1998年9月30日、日本は対人地雷禁止条約を批准、そして自衛隊最後の対人地雷(教育用の物を除く)が2003年3月に爆破処分された
その代替品として開発されたのが「指向性散弾」だ。中型液晶テレビくらいの大きさ(重さは数倍)がある板状の物で、その中にはパチンコ玉のような散弾が敷き詰められている。一方の面からその散弾が放出されるという仕組みだ
米軍の持つクレイモアを大きくしたような物だが、直接人が操作して爆破させるため、地雷のような「無関係の民間人が巻き込まれる」といった被害は出ない
だがその破壊力は凄まじく、狭い河原に集まった4人を肉片にするには十分すぎる威力を持つ
「爆破成功!判定に移る」そう言って補助官は斜面を降りていった。崖の上に設置された歩哨壕では小野3曹が「よし!」と叫び小さくガッツポーズを決めた
中隊本部が用意した「切り札」として状況開始からずっと穴掘り&指向性散弾の設置をしていたのだ。小野3曹の地味な苦労が一気に報われたのだ
「やりましたね!俺たちヒーローッスよ!」隣にいた陸士も喜ぶ「おいおい、まだ判定待ちだぜ?取りあえずCPに連絡だな」そうは言っても顔が笑っている。電話機の受話器を取り転把を回した
「小野3曹から連絡です『爆破成功、現在判定待ち』だそうです」電話を受けた田浦3曹が報告すると、中隊本部でも安堵のため息が漏れ聞こえた
「まだ状況中だから油断するなよ」統裁官の手前、まだまだ気を抜くわけにはいかない「田浦、小野に84を準備させておいてくれ」と指示を出す
「ああ、油断はしてねぇ。84?…わかった」そう言って受話器を置く小野3曹。そして歩哨壕に置いてあった84ミリ無反動砲を構える「あれ?まだ終わらないんですか?」と陸士が尋ねる
「中隊長は心配性だよ。まぁ判定が出るまでは油断すんなよ」とは言え小野3曹も(もう終わりだろう)と思っている。指向性散弾の直撃を食らってまだ戦闘力を維持できるとすれば、その生き物はもう人類ではない
「…完全閉鎖、後方よし。準備よし!」無反動砲に弾を装填して陸士が小野3曹の肩を叩く。そして腰を支えて射撃姿勢を取る「ま、撃つ必要は無いだろうな」と余裕の小野3曹
指向性散弾の位置、そして敵の配置などを見ていた補助官が無線機のマイクを持ち何か話している。おそらくは判定結果の報告だろう
「中隊長」無線での報告を受けた統裁官が声をかける「は」中隊長も立ち上がり統裁官に向き合う
「1035をもって敵遊撃隊の全滅を確認した。ご苦労だった」「それでは…」「現時刻をもって状況終了とする!お疲れさん」
「状況終了〜!」無線で一斉に放送された「状況終了」の声に中隊は湧いた。この「状況終了」だけはどんなに無線機の調子が悪くても伝わるのだ
「全員、異常無いか〜?銃、銃剣、防護マスク、装具、落としてないか壊してないか確認するように」状況終了を受けて3小隊も全員合流、異常の有無を点検している
「全員異常なし…と」一安心といった顔をする小隊長「終わった終わった〜!」「あ〜疲れたぁ」などと隊員たちもハイテンションだ「お前ら、今からまだ撤収とかあるからな〜」一応クギを刺す片桐2曹
歩哨壕などの穴を埋め戻し、有線を撤収する。そして各陣地の土嚢を集めて土を抜く、土嚢袋も使い捨てではないのである
あちこちで「パパパン!」と銃の射撃音が聞こえる。89式ばかりでなく数少ない64式、MINIMI、そしてM2重機関銃(通称キャリバ.50)などだ。余った空砲も使い切らないといけないのである
「田浦、銃借りるぞ〜」そう言って中隊本部の面々が空砲を処理していく。自分の銃を汚したくない(空砲や実包の火薬から出るガスは、銃の機関部をかなり汚すのだ)ので、田浦3曹の銃を使って支給された空砲を処理するのだ
「…まぁ仕方ないか」これも一番下っ端の宿命…とあきらめる田浦3曹であった
撤収を終わらせ昼食をすませた中隊一同が宿営地に帰ってきたのは15時過ぎだった。さっそく武器を手入れする
「行軍の時はけっこう余裕が…」「お前ばててたろ?」「楽勝だったな〜」「よく言うよ…」検閲が終わった開放感からか、隊員たちの口も軽い
「あ〜あ〜ガスでどろどろ…」89式を分解してため息をつく田浦3曹。たっぷり付いたガスやススは簡単には落ちそうもない。野外ベッドの上に新聞紙を広げて部品を一つ一つ手入れしていく
「なんかよくわからん検閲だったな」とは鈴木曹長だ。3小隊の面々を高機動車に乗せて前進中に状況が終わったのだ「『対遊撃』はそういうもんらしいですよ」と田浦3曹
