みんな同じ事を言うんですね。大丈夫です、自分が保証しますよ」『…う〜ん…』
何か言いたそうな先任、その時電話口で『替わってくれ』という声が聞こえた
『田浦3曹か?オレは…』電話口に出た声は「…副連隊長!」思わず背筋が伸びる
『赤城士長を連れて行くのか、貴様の判断か?』「は、はい…」『そうか…』そう言って2〜3秒の間だけ無言の状態が続く
「あの…」沈黙に耐えきれず話しかける田浦3曹、その時『信頼してるのか?』と副連隊長が言った



『彼女なら大丈夫、と信じられるのか?田浦3曹』よく通信小隊員から「電波に乗りにくい」と文句を言われるほどの低い声だ
迷いもなく田浦3曹は言った「もちろんです」

『…そうか』納得したように言う副連隊長『よし、すぐに出発するんだ。時間がないぞ!』電話口から(えぇっ!)(いいんですか?)(大丈夫かよ…)などと言う声が聞こえる
『責任はすべてオレが取る!行ってこい』力強い声「わかりました!」田浦3曹も応える

再び先任が電話口に出る『ま、そこまで言うんだから大丈夫だろ…行ってこい』「りょ〜かいです、それとここから先は恐らく圏外になります」山の頂上や展望台といった場所は見晴らしがよく電波も届きやすい
『そうか、無線もあるから大丈夫だろ』「そうですね…それでは」電話を切った

「さて、準備は…と」「できてます!」元気な声が背後から聞こえる「うわっ!」いつの間にかすぐ後ろに赤城士長が立っていた
「…いつからいた?」「ついさっきです」「聞いてた?」「…少し」そう言って嬉しそうに笑う
「頑張ります!」「頑張るよりも任務の完遂を考えてくれ」照れ隠しのようにちょっと素っ気なく言う田浦3曹だった

宮本1尉も医療道具をしまい込み、岩田2曹も準備を整えている
「じゃあ行きますか」と岩田2曹「そうですね…じゃ、岡野2曹。中継よろしくです」アンテナを建てている岡野2曹に声をかける「お〜ぅ、気ぃつけてな」まるで外出者を見送るように手を振った



天気のいい日なら絶好のハイキングコースであろう道を4人は進む
山の木々で防がれてるとはいえ、激しい雨も強い風も止む気配は無い

一番歩みが遅いのはやはり宮本1尉だ。赤城士長も雨に打たれているせいか動きに疲労の色が出てきている
「…」先頭を歩く岩田2曹が最後尾を歩く田浦3曹に向かって振り向いた「…?」「一回休憩を入れますか」そう言って腕時計を指で指す。時間は1800…18時を少し回ったところだ

その場にへたり込む宮本1尉、赤城士長もヒザに手をついて肩で息をしている「水と甘いものを口に入れておけよ」声をかける田浦3曹も少し疲れが見える
「現在地はおそらくここ…あと3kmくらいですね」地図を広げて岩田2曹が言う「あと一息、一気に行きたいところですね」田浦3曹も同意する
普通の道なら走って12〜3分もあれば着く距離だが、山道の上に荷物を背負いこの悪条件の中歩く…そう考えると3〜40分はかかりそうだ
「日没も近いですしね」空もどんどん暗くなってきた「…」2人は宮本1尉と赤城士長を見る
木の根っこに座ってうつむいている宮本1尉、赤城士長も座り込んで水筒の水を飲んでいる「あんまりがぶ飲みするなよ」と田浦3曹が忠告する
「さて、そろそろ出発しますよ」岩田2曹が声をかける。ヨタヨタと立ち上がる2人「ヒザとか屈伸しといた方がいいですよ」とアドバイスする



ふたたび歩き始めた4人、平坦な道が続き真ん中の2人もさっきよりは軽快に歩いている
「しばらくこんな道ですよ」後ろから声をかけると(わかった)と言う風に宮本1尉が手を挙げた

暗くなってきたので足元を見て歩く田浦3曹、急に視界の端に宮本1尉の半長靴が見えた「うぉっと」急ブレーキをかける
頭を上げて前を見るとそこには呆然と立ちつくす岩田2曹「どうしました…!」
前をのぞき込んだ田浦3曹が見たものは、土砂や倒木がなだれ込んだ登山道のなれの果てだった…

「これは…!」「上の方の斜面から滑り落ちてきたみたいですね。土砂崩れというより…」そう言って言葉を切る岩田2曹
「地滑り、ですか?」聞く田浦3曹、無言で頷き斜面の上に懐中電灯を向ける

単3電池使用の小さな懐中電灯ではあまり上までは照らせない。だが数10m上くらいから斜面がえぐれているのがわかる
「…どうする?」ハァハァと息を切らせながら宮本1尉が聞いてくる「この土砂の上を渡っていくかい?」「それは…」倒木が乱立し地盤もゆるんでいる、ここを通るとなるとかなりの労力と時間を要するだろう
しばらく辺りを見回していた田浦3曹「この上は?迂回できないですかね?」斜面の上を指さす「しかしどこからこの地滑りが始まってるか…」渋い顔をする岩田2曹
「そ、それにさ〜いつまた地滑りするかわかんないよ!危険だよ〜」慌てたように宮本1尉が言う「ここは残念だけど一旦帰ってから…」
そこまで言ったとき、赤城士長がポツリと呟いた「…事に臨んでは、危険を顧みず…」



振り向く3人、慌てたように手を振る赤城士長「あ、いや、宣誓の中にあったな〜って…」
自衛隊法第52条(服務の本旨)そして自衛隊法施行規則第39条(一般の服務の宣誓)にある「宣誓」の一部分だ

全隊員が入隊時にたたき込まれる宣誓文だ。当然他の3人も知っている「…事に臨んでは、危険を顧みず…」また赤城士長が呟いた
「…身をもって、責務の完遂に努め…」岩田2曹も後を継いで呟く
「…もって国民の負託に、応えることを…」最後は田浦3曹だ「…誓います。か」そう言って宮本1尉の方を向く
「…」深く考え込んだような顔をする宮本1尉「どうします?」田浦3曹が聞く
「自分は行きます、ここまで来て帰るのはイヤですし…」と岩田2曹
「帰る方が手間かもしれませんよ。『虎穴に入らずんば虎児を得ず』とも言いますしね」と田浦3曹
「…」赤城士長はじっと宮本1尉の顔を見る

ふぅ、とため息を一つ「…そうだな、わかった、行こう!行きましょう!」あきらめたように宮本1尉は言った。雨に濡れた眼鏡を指先で上げて、斜面の上をじっと見た

その時、激しい雨と風がスッと消えた「?」顔を見合わせる4人
「これは…」「何?何だ?」「急に静かに…」その時、赤城士長が叫んだ「空を!空が…」みんな一斉に空を見上げる
さっきまで空を覆ってた分厚い雲が消え、深紅に染まった空と月が辺りを照らした

「台風の目…?」「みたいですね、これは…」全員、顔を見合わせる「行きましょう、こんな幸運を逃す手はない!」岩田2曹が叫び、全員がうなずいた



BACK HOME NEXT