まいにちWACわく!その70

(どこかで笑い声が聞こえる…)時間は2030、ここは中隊本部の天幕内。田浦3曹は手にした文庫本から顔を上げた。同じ天幕には野外机に向かい何かを書き込んでいる中隊長に、(疲れからか年のせいか)すっかり熟睡している先任がいる

「…どこかな?」顔を上げる中隊長「おそらく…3小隊ですね」田浦3曹が答える「今回は大金星でしたから、テンションが上がっても不思議ではないです」
他の小隊はもう寝てるか派手な宴会はしてないようだ。特に…「迫小隊は葬式のようだったがな」と中隊長。脱落者を多く出した迫小隊は、小隊陸曹の近藤曹長がかなりお冠らしい。帰隊してからの訓練を考えたらテンションも上がらないだろう
「ま、仕方ないだろう」とあっさり言う中隊長「行軍で脱落されては困るからな」「そうですね」同意する田浦3曹

話のネタになっていた赤城士長はと言うと…
「…」WACの3人は風呂から帰ってすぐダウン、現在すでに熟睡中…靴も脱がず、布団も被らないで野外ベッドの上に突っ伏す3人。電気もついたままだが、WACの天幕には勝手に入れないのでそのままの状態になっている
22時を回り発電機が止められて電気が消える。その時、ふっと赤城士長は目覚めた
(…もう消灯?)先月のボーナスで買ったG-SHOCKを見る。バックライトに浮かび上がった時間は22時を過ぎていた「…」スッキリしない頭を振り天幕の外に出る
満開の星の下、宿営地の外れで歯を磨きに来た赤城士長。疲れた頭でいろいろ考える
(は〜いろいろあったなぁ…)崖から落ちそうになった時の事を思い出す(あの時はホントに運が良かった…は〜みんなの足を引っぱっちゃったなぁ)決してそんな事はないのだが、どうしてもマイナスに考えてしまう
(やっぱり限界があるのかな…?)ふと高校時代を思い出す

赤城士長は東京の某私立校出身、部活はせず外部の空手道場に通っていた。そこそこの進学校であったため、男子生徒は大して強くはなかった。たとえ喧嘩になっても体育会系ではない男子のほとんどより強い自信があった
その自信もあったから兄弟の反対を押し切り曹学を受験し普通科中隊を希望した。しかしやってきた普通科中隊は想像以上にハードで、周りの隊員たちも(一部を除いて)タフな人たち揃いだった
曹学で入った事、そして普通科中隊を選択した事に間違いはない…ハズだった。でも今はその決意が揺らいできている。そして自衛官を続ける意志も揺らいできている…



翌朝、朝6時の起床と同時に各天幕は撤収準備を始める「お〜い、車持ってきてくれ」「天幕から荷物出せよ〜」
わいわいと騒ぎながら1時間後にはすべての天幕を撤収、宿営地は元の空き地に戻った。車両を駐車場に並べて隊員たちは朝食のパンを口にする

「あ〜体中が痛い…」とぼやくのは3小隊の松浦士長だ「筋肉痛か?翌日に来るのはまだ若い証拠だよ」と片桐2曹「オレの年になると3日後くらいに来るからなぁ…」
状況中は緊張もあり筋肉痛はあまり出ないが、状況終了後に一気に痛みが来るのである
「ところでまだ帰らないんですか?」「0800から講評があるからな」

0800,宿営地の空き地で中隊がズラリと整列している。迷彩服に戦闘帽のラフな格好だ「それではただ今より、本検閲の講評を行います。連隊長登壇」白いお立ち台に連隊長が上がる
「連隊長に敬礼、かしら〜なか!」部隊の敬礼を行い講評が始まった。連隊長が懐からメモ用紙を取り出す

「…この点はよろしい。敵の逆襲に備え、接近経路に指向性散弾を配置した配慮はよろしい」全般の評価から行軍、防御、攻撃その他に至るまで一つ一つの事項を細かく評価していく
「次に改善を要する点…行軍時に3名の脱落者が出た点は、日頃の体力錬成が不十分である事の証左である。各指揮官は隊員の能力向上のための…」悪い点も細かく指摘される
「以上、本検閲における第1中隊の評価は『良好』であった。今後も来年のCTに向けた錬成を続けるように」連隊長の〆の言葉の後は、優秀隊員の表彰だ。司会が名前を読み上げる
「…野村2曹、井上3曹、山村士長…」名前を呼ばれた隊員が前に出る「…おめでとう」「ありがとうございます」一人一人が連隊長から記念品を受け取っていく。封筒に入った何かのようだ
「連隊長に敬礼、かしら〜なか!」こうして講評は終わった。後はさっさと駐屯地に帰るのみだ



空き地から車両位置に帰ってきた中隊一同、衛生小隊が講評を受けているのが見える「お、あの小さい子が表彰されたぞ」神野1曹が赤城士長に話しかける
「赤城は残念やったな〜」と井上3曹「お、井上。何貰ったんだ?」手に持ってた封筒を見る「さぁ…」「開けてみろよ」「何?何です?」ぞろぞろと3小隊の面々が集まる

