まいにちWACわく!その32

番外編:田中士長の戦い 後編

面接も終盤にさしかかってきた「じゃあ自己アピールをしてみてくれ」と副連隊長が言う(キター!)と思う田中士長
「私の特技は…この2年間近く勤務している中隊本部勤務であります」田浦3曹のアドバイス通り、中隊本部勤務をアピールする
「各訓練や勤務等で必要な事、準備の大切さなどを覚えました。陸曹になってもすぐに役に立つ知識を持っていると思います」
一気にアピールを終える(突っ込まれるかな?)との予想に反し副連隊長は隣の科長達とひそひそと話をする

「それでは最後の質問だ」副連隊長が姿勢を正し言う「田中士長、絶対に陸曹になりたいかね?」当たり前の事を聞く「ハイ!」
「何でだ?給料は言うほど高くないし、世間からの名誉も得られないぞ」身を乗り出しさらに続ける
「むしろ一部市民からは蛇蝎のごとく嫌われている、非常呼集がかかれば親の死に目にもあえないかもしれん、イラク派遣でもわかるように、命がけの仕事でもある」
一息入れてさらに続ける「娑婆に出た方が楽かもしれんぞ、それでも陸曹になりたいのか?」


一気に言い切った副連隊長、田中士長は少し迷う(え〜?生活のため?いや、そんな理由で陸曹になりたい訳じゃ…)
少し考える、そして…(そうだな、これが理由だな)

「自分には妻がいます、いつかは子供も生まれると思います。日本には、そして世界には自分のような家族が何億といます」
一息入れて続ける「その家族を一人でも多く守りたい、イラクでも東ティモールでも、そして日本でも…」
うなずく副連隊長「ま、もちろん生活のためもあるんだろうがな」「はい、否定はしません。でもそのためだけに陸曹になるわけではありません」
「よし、お疲れさん!退室したまえ」「ハッ!」そう言って基本教練どおり退室する田中士長であった

「ふ〜緊張した…」営外者室に帰りため息をつく(あれでよかったのかな?ま、終わった事を考えるのはよそうか…)
そう考え、昼食を取りに売店に向かった

午後の後段に体力検定、中隊全員でアップをする「面接で何を…」「分隊教練どうだった…」会話しつつ体を温める
「いいか〜明日の事は考えるな!全力でいけよ!」アップを監督する倉田曹長が檄を飛ばしていた


連隊の受検者が全員集合して各競技の説明を受ける「もう何回も受けてるんだけど…」そう呟くメンツも多い

まずは50m走、記録6秒7「やっぱり鈴木が強いよな…」そうぼやく田中士長

次は懸垂、鉄棒に飛びつく「い〜ち、に〜い…」数を数える。20秒を超えたあたりから腕がプルプルと震えてきた
(アゴだけでも上げないと…)どんどん体は落ちてきている、何とか踏ん張ってアゴだけでも鉄棒の上にあげる
「ごじゅうろ〜く、ごじゅうひ〜ち…」(なんとか60秒まで…)「ごじゅうきゅ〜う、ろくじゅう!ろくじゅうい〜ち…」ドサッ…何とか60秒まで耐えた
(でも後で「キリのいいところで落ちた」とか言われるんだろうなぁ…)

次に幅跳び、何度も練習してタイミングも覚えた(5m超える!)そう自分に暗示をかけて助走を始める。踏み切り板にピッタリ右足が来た
(キター!)上に向かって体を伸ばす。右足で踏み切り勢いよく飛んだ(鳥みたいだ…)と一瞬感じ着地する
3科の計測員が記録を読み上げる「5m02!」(よしっ!)心の中でガッツポーズをする
あきらめの悪い受検者が3度、4度と飛んでいる「3度目以降はあまり意味無いんですよね」とは鈴木士長の意見だ。彼は余裕の6m越え、さすがである


次に大詰めの1500mだ。何かと3戦技の一つである持続走は何かと注目されやすい
「と言っても一つの戦技ばっかりやってる隊員は使えないんですけどね、成績とか出やすいけど中隊本部としてはいりませんね」とは田浦3曹の言葉だ
とはいえある程度の成績を出さねば合格は難しい、中隊の受検者全員で体をほぐす

ピンポンパンポン…「本日1610より陸曹候補生2次の体力検定、1500m走が実施されます。業務に支障のない方は応援に参加されたい…」
「おいおい、応援なんてやめてくれよ〜」誰かのぼやく声がする。放送があってから暇な隊員がぞくぞくと集まってきた
「けっこういるな…」田中士長がぼそりと言った「これはなんかイヤですね」とは鈴木士長だ

スタート3分前、受検者がスタート位置に集合する。持続走錬成隊の要員はランニングパンツにシャツというやる気満々の格好だ。背中には「陸上自衛隊」と書かれている(恥ずかしくないのか…)と内心思う田中士長であった
スタート1分前、みんなの緊張もピークに達する。屈伸する者、太股をぴしぴしと叩く者、いろいろである
ついにスタート10秒前、自分の心臓の鼓動も聞こえてきそうだ。いっせいにみんな無口になる
時計をストップウォッチに切り替えスタートボタンを押す