「まぁ今までやってこなかった分野だからな」と先任「これからは主流になってくるんでしょうね。大変ですよ〜」「オレ定年だから関係ないな」あっさりかわす先任だった
「きれいなウエス無いか?」そう言ってやってきたのは井上3曹「なんでよ?」「照準眼鏡のレンズを拭くんや。油付いたらえらい事やからな〜」「あ〜そこにあるよ」うなずき近くにある箱を指さす田浦3曹
「今回は大活躍だったって?井上」先任が声をかける「3人仕留めたもんな、優秀隊員決定だな?」と田浦3曹「いや〜褒めんなや」頭を掻きながらも嬉しそうな井上3曹、短い髪の毛からフケがボロボロ落ちる
「うわっ!汚ねぇなぁ…」「お前も似たようなもんやろ?」検閲が終わり風呂にも入っていない状態では汚いのが当たり前、汗でべたつく戦闘服も化学兵器のような臭いを醸し出している「早く風呂に入りたいねぇ…」と先任がボソリと呟いた
同じ頃、廠舎地区の連隊本部では…「では衛生小隊の優秀隊員は…」「そうだな、彼女は入れるべきだろう」「それでよろしいですか?連隊長」検閲の「優秀隊員」を誰にするか、連隊長以下幕僚や審判要員たちで会議中なのだ
「どうだい?中川2尉」連隊長が末席に控える師団衛生隊所属の中川2尉に声をかける。以前「方面音楽祭り」で赤城士長と一緒に仕事をしたWAC幹部だ。今回は衛生小隊の補助官として参加している
「よろしいと思いますよ」「じゃ、決まりだな。さっそく表彰の準備を頼むよ。次は1中隊だな、3科長!」スクッと椅子から立ち上がる3科長「は、お手元の名簿をご覧下さい」パラパラ…と書類をめくる音が聞こえる
「…それから迫小隊の野村2曹、FOとして的確な誘導でした。それから3小隊の井上3曹…彼だけで3人仕留めています。それから…」名簿に挙がっている名前を挙げていく「こいつはちょっとアレだな」「彼も入れるべきでは?」と少しだけ熱い議論が交わされる
補助官の主観が多く入ったり、新隊員が有利だったりと結局はオマケみたいな優秀隊員の表彰なので、徹底的な議論が交わされる事もなく表彰者の名簿が作成された「では連隊長、この10名でよろしいですか?」3科長が決心を仰ぐ
「ん、うむ…」机に肘をつきアゴを触る連隊長「…?」一同が怪訝な顔をする「なぁ3科長、ここにだな…赤城士長を入れてみてはどうかね?」名簿を片手に持ち指さしながら連隊長が言った
「赤城…士長ですか?」と3科長「彼女は特に功績を挙げたわけでは…」「だが脱落者多数の本検閲で最後までやり遂げた事は評価すべきではないかね?」連隊長はどうしても赤城士長を「優秀隊員」にしたいらしい。彼女の「父親」を意識しているのか…
「WACなのにこれだけやり遂げた、というのは評価の対象になるかと思うがね」ここまで言われてはさすがに幕僚たちには拒否できない。真っ先に「いいですね〜確かによく頑張りましたな彼女は…」と合意したのは1科長だ
「そうですね」「うんうん、よく頑張ったよ」と各科長は合意していく。満足そうに頷く連隊長、しかし…「それは問題あるかもしれませんな」低い迫力のある声が響く。通信小隊泣かせ(低い声は電波に乗りにくい)の副連隊長だ
連隊長は防大の先輩でもある(直接の面識はない)副連隊長が大の苦手だ。CGS(指揮幕僚課程)を突破したスーパーエリートと、現場一筋の副連隊長では意見の合おうはずもない
「何か不満でも?副連隊長」精一杯の威厳を保って連隊長が詰問する。必死ににらみをきかせるが副連隊長は意にも介さない「『WACが検閲で脱落しなかった』だけで表彰するというのは、他の隊員たちだけでなく彼女に対しても侮辱であると考えます」
他の男性隊員は検閲で脱落しなかっただけで表彰はされない、それなのに「女性だから」の理由だけで表彰を受けるのは明らかに逆差別、同じ条件で評価すべきではないか…と副連隊長は主張する
「…確かにそうだが…」「これは中川2尉の意見も聞きたいところですね」副連隊長は中川2尉に話を振る「そうですね、私も副連隊長に同意です。彼女と同じ立場なら『バカにされた』と逆に憤慨するかも知れません」
「自分も同意しかねます」と手を挙げるのは、半日前まで穴蔵に潜んでいた真田2尉だ。ドロドロの米軍ドット柄迷彩に身を包んでいる「彼女が我々を見つけたのは単にラッキーだったからです。実戦なら崖に落ちそうになっても見捨ててました」端正な顔にはドーランの跡が残っている
各科長たちは顔を見合わせる。一度は賛成した手前、今さら意見を翻すのはバツが悪い「…確かに一理ある。彼女への表彰は無しにしよう」心底残念そうに連隊長が言い、それをきっかけに会議は終わった