封筒の中から出てきたのは…「隊員クラブ『一番星』の商品券、ビール1缶分…安っ!」思わず悲鳴を上げる井上3曹。周りで見ていた面々が笑う
「お〜いいねぇ」「じゃ、帰ってからの打ち上げは井上3曹のおごりと言う事で…」「ゴチになりま〜す」あちこちから声が挙がる「ちょっ、ちょっと待ってや〜1杯分しかあらへんのに…」と慌てる井上3曹
周りの面々が盛り上がる中、イマイチ話の波に乗り切れない赤城士長であった…

「出発5分前〜乗車!」田浦3曹の声が宿営地に響く。高機動車やジープ、トラックの荷台などにぞろぞろと隊員が乗り込んでいく。ドライバーが輪留めを取り運転席に座る。ディーゼルエンジンのかかる音が響く
先頭に停まっていた中隊長車(パジェロ)が動き出し、各車両も順番通りに動き始める「やっと終わりましたね」バックミラーを見ながら田浦3曹が中隊長に声をかける
「そうだな…」さすがに年のせいか疲れのせいか、中隊長も後部座席に座っている先任も口数が少ない
(…)気を遣って黙々と運転する田浦3曹、中隊長がラジオのスイッチを入れると、地元のFM局からほとんど夏限定で活動するグループの曲が流れ始めた「…もう夏だなぁ」ボソッと中隊長が言う「そうですね、休みまであと一息です」と同意する田浦3曹

田舎の国道を進む車列の前には、巨大な入道雲がそびえ立っていた



駐屯地に帰ってきた中隊一同、優先的に卸すのは武器類だ「おぅ、武器庫は開いてるからさっさと入れてくれ〜」火器陸曹の高木2曹が武器庫前で叫んでいる。装備品の中で一番気を遣うのが銃をはじめとする火器類だ

倉庫で天幕類を車両から卸す「取りあえず放り込め〜手入れは明日だ」「明日って土曜日じゃなかったですか?」「明日手入れして来週多く休むんだと」山と積まれる天幕類
通信機も倉庫に並べられる「不具合は?」通信陸曹の岡野2曹が隊員たちに聞いて回る「部品とか無くしてないだろうな?」これまた気を遣う器材である。厳重にチェックする
荷物を卸した車両は洗車場に向かう。が…「わっ、一杯だなぁ」「そりゃ連隊全部が帰ってきたんだから…」洗車場は他中隊の車両で一杯だった。大規模演習の後は少しの出遅れが致命傷である。仕方なくドライバーたちは順番待ちをする…

中隊本部の面々も帰ってきた「おぉ、お疲れ〜」残留していた人事陸曹の倉田曹長が事務所で一人、仕事をしていた。事務所の表には「検閲お疲れ様:残留者一同」の張り紙がある
「いや、疲れるねぇ…楽隠居させてくれんかな〜」先任がぼやく「何かありました?」と田浦3曹が尋ねる「メール関係は保存してあるから、目を通しておいてくれ」事務所の隅っこにある「指揮システム」端末のパソコンを指さす
「ま、連隊長もいなかったんだから、そうそう大した仕事は来てないさ」そう言って先任は机の上に置いてあった書類を読み始める「えっと…異動者の名簿か」来月8月1日は定期異動の日だ
「あとは…ん?」一枚の書類に目を落とす「どうしたんですか先任?」田浦3曹が怪訝そうな顔をして聞く「…デモ隊が来るらしいねぇ」机から老眼鏡を取り出す先任「えっと…来週の日曜か」

デモ隊が来る時は駐屯地の門が閉鎖される。隊員にとっては迷惑な話だ「何のデモですか?」「市ヶ谷でやりゃあいいのに…」「うるせぇんだよな〜」事務所の面々は口々に文句を言う

「え〜っとね…『世界平和を実現するために連携する地球市民と憲法9条の会』と『ワールド・ピース・ムーブメント』とかいう組織らしいね。両者とも中核派の下部組織だって」デモ隊の後ろに極左暴力集団がいる事は珍しくない
「長い名前ですね」田浦3曹も呆れる「ハッタリだろ?」と切り捨てる倉田曹長「とにかくこれは命令会報で言わないとな…」と言い、書類に付箋紙を貼る先任であった

荷物の卸下も終わり車両の洗車も終了したので、中隊は終礼となった「…というわけで来週日曜の1400〜1700までの間、営門は封鎖される。営内者はそれまでに外出するように。以上」先任の命令会報も終わり中隊長が壇上に立つ
「検閲ご苦労だった、一人の事故もなく帰ってこれた事を嬉しく思う。さて…」咳払いを一つ「明日は仕事だが、来週は多く代休を取るのでサクサクと整備を終わらせるように。再来週から富士に行くので、その準備も始めるように」
今月は2回も演習があるのだ。再来週の演習は東富士で「迫撃砲、ATMなどの射撃」と「第2中隊、通信小隊検閲」で10日間の日程だ
「それでは今日はゆっくり休んでくれ、羽目を外して飲酒運転などしないように!」ここでもクギを刺す中隊長だった

「中隊長に敬礼、かしら〜なかっ!」こうして長い検閲は終わった



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