一瞬静まりかえる会議室「なるほど〜」と感心したのは警察・消防の両職員だけだった
「そんな無茶な!」「この台風の中ですよ!?」慌てるのは市の職員達だ
「だいたい歩くっていっても、10km近くあるんですよ!」「それを言うなら『10kmしかない』ですな」平然と返す副連隊長「陸上自衛隊に入った者なら、誰でも10km程度は歩いてます。入隊1ヶ月目にね」一般2士の教育では10km行軍が入隊して1ヶ月目に行われるのだ
「しかし…」助役の不安そうな顔「今は迷う時ですか?時間がありません」そして近くにいた前田1尉を呼ぶ
「前田!編成を取ってくれ。すぐ動ける隊員で若手を中心に…」
「それなんですが、堤防補強隊や避難誘導隊の連中は呼び戻すだけで1時間近くかかります」
「つまり…」
「日没も近いです。時間的なことを考えると、ここにいる連中だけしか使えない、って事ですね」
周りを見渡すと、連隊本部の中年隊員だけが目にとまる(若い隊員も連隊本部にはいるが、ほぼ全員が演習に行ってるのだ)
「それに医者も必要ですが…あと医療道具もありますね」「それについては考えがある。…仕方ない、ここの連中で編成を取ってくれ」「わかりました」
「えぇっ…!しかし僕は…」市役所内の給湯室で不安そうな顔を隠せないのは救護所にいた宮本1尉だ
医務室に週一回の勤務に来ていた自衛隊中央病院所属の医官である
災害派遣の支援を要請されここまで来たが、まさか「この台風の中、山道を10km歩いて孤立した集落に向かう」なんて仕事は想像もしてなかった
「そこを頼む、人命が危険にさらされているのだ!」真剣な顔を近づけるのは副連隊長だ「基礎の訓練は受けてるだろう?」
「いや、しかしもう5年近く野外訓練なんて…」青白い顔がいっそう青くなる
「…君は中央病院の所属だ。連隊の隊員ではない君に俺が『命令』するわけにはいかん。だからこれはお願いだと思って欲しい」そう言って両肩を鷲掴みにする
「頼む!どうしてもというなら俺が一緒に行ってやる!責任は全て俺が取る!だから…」肩を掴む手に力が入る、真剣な眼差しに宮本1尉は折れた
「…わかりました、そこまでおっしゃるなら…」「そうか!よし、最高のメンバーを付けてやる!安心してくれ」
会議室ではK集落に向かう要員が選ばれていた
「…衛生小隊の岩田2曹、来たね」「はっ、…しかし何をするので?」「それはだね…」前田1尉から任務の説明を受けているのは衛生小隊所属の救急救命士・岩田2曹だ
北海道の普通科連隊でレンジャー訓練を受け、その後「准看護士」試験に合格、優秀な成績で「救急救命士」の教育を受けてこの連隊にやってきた岩田2曹は若干28歳、見た目は細いが胸にはレンジャー徽章がしっかりと縫いつけられている
「田浦3曹、君は体力は?」前田1尉から突然声をかけられる「え、まぁ人並みには…」そこに先任が入ってくる
「田浦はレンジャー訓練で6想定まで行ったんですよ。バリバリですよ」と言って笑う
「え、そうだったんですか〜?」後ろから驚いた声を上げるのは赤城士長だ「何で言わなかったんですか?」「結局は原隊復帰になったんだから、自慢げに言う事じゃないよ…自分も行くので?」と前田1尉に聞く
「ああ、君が一番若そうだ、それと…そこのえ〜と」指さした先には無線機に張り付いてる山崎士長がいた「え、自分ですか〜?」ちょっと肥え気味の山崎士長だが、他に若い隊員がいないらしいのだ
「それと中継が必要ですな」と声をかけてきたのは2科先任・角田曹長だ「中継?」「無線の中継ですよ。ほら…」地図を指さす「山一つ越えてるでしょう?携帯のアンテナも壊れてるそうですからな」
「じゃ、自分が上がります」岡野2曹が手を挙げた
「一人では…誰か若い隊員を付けますか」辺りを見回す前田1尉「いないなぁ…若いのが」「いるじゃないですか」岡野2曹が指さした先には…
「赤城士長!ちょっと来てくれ」手招きする岡野2曹「一緒に山登りしないか?」「?」
それを聞いて慌てる前田1尉「えぇ?おいおい…大丈夫かい?」赤城士長を不安げな顔で見下ろす「赤城なら大丈夫ですよ。なぁ?」と声をかけてきたのは先任だ