「位置についてぇ、用意…」パン!とピストルが鳴り、受検者が一斉に走り出す


歓声がわき起こる「前について行け〜!」「あご上げるな!」「腕振れ!腕振れ!」(好きな事言いやがって…)と内心思う
いきなり飛び出したのは持続走訓練隊の要員だ、相手にせず自分のペースを守る田中士長
(鈴木は…いた!)少し前に鈴木士長の背中が見える。黒字に白のレンジャー徽章がプリントされ、その上に「#○○RANGER」と書かれている
徽章の下にはレンジャー同期の名前がある。レンジャー訓練隊で作ったTシャツらしく「ここ一番の時はこれを着るんです」と本人が言っていた

筋肉痛は無い、昨日までの疲れが嘘のように体が軽い(小野3曹に感謝だな…)その小野3曹もギャラリーの中にいたようだ
調子よく飛ばす田中士長、1周目の後半まで鈴木士長の背中を追い続けている(このままいけるかな?)と思った瞬間、急に息苦しさを感じ始めた
(やばい!ペースを上げすぎたか…)そう思い少しペースを落とす。スタート地点が見えてきた、ラップタイムを読んでいるのは赤城士長だ

「2分31!32、33…」半分弱で2分半、5分ぎりぎりか少し越えるくらいのペースだ(もう少し…もう少し早く!)とは思うがなかなか足が前に出ない
鈴木士長の背中も遠くなった、300mは離されたか。呼吸も荒くなりアゴも上がる。誰かが「アゴを引け!」と言ったような気がしたが、もうそんな余裕はない
(あと400mくらいか…)コースは外柵沿いにさしかかる、学校帰りの小学生が笑いながらこっちを見ているが、田中士長にはもう外を見る余裕もない
(もう少しペースを落としても…頑張ったじゃないか、もういいや…)あきらめの心境になりペースが落ちそうになったその時

「がんばれ〜!」外柵沿いから妻のかなたの声が聞こえた、ような気がした


(!…かなた?)目だけを外柵沿いに向けるが、すでに後ろの方になっているのか誰も見えない
(空耳?いや…聞こえた、はっきり聞こえた!)今までの呼吸の苦しさ、足の重さが急に楽になった気がした
外柵沿いを抜けてラスト200mは直線だ。鈴木士長がゴールするのが見えた
(よし、最後だ!残りの力を振り絞って…)残った力をフルに使い全力でダッシュする。後の事は考えず、首を振りよだれを流して全力疾走する

「止まらないで歩いて…こっちです!」いつのまにかゴールしてたようだ、赤城士長に連れられグランドに入る
先に入っていた連中が、歩いて呼吸を整えたり膝をついて休んでいる。田中士長もその場に倒れ込んだ
頭は真っ白になり呼吸も荒い、誰かが紙コップに水を入れてきてくれた。少し口に含んではき出す、少し呼吸が落ち着いたような気がした

最後の走者、本管のWACが入ってくるのが見えた(確か東間士長だったか…)これで試験は終わったらしい。受検者は数分後に集合のようだ
ふっと思い出したように時計を見る、ストップウォッチは7分になっていた(タイムはどれくらいだったんだろう?)ちょうど近くを通った田浦3曹に聞いてみる

「田浦、オレはどうだった?」持っていた図版に目をやり田浦3曹がほほえむ「4分57!5分切れましたね」そう言って親指を立てる田浦3曹
(そうか…5分切れたか)いままで達成できなかった目標に届いた、田中士長は満足感を覚えた


全受検者が集合し整理体操をやって解散となった「試験結果の発表は6月!それまで事故等を起こさないように」人事幹部が注意喚起をする
中隊に帰ってきた、もうすでに終礼は終わっていたらしい「先任、試験終わりました」先任者でもある田中士長が報告する

受検者の前に中隊長がやってくる「全力を出したか?」と質問をする「ま、ここまで来たらあとは俎の上の鯉だ。ジタバタするなよ!」そう言って先任に交代する
先任が言う「合格発表は6月の中旬、それまで服務事故とか起こさないようにな!」もう耳にたこができるくらい同じ事を聞いた
「それから…明日から日曜まで休暇になったから、ゆっくりと休むようにな」やった!とみんな笑顔になる

「やっと休み、いや外出できる〜」と唸っているのは三島士長だ。この半月ずっと外禁だったらしい
(さてオレは…どうするかな)そう思いつつシャワーを浴びて中隊本部に入っていった

「お、お疲れさん!」残業していた先任が声をかける「ゆっくり休めよ、奥さんにも花束くらい買って帰ってやんな」とアドバイスを受ける
(そうか、花束か…)そう思い休暇証を受け取り帰路に就く。先任に言われたとおり近くの商店街で花束とケーキを買った

(そういやアイツ、今日来てたのかな?)1500mのラストに聞いたあの声、自分の妻の声を間違えるとは思えない(…ま、いっか)
今日くらいは難しい事を考えないで、今までいろいろ我慢して励ましてくれたかなたに「ありがとう」とでも言おう…そう思い家のドアの前に立つ

(この花束見たらどんな顔をするかな?)そう思いつつチャイムのボタンを押した…

番外編ー完



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