まいにちWACわく!その62

昼も過ぎ演習準備もほとんど終わった。週明けの月曜朝早くに出発するため、ドライバー達が車両を駐車場から隊舎の前に配列する
「オイルは…よし、ファンベルトもOK、ブレーキオイル、ウォッシャー液もよし、バッテリーもいいな」中隊長車のパジェロを点検するのは田浦3曹だ。ボンネットを開けてA点検を行っている
レンチを使いタイヤのナットを締める。これもA点検の手順の一つだ。次はタイヤの空気圧をゲージを使って計る「タイヤの空気圧…ちょっと少ない?」タイヤの空気圧が少ないとバーストする危険もある
近くに中隊本部の3t半トラックがあり、補給の鈴木曹長が同じく点検をしている「鈴木曹長〜、ちょっとタイヤの空気入れさせてください」パジェロをトラックの側に停めて声をかける
「なんだ、空気圧が足りんのか?」そう言うと鈴木曹長は運転席から空気用のホースを取り出し、トラックの下にある空気タンクに接続した「ほれ」「どうも〜」ホースを受け取る田浦3曹。鈴木曹長は運転席に乗り込みエンジンをかける
ディーゼルの低いエンジン音が響き、健康に悪そうな黒い煙が吐き出される。これで空気タンクに自動的に空気がたまるようになる「さて…」田浦3曹はパジェロのタイヤに空気を入れていった

「どうも、助かりました」「今度はパジェロか?いいの〜冷房付きのオートマだもんな。代わらんか?」そう言って笑う鈴木曹長。だが曹長は無事故走行24万kmを誇る特級ドライバーなので、3t半でもまったく問題ない。もっとも旧型の3t半に冷房は無いが…
「でも個人的にはパジェロって好きになれないんですよ」と愚痴る田浦3曹「なんか腰が弱いって言うか、軟弱って言うか…」
自衛隊は少し前まで小型車両に「三菱ジープ」を使用していた。第2次大戦の頃から基本設計がほとんど変わってない傑作車両だが「排ガス規制」のため新型の「三菱パジェロ」に更新されている
「それにこいつ高速の料金が『中型』なんですよ?」「いいじゃねぇか。俺たちの金じゃないしな〜」と笑う曹長に「良くないですよ、高速代だって予算削減で減らされてるんですから…」と愚痴るのは、演習用の荷物を車両に積みにきた車両・水上1曹だ
「高速が使えない、でも訓練は減らない、結局下道を使って移動する事になるし…時間もかかるわ車も壊れやすくなるわで…」とため息をつく「陸自は貧乏ですからねぇ」と肩をすくめる田浦3曹「あ、手伝いますよ」と水上1曹の荷物を持つ

1600…検閲前という事で、終礼も普段より早くなった「…本日の関係命令については以上」先任がお立ち台から降りる。代わって岬2尉が前に立つ「では、来週月曜の指示を達します」そう言って手元のメモ帳をめくる
「出発は0600,従って起床は0500とする。営門は0500〜0530の間、開門するように要請してある」普段の営門開門時間は0600だが、早くに出発する部隊がある場合は開門時間を早めてもらう事ができる
「朝食については前日の夕方に上がる。移動経路については提示版に張ってあるので、各ドライバーは確認するように。あとは…」大まかな指示事項を達する。細部は各小隊長や班長が知っているので問題ない
「以上!」そう言って岬2尉が下がり、中隊長がお立ち台に立つ「いよいよ中隊検閲である。各人は今まで訓練してきた成果を十分に発揮するように!あと、この土日はゆっくり休め。事故のないようにな!」演習前に事故を起こされては元も子もない

「中隊長に敬礼!かしら〜なかっ!」岬2尉の号令で全隊員が中隊長に頭を向け、中隊長も敬礼で帰す「…なおれ!」「ごくろうさん!」「っした!」こうしてあわただしい検閲前の日々は終わった。後は本番を残すのみ…



次の土曜日朝10時…田浦3曹は下宿から自転車に乗って駐屯地にやってきた。生活隊舎の裏に自転車を止める「おぅ、ホームズ元気か〜?」日陰で昼寝をしてる三毛猫に声をかける
駐屯地には少なくない数の野良猫が住んでいる。野良犬は目立つので追い出される事も多いが、猫を駆除するのは一苦労なので放置されている事も多い
「ホームズ」は生活隊舎の付近をねぐらにしている三毛猫で、誰かが「三毛猫ホームズ」と呼び始めた事からみんなホームズと呼んでいる。他にも糧食班近くに住む「マイケル」やWAC隊舎近くに住む黒猫「夜一さん」などがいる
声をかけられたホームズは起きあがり、あくびをしながら(うるせーな、話しかけるんじゃねぇよ)と言いたそうな顔を田浦3曹に向ける。そんな非難のまなざしを気にせず隊舎に入る田浦3曹であった

洗面所では若手陸士の連中がバリカンで髪を切っている。丸坊主なら誰でもできるので、若い連中は自分たちできる事も多い。そんな連中を横目に陸曹部屋に向かう田浦3曹
扉を開けるとベッドが4つ並んでいる、うち人が寝ているのは一つだ。そのベッドに近づき寝ている人の耳元に口を近づける。そして…「非常呼集〜」とささやいた 「非常呼集!なんや?状況は?」ガバッと跳ね起きたのは井上3曹だ「お前何時まで寝てるんだ…」とあきれ顔の田浦3曹「『10時には買い出しに行こうや〜』って誘ったのはお前だろ?」
「昨日は飲み過ぎ…うまい酒見つけてな〜」ベッドの横には焼酎の瓶が転がっている。井上3曹はビールからウォッカまで何でもござれの酒好きだ「…営内は飲酒禁止だと…せめて隠せよ」呆れた顔をする田浦3曹であった