「?」状況が飲み込めていない赤城士長「つまりさ…」任務内容を説明する「…一晩は見ておいた方がいい、いけるか?」「…ハイ、頑張ります!」背筋を伸ばし拳を握りしめる
「よし、じゃあすぐに準備してくれ」そう言って岡野2曹も無線機の準備に入った「は、ハイ!」回れ右をして背のうを取りに行った
「ホントに大丈夫なんですか?佐藤准尉…」不安そうな顔を隠せない前田1尉だ「山の中ですから、何かあっても救援とかできないんですよ」
「大丈夫ですよ、けっこう体力ありますから彼女は」あんまり難しく考えてない、という風に先任は言った
高機動車に乗って10数分、一同はハイキングコース入り口に到着した「ここか…」山を見上げる田浦3曹
時間はちょうど1600…16時を指している「日没は何時か知ってますか?」岩田2曹が聞いてくる
「確か19時過ぎだったと思いますよ」「ちょうど3時間ですか…」階級は岩田2曹の方が上だが、年齢はそれほど変わらないためお互い敬語になっている
下車した隊員達が歩く準備を始める「あ〜山崎士長、医薬品とか入ってるから荷物は大事に…」そういう宮本1尉の荷物は小さなリュックサックのみだ
K集落に向かうのは宮本1尉、岩田2曹、田浦3曹、そして山崎士長である。田浦3曹が無線機と医療道具を少し持ち、あとの2人が医薬品などを背のうに入れて持っていく
無線の中継に当たるのは岡野2曹と赤城士長、こちらは無線機と食料に一晩過ごすための簡易テントなど…山を上がってすぐの展望台に中継所を設置する
「展望台は屋根もあるしっかりした建物らしいから安心しなよ」と赤城士長に話しかけ笑う岡野2曹であった
「よし、じゃあ頑張ってきてくれ!ケガするなよ〜」とややお気楽な先任の言葉に押されて、4人+2人は登山道を登り始めた
登山道はさすがに小学生も登るだけあってよく整備されている。ところどころに階段もあり、この天気でも足場はあまり悪くない
雨や風も山の木に遮られており、歩くのにそれほど支障はない。だんだんと雨衣の中が汗で蒸れてくるのが不快だが…
「登りやすいですね」と前を歩く岩田2曹に声をかける田浦3曹「いやいや、これからが不安ですよ」この先、山の中に踏み込んでいけばどうなるか…それが心配のようだ
「急ぎますか」「そうですね…でもなぁ」そう言って後ろを見る田浦3曹、すぐ後ろにいるはずの宮本1尉がさっそく遅れている
「ハァ…ハァ…」息を荒げながらも何とか着いてきている。その後ろには山崎士長、これまた荒い息を吐いている。その後ろは岡野2曹、まだまだ元気だ
最後尾を歩くのは赤城士長、しっかりした足取りで雨にも負けず前を見据えている
「これ以上ペースを上げるのは…」「しかし時間も心配ですね」顔を見合わせる二人
そんなこんなで展望台が見えてきた「あれか…」田浦3曹が指さす先には、思ってたより頑丈そうな木造の建物があった
「これなら一晩くらいは楽勝ですね」岩田2曹が言ったその時…
「痛てっ!」ドサッという音とともに悲鳴を上げたのは山崎士長だ
「どうした!?」慌てて駆け寄る二人、山崎士長は片膝を付いてうずくまっている「足首を…」「足首?」振り向くとハァハァと息を切らせながら宮本1尉が立っていた
「どれ、あの展望台で診よう」引っ張られながらも全員が展望台に入った
「…ふむ、じゃあこれは?」「痛ててっ!」さすがに宮本1尉は医官だけあって、手際よく足の具合を診てテーピングやシップを巻いていく
「こりゃ捻挫だねぇ…歩けないことはないけど、この山道をこれ以上歩くのはオススメできないな」宮本1尉は少し離れたところで岡野2曹と岩田2曹、田浦3曹に耳打ちする
「どうする?田浦」「山崎士長の荷物、我々で分けますか?」3人は額を寄せて話し合う「早くしないと日没が…」分厚い雲が太陽を遮り、辺りも暗くなり始めている
「3人でいけるか?田浦」岡野2曹が聞く「いや…」田浦3曹は少し考える顔をする、そして後ろを振り向き山崎士長に何やら話しかけてる赤城士長に声をかける
「赤城、山崎から荷物を引き継いでくれ」
「えっ…?」「山崎の代わりに俺たちと一緒に来てくれ、って事さ」「私ですか〜!?」驚いた声を出す赤城士長
「できないか?」「…いえ、わかりました!」驚いたのも一瞬、すぐに気を取り直して山崎士長の持っていた荷物を受け取る