課業後…WAC隊舎にて 「…何作ってるの?」部屋に帰ってきた赤城士長は、衛生小隊の二人がせっせと何かを作っているのを見つけた
上から白、黒、赤、黄色、緑に色分けされたボール紙、白の部分が全体の半分を占めている。その色分けされた境界線にミシン目を入れ切り分けやすくしている。さらにその紙を縦に短冊状に切り、白い部分の端に穴を開けて長細いひもを通している
「これ?トリアージ・タグ」と中森1士「今度の検閲で使うのよ〜内職みたいだなぁ」と橘1士。高校出てすぐに入隊した橘1士は内職の経験など無いはずだが…
「トリアージ?」聞き慣れない言葉だ「何それ?」と質問する赤城士長。二人は手を休め「ちょっと休憩しよっか」と背伸びをしたり肩を叩いている
「トリアージってのは…なんて言ったらいいのかな?」と橘1士「簡単に言ったら『患者の選別』みたいな意味かな?」とは中森1士だ
病院等で大量の患者が発生したり搬送されてきた場合に使われるのがこの「トリアージ」だ
「助かるかどうかわからない重体の患者1人」に10人の医者を裂くより「処置すれば確実に救えるであろう患者10人」を10人の医者で処置をした方が、最終的に救える命の数は多くなる
大量の患者を収容時する時に、一目でその処置がわかるように患者の首にかけるのがこの「トリアージ・タグ」なのだ
「軽症の患者は緑、それから黄色、赤と症状のレベルが上がっていって…」そういって中森1士はタグの黒い部分を指さす「この黒い部分しか残っていない患者は『助からない確率が高いですよ』くらいのレベルになるのよ」
「じゃあこの黒い部分も切られて、白い部分しか残ってなかったら?」と聞く赤城士長、二人は顔を見合わせて、両手をあわせて頭を下げる「なんまいだ〜ってね」「もう仏様って意味よ」
「………」ゴクリとつばを飲み込む赤城士長「衛生科にも修羅があるのよ」意味深な言葉を吐く中森1士であった
狭い自習室に隊員たちが集まっている。冷房は一応ついているが、あまり効果があるとは言えない「…とまぁこのように、自衛隊の出動には種類があるわけだ」照明を消してカーテンを引いた薄暗い部屋に、運用訓練幹部・岬2尉の声が響く
中隊検閲を前に「対遊撃」の座学、そして検閲の日程などを教育するのだ「治安出動下において大事になってくるのは『警察官職務執行法』の武器使用に関する項目で…」
パソコンを操作し、プロジェクターで映し出されたパワーポイントの画像が切り替わる。難しい法律の文言が並び、それに伴って武器を持った人の絵が出てくる
「『警察力比例の原則』というのが武器使用の権限にからんでくるわけで…」
ザーッとカーテンが引かれ、7月の明るい光が自習室に差し込んでくる「…というわけで、今の法律では我々が行動を起こす際、十分とは言えない部分も多い」と岬2尉
「今回の検閲では小難しい法律は抜き、今までと同じ交戦規定を使う事ができる。だが本来の対遊撃は厳しい法律の元で行動する必要がある、と言う事を頭に入れておいてくれ」そう言ってパワーポイントを終了させた
「今何時だ?」「10時10分ですね」「よし、10時半まで休憩!」バラバラと隊員たちは席を立つ
教育の内容は、赤城士長にとってはガックリとくるモノだった
自衛隊を取り巻く環境、隊員に「死ね」と命令せんばかりの法律、その法律を作った政治家や官僚たち、そしてそういう状況を黙認してきた国民…
入隊前、父や兄たちの仕事を見て話も聞いてきた。雑誌やニュースなどである程度の現状は知ってるつもりだった
その上で自衛隊に入り、最前線の普通科中隊を希望した
そこで知った部隊の現状、現場と政治、そして世論との乖離、正直「期待はずれだったかも…」と最近思い始めている自分に気がつきはじめている
(何のための厳しい訓練なんだろう…茶番劇みたい)
と物思いに伏せる赤城士長に「なんか暗いな、どうした?」と声をかけてきたのは田浦3曹だった「あ〜いえ、別に…」「まぁあんな話聞いたら暗くもなるわな〜」と横から井上3曹
「はいコーヒーや」と缶コーヒーを田浦3曹に手渡す。自分もカフェオレの缶を開ける「ま〜今回はあんまり法律とかを気にせんでいいから助かるわ」
「しかし実際の戦闘で、ああいう手順を踏めるものかね?」と田浦3曹がコーヒーを飲んで言う「やらんかったら逮捕やろ?かなわんな〜」と言って笑う「いや、笑えないです…」ポツリと赤城士長がこぼす
「まぁ昔は暴徒鎮圧の訓練もあったくらいだし、事が起こったり法律ができてから訓練しても遅いってのもあるんだろうな」と先任が入ってきた
「あ〜なるほど…」納得する田浦3曹「実際に出動する話はあったんですか?」井上3曹が聞く「待機はあったな。『あさま山荘』事件とか東大紛争とか…」3人が生まれるよりかなり前の話だ
