まいにちWACわく!その71

20畳くらいはある座敷部屋には、机と季節はずれのナベが置いてある。大皿に盛られた具は肉に野菜に魚と定番モノばかり
ここは駐屯地正門に近い居酒屋兼料理屋「一方亭」2Fの宴会場、料理はまずいが安い宴会代で隊員たち(幹事限定?)には好評だ。土曜日の夕方18時45分、宴会を前に座敷には多くの隊員が…いなかった
「みんな遅いですねぇ」1小隊の大島士長が体育座りをしながら言った「宴会は19時からだからな、時間ぎりぎりに来るんじゃないか?」と言うのは、壁にもたれて立っている1小隊の安田3曹だ

今日は小隊のほぼ誰もが望まない宴会だ。最低の小隊陸曹だった木島曹長が、8月の人事異動に会わせて連隊本部広報班に異動(正式な異動は来年3月、それまでは臨時勤務扱い)するために開かれる宴会だ
「だいたいヤツが断りゃ〜いいんだ、なんでみんな嫌がる宴会をするんだろうな?」と愚痴るのは安田3曹「仕方ないですよ、上級陸曹のみなさんには立場があるんでしょうし」と大島士長
「立場ねぇ…」「まぁまぁ、90分だけ我慢しましょうよ〜」屈託無く笑う大島士長は二十歳を超えてるとは見えない笑顔を見せる。童顔なので下手をすれば中学生でも通用するだろう
「あれ?オレが一番乗りか〜みんな何しとんかね?」宴会場に顔を出したのは木村1曹だ「そうです、みんな何してるんですかね〜?会費は大島に…」「3000円です。飲み放題ですよ」
時計は19時50分を指している。木村1曹を皮切りに数名の陸曹がやってきた「同じバスに乗ってきたんよ」とは木村1曹の弁。とたんににぎやかになる宴会場。とそこに主賓がやってきた



「お〜みなさんそろってますね!」とご機嫌な声を出してやってきたのは木島曹長だ「曹長は奥の上座にどうぞ…」と言いかけた安田3曹に対して「おい、なんで若い連中が来てねえんだ、あ〜?」と絡み始めた
「いや、時間までまだありますから…」「ちょっと早めに来て宴会準備を手伝うのが礼儀ってもんだろうが、指導してんのか〜てめぇは?」ネチネチと言い始めたその時、木村1曹が声をかける
「おぅ曹長、席に着かんね?」上座の近くに陣取った木村1曹たちが手招きする「…」不満そうな顔も一瞬「はいよ〜」振り向いた瞬間笑顔になり、上座の席に向かう
(やれやれ…)いつもの事ながら細かい事をジメジメと言う、内心少し腹を立てつつ顔は平静を装う安田3曹。その時、階下で「いらっしゃいませ〜」という声が響き、若手連中の声が聞こえてきた

「会費は3000円、大島に渡してくれ」階段を上がってきた若手陸曹、陸士達に声をかける安田3曹「はいよ」「釣りある?」「万札しか無いんだが…」次々とお金が渡される
「おい!おめぇら…」上座からイヤな声が聞こえてきた。振り向いた何人かは露骨にイヤな顔をする「今来てる人を見て何か思わね〜のか?あ〜?」お互い顔を見合わせ(またか…)という顔をする若手隊員たち



さすがに宴会場で言い返すのはまずい…と考えるところだが、一人だけ空気を読まない隊員がいた「始まる時間は19時じゃないですか?遅れてもいないでしょうが」
口調こそ丁寧だがニコリともせず木島曹長をにらむのは、1小隊の大宮3曹だ
中隊でも若手の陸曹である大宮3曹は口が悪い。特に木島曹長のようなタイプの人間を嫌っており「この二人を組み合わせて仕事させないように」と中隊の裏ルールがあるほどだ
ただし口は悪いが体力・戦技とも高い能力を持ち、レンジャーの資格もある。そして尊敬できる人間に対しては忠義を尽くし、部下への面倒見もいいので、特に嫌われているわけではない
「…」弱者に強く強者に弱い木島曹長は言い返すタイプの人間は苦手、当然ながら大宮3曹を嫌っている。それ以上は何も言わず、不機嫌な顔をして黙り込んだ
「しかし小隊長も遅いですねぇ…」誰かがポツリと言ったその時「間に合ったかな?」と小隊長が顔を出した「お〜小隊長、ささ、こちらへ…」とたんに立ち上がり手招きをする木島曹長であった



コンロに火が入りナベがゆっくりと加熱されていく、机の上に栓の開いたビール瓶が配られていく「皆さん、検閲お疲れ様でした!それと木島曹長が8月から広報班に勤務されるという事で…」幹事の安田3曹が司会も勤める
「ではまず、小隊長から一言お願いします」呼ばれた小隊長が立ち上がり「検閲も無事に終わりまして…」酒好きな隊員たちの注意はビール瓶に向けられている
小隊長の挨拶も終わり、次は乾杯だ「では乾杯の音頭を次期小隊陸曹の木村1曹にお願いします」指名された木村1曹が立ち上がる「それでは皆さん、グラスにビールを注いで…」言い終わる前からビールが注がれていく「ささ、小隊長…」「こりゃどうも…」
全員のコップにビールが注がれた事を確認して「それでは、これからも頑張っていきましょう。乾杯!」「かんぱ〜い!」こうして宴会が始まった