井上3曹が身支度する間、フラフラと営内を歩く田浦3曹に声をかけてきたのは1小隊の陸士たちだった「田浦3曹〜安い宴会場所知りません?」
「安いのが一番の条件か?何の宴会だ?」と聞く田浦3曹「ジメジメのお別れ宴会…」と本当にイヤそうな顔をする陸士たち「最低ですよ。ほとんどみんな嫌がってるのに…」
ジメジメとは、1小隊の小隊陸曹「最低の陸曹」と称される木島曹長の事だ。8月の定期異動で広報班に出される事になったのだ
「あらら…ついてないなぁ、ジメジメだけ?」「えぇ…検閲の打ち上げも兼ねてなんです」と言ってため息をつく
聞いてみると小隊長や古手陸曹の何人かが「けじめは必要だろう」と宴会を言い出したらしい。若い陸曹や陸士には嫌われてる木島曹長だが、古手の陸曹や幹部にはうまく立ち回っておりそれなりに人間関係をもっている
「じゃあ『一方亭』だな。1時間半飲み放題で2500円、料理はあんまりおいしくないぞ」一方的にまずい料理を出す事で有名なのが、駐屯地近くにある「一方亭」だ。値段の安さだけが売りだが、それでも何故か潰れていないのは「イヤなヤツとの宴会」の需要が多いから、らしい

営門に続く駐屯地のメイン道路を行く井上3曹のシビック。井上3曹は運良く駐屯地内の駐車場を借りられているのだ
「もう12時じゃねえか、もたもたするから…」と愚痴る田浦3曹「まぁまぁええやん。せっかくの休みくらいはのんびりしようや」と相変わらず軽い
「ん?あれは…赤城やないか?」営門に向かう女性3人の後ろ姿、真ん中にいるのは赤城士長のようだ。クラクションを鳴らすと3人が振り向いた
「お〜い、赤城ぃ!」窓を開けて声をかける田浦3曹「あ〜お疲れ様です」と言って笑う。隣の二人は衛生小隊の中森1士と橘1士だ
「どこ行くんや?」と井上3曹「ちょっと買い出しにホームセンターまで…」と赤城士長「じゃあ送るよ。乗っていかないか?」と(何故か)田浦3曹が言う
「俺の車なんやけど…」と不満顔の井上3曹「イヤか?」「い〜や、乗ってきぃな!」と後部座席を指さす
「じゃあ遠慮無く…」「お邪魔しま〜す」「ど〜も、ありがとうございます!」そう言って3人が後部座席に乗り込んだ



「…で、外柵沿いの怪しい車をオレと歩哨係で見に行ったわけよ。そしたら…ギッシギッシ揺れてるんや〜」「え〜何だったんですかぁ?」「ヤダ〜」ハンドルを握りながら馬鹿話を続ける井上3曹
車内は男2人に女3人という珍しい編成だ。圧倒的に男社会の自衛隊では、グループを作っても滅多に女性の数が多くなる事はない
(やれやれ、こいつは…)助手席で頭を抱える田浦3曹「…で、そのカップルが何言うたと思う?」まだ馬鹿話を続ける
「え〜何ですか?」こう聞くのは中森1士だ「『明るいと盛り上がらないから、ライトで照らすのはやめてくれ〜』やって!」車内がドッと受ける。意外な事に赤城士長も大笑いしてる
(こういうネタ、嫌いじゃないのか)意外な一面を見た気がした田浦3曹であった

「Sマート」は、駐屯地から車で15分の所にある大型ホームセンターだ。大きな駐車場と品揃えの豊富さで、演習前や異動時期になるとあちこちに自衛官の姿を見る事になる
今日も「同業者」の姿があちこちに見える「あれって3中隊長じゃ?」「お、2科の先任…」「ほら、作業小隊の…」こうなると知ってる顔にも会う「おぅ、田浦に井上〜、それに赤城もいるのか」と声をかけてきたのは佐々木3尉だ
「どうも、佐々木3尉」「お疲れ〜っす小隊長」「お疲れ様です!」3人が挨拶する。衛生の二人も同じく頭を下げる
「何買いに来たんだ?」「まぁ雑品いろいろ…そういう小隊長は?」佐々木3尉が押すキャスターの中にはペットボトルのスポーツドリンクやチョコバーなどの食料、電池や靴下や下着などが入っている 「今回は状況が短いからな。出費が少なくて助かるよ」そう言ってキャスターを押して立ち去っていった

「2夜3日の状況って短いんですか?」赤城士長が聞く「あぁ、かなり短い部類に入るね」「そやなぁ…ほら、何年か前のCT覚えてるか?防御の時の…」「あぁ、アレは長かった…」二人して顔を曇らせる
「何があったんですか?」と聞くのは橘1士だ「連続状況6夜7日…」呟く田浦3曹「6夜…」「それは…」「長っ!」3人とも驚く
「穴をかなり掘ったなぁ。個人用掩体を20個は掘ったんやないかな?」「こっちは迫の穴を10個は掘ったよ…」二人とも「思い出したくない」という顔をする「雨だったなぁ…」「あの時の連隊長、雨男やったからなぁ…」
ふっと立ち直る田浦3曹「まぁ、ともかく2夜なんて遊びみたいなもんだ。最初の状況なら手頃でいいかもね」3人に笑いかける田浦3曹だった


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