「そりゃ〜古い!」「映画見ましたよ」などと口々に話し始める
「ま、我々は我々のやれる事をするだけさ。難しく考えると疲れるぞ」『中隊の母』とも称される先任の言葉にうなずく3人であった
さらに教育は続く。今度は検閲を含む演習の日程や計画だ
「出発は月曜の朝6時、演習場に到着後すぐに天幕設営、隊容検査は火曜の昼、状況開始は夕方から…」岬2尉がパソコンを操作する
「35kmの行軍からここ、プレハブ倉庫の周りに防御陣地を設営、これは対戦車小隊が担当」演習場の地図がスクリーン上に現れる
「迫は少し離れたこの広場に陣地構築、小銃小隊はゲリラの襲撃まで後方のこの森で待機。本格的な行動は対戦が敵を追い払ってから始まる」地図の縮尺が大きくなる
「ここ『小谷川』を越えて『歩兵の森』に敵は脱出する。この森を1列横隊で敵の掃討に入る。状況終了は木曜日H時。2夜3日の状況だな」
「安全管理は連隊の規則通り、着剣はいかなる状況でも禁止する」白兵戦になる可能性が高いので、銃剣を銃に付けると何か問題が起こる可能性が高い
「敵について…敵は7名前後の2コ班、1班は2中隊の荒川2尉が率いるレンジャー選抜隊だ」ホウっとため息が漏れる。荒川2尉は2中隊の運幹で、レンジャー教育隊の先任教官でもある「手強いな…」と誰かが漏らす
「そして2班は、情報小隊長の真田2尉率いる情報小隊選抜隊だ」それを聞いた瞬間、自習室に戦慄が走った「えぇっ…」「真田2尉かよ…」と急にざわめき始める
「?まぁとにかく敵については以上だ」と状況の読めないまま岬2尉が言った
「細部は田浦3曹から」そう言って岬2尉はパイプ椅子に座る「では…え〜まずバトラー器材の受領・装着は行軍終了後に実施します。無線の周波数は…」細かい部分を説明する田浦3曹
「何か質問ありますか?」誰かが手を挙げる「隊容検査時の背のう入れ組品は?」「連隊の基準通り、また提示版に張っておきます」
「弾薬の受領は?」「それは行軍後、車両を停めてる『ヘリポート広場』で。バトラーの受領もです」
「食事は?」「全部携行食、火曜の夕方から木曜の昼まで状況前に一括受領です」よどみなく答える田浦3曹はやはり優秀なのだろう
質問も終わり中隊長がまとめに入る「戦闘団検閲がない今年度は、この検閲が中隊最大の山場となる。全員気合いを入れていくように!」いつになく熱い中隊長だった
事務所に戻ってきた田浦3曹に声をかけたのは岬2尉だった「なぁ田浦、真田2尉って何者?なんでみんなあんな反応を?」「…知らないんで?そうか、岬2尉は多方面から転属されてきたんでしたね」そうして田浦3曹は「伝説」を話し始めた…
数年前に実施された「北方機動演習」北海道は釧路地方の矢臼別演習場に1個師団が移動し、そこで1ヶ月にわたって訓練するという大規模演習だ
その演習の最後に、師団の全部隊が状況に入る「師団規模演習」が実施された。別の師団から補助官が派遣されるという大規模なものだ
我が連隊は他の2個戦闘団を相手に防御→攻撃に移るという任務を受けた。相手の連隊の一つは戦闘団検閲なので、どちらかというと「負け役」のような役割であり、実際に対抗部隊として編成・運用された
「ある程度自由に部隊を動かせる」と判断した連隊長は、各中隊のレンジャー要員を集め「遊撃隊」を編成した。その中の班長が1中隊に所属していた真田2尉(当時は3尉)で、自身を含め10名の隊員で敵の前線後方に潜入した
「そこからがすごかったんですよ…」どよんとした顔を向けて田浦3曹が言う
敵陣に潜入した「真田遊撃班」はまさに忍者のように敵陣を駆け巡り、敵CTCPの位置や地雷原、特科の射撃陣地の位置…などの各種重要な情報を送り続けた
それだけでなく敵の小銃中隊CPに「爆弾」と書かれた箱を置いたり、戦車中隊の陣地に潜入して戦車の砲頭に木の枝を突っ込んだ
さらに各種地雷やトラップなどを要所要所に仕掛け、橋の爆破を成功させたりと、たった10人で1個戦闘団を48時間も足止めさせたのだ
「状況終了時は師団長の宿営天幕まで10mの位置に潜伏してたそうです」と田浦3曹「訓練を視察してた方面総監はいたく感動して、真田2尉に直接お祝いのお酒を渡したとも言われてます」
「真田2尉以下10名の隊員は以降『真田十勇士』と呼ばれ、方面管内では知らないものがいないくらいの有名人になったんですよ」最後をしめたのは先任だ
「…」絶句する岬2尉「そんな人を相手にするのか…」「しかもなお悪いことに…」続ける田浦3曹「真田2尉は今度の転属で空挺に転出されるんですよね」
「…う〜ん」とうなる岬2尉。転属するということは、後腐れなく無茶な事もできるということだ「あの人の性格から言って、今度の検閲も本気で来ると思いますよ…」