上座には小隊長に木島曹長、木村1曹の3人がまとまっている。その付近には小隊の上級陸曹と、先輩たちに追いやられた1士たち(当然ながら誰も曹長の側には座りたがらない)
酔いの回る前は取りあえず、自分の席で酒を飲みつつ鍋をつつく。店内は冷房も控えめで、宴会場は少し汗ばむくらいだ「あっついな〜ビールくれ」木島曹長が近くにいる和田1士にコップを突き出す「は、はい」できるだけ話しかけられまいと距離を取っていた和田1士だが、名指しで来られては逃げようもない



トクトク…とビールが注がれる「おっとっと…」注ぎ方がまずかったか、注がれたビールは泡ばっかりになってしまった「おい、下手くそだな〜お前」不機嫌そうに言う「すみません…」
憮然とした表情でビールを口に付ける「お前、いくつだよ」「19です」「ビールの注ぎ方くらい覚えろや、あ〜?最近の若い連中は…」ネチネチと説教が始まりそうになった時、横から木村1曹がビール瓶をつきだしてきた
「曹長!ささ、主賓じゃけググッといかな〜!」早くも酔ってるのか、かなり陽気に振る舞う。九州男児だけあってかなりの酒豪だ
「あ、こりゃどうも…」泡だらけのコップを空にしてコップを突き出す。なみなみ注がれたビールは泡の部分が1センチ、見事な「技」と言える「さ、木村1曹も…」同じように返杯を注ぐ。その隙に和田1士は反対方向を向いて先輩と話を始める
「…こんな席で説教なんて、空気読めねぇよなぁ…」小声で話す二人「…えぇ、早く離脱したい…宴会は何時までですか?」「20時半、あと1時間以上あるぞ…」ガクッと肩を落とす和田1士「…酔いが回ってきたらみんなに酒を注ぎに行ったらいいぞ」と先輩からのアドバイスだ



宴会開始から30分が経過…酔いも回り始め宴会も盛り上がってきた「だ〜か〜ら、彼女ができたからって安心するとだなぁ…」「お前、体力ねぇだろ?ちょっとは食った方がいいぞ。小畑を見習え…」とあちこちで話が盛り上がる
次の犠牲者は遠戸2曹だ。木島曹長の横に正座している「…お前も2曹だろうが、ちょっとはしっかりせいよ…」「は、ハイ!ハイ!」機械仕掛けのように首を縦に振る遠戸2曹。神妙な顔をしているが、恐らく話の内容は頭には入ってないだろう
「できねぇじゃねぇんだよ、あ〜?そんなんだから陸士どもがなぁ…」だんだん不穏な話し方になってきて、目つきも悪くなってきている「だいたい今回の検閲だってなぁ…そんなんで陸士に指導ができるのかよ、あ〜?」グチとも説教ともわからない話し方になってきた
そこで話を振ってきたのは小隊長だ「ま〜ま〜曹長、一杯どう?」とビール瓶を差し出す「あ、こりゃ〜どうも!いやいや、ホント手のかかる小隊で…」とコップを差し出す。その隙に逃げればいいものを、遠戸2曹は同じように正座している

「…だれが一番手のかかるって、そりゃアンタですから…」と誰かが口にすると、周囲から控えめな笑いがこぼれる。若手陸曹と陸士ばかりが座っているテーブルの一角、中心にいるのは大宮3曹だ
「ま、これが最後だからいいんじゃね?このままこの世から消えてくれりゃ自衛隊のためにもいいんだけどな」と言って笑う大宮3曹。木島曹長と不倶戴天の敵である大宮3曹の側なら安全地帯…と若い連中が避難してきているのだ



宴会が始まって1時間後、酒の力で盛り上がってはいるが微妙にイヤな空気が漂う宴会場である。ここまで来ると酔いつぶれる人間も出てくるわけで…
「お〜い、和田!生きてるか〜?」部屋の隅で完全にのびているのは和田1士だ。未成年に飲ませるのは本当はダメなのだが…
そんな中、黙々と鍋の中身を食べ続けるのは小畑士長、残飯処理のように肉や野菜を口にする。そこに絡んできたのは、相手がいなくなった木島曹長だ
「おぅコラ、小畑!食い過ぎじゃねえかぁ?」草食動物のようにのんびり首を回して「そう〜で〜すかぁ?」とこれまたのんびりした口調でこたえる小畑士長。これでも酒が入っているせいか、普段より早口になっている
真っ赤な顔をして怒鳴る木島曹長「てめぇ体力検定受かってねぇだろ!ばくばく食うんじゃねぇ!ダイエットしろや、あ〜!?」かなり酔いが回ってるせいで声が大きい。本来なら宴会場が静かになるくらいの大声だったが、みんな(相手にしたくねぇ)と無関心を貫いて騒ぎ続けている
怒鳴られた小畑士長は「……」ぼ〜っとした顔は変わらない、そしてそのまま鍋の中身をあさり始める。腹を立てた木島曹長は「おぅコラ安田!てめぇどういう指導してんだよ、あ〜?」矛先をよそに向ける



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