番外編:田中士長の戦い 前編
時はさかのぼって4月中旬…
陸士長・田中大介。年齢29才、主特技は小銃、現職務は中隊本部給与付兼中隊長ドライバー
所有特技は初級装輪操縦・けん引・初級部隊通信・らっぱ・補助担架と陸士の持つ特技のほとんどを持っている
入隊は飯島士長は柳沢士長より下、田浦3曹や井上3曹より上の季節隊員
高校卒業後電気店で働いていたが、バブル崩壊後の不景気であえなく倒産したために自衛隊に入隊した
当初は2〜3任期で満期退職の予定だったが、入隊前から付き合ったり離れたりしていた彼女と結婚したのを期に陸曹になる事を決意
給与付を命ぜられてから勉強をして3回1次試験を合格。今回が2次4回目のチャンスであり、年齢的にもラストチャンスと言われていた
2次不合格の理由は体力。決して極端に悪くはないが、最近の候補生のレベルでは少し見劣りしていた
今も体力検定科目の1500m走を計測しているが、鈴木士長を始め若い連中にはだいぶ先を行かれている。後ろに三島がいるのが救いか…
「5分12!」田中士長のゴールに合わせて倉田曹長がタイムを読み上げる。先にゴールした連中が歩きながら深呼吸している
「もう少し頑張らないとな〜」少し残念そうに倉田曹長が言う「…長距離は…ハァ…苦手で…」息継ぎをしながら田中士長が答える
「持続走は努力次第で伸びる!あと少しで5分切れるじゃないか」「けっこう…ハァ…頑張ってるんですが…」「まだまだ!もうすぐGWだが、しっかり走っておけよ!」
一日の訓練を終えて家に帰る、近くの2DKで妻の「かなた」と二人暮らしだ「ただいま〜って言っても誰もいないか…」かなたはバイトに出ている。食事の支度をする田中士長
ご飯ができあがる頃、かなたが帰ってきた「ただいまっ!ご飯できてる?」セミロングの髪を後にまとめたかなたは玄関を開けるなりキッチンに飛び込んできた
二人で夕食を食べる、今日のメニューは豚肉のショウガ焼きにみそ汁、ゴーヤのサラダだ「今日はどうだった?面接なんて何年ぶり?」質問をするかなた、田中士長は「ん〜?あぁ…」と生返事だ
「ちょっと〜ちゃんと話聞いてよ!」少し怒ってみせる「疲れてるんだよ…」ボソッと言う田中士長、食事もあまり進んでいない
「若い連中と一緒に走り回ってるんだから…勘弁してくれよ」「まだ若いじゃない?30代でも体力ある人いるんでしょ?」「そういう人たちは例外だよ…」「そう?」首をかしげる
「オレなんて人に自慢できるモノが無いんだから…体力も戦技もさ」「…自衛隊の事はわからないけど、今の大介クンは私でも採用しないよ」妻の辛辣な発言に思わず顔を上げる田中士長
「だってさ、そんなイジイジした人が上司になったら部下の人がかわいそうだよ」「…」「体中からオーラが出てるよ『オレは負け犬です』ってね」
さすがにカチンときた田中士長「お前に何がわかるってんだ!毎日化け物みたいな連中と一緒に体鍛えて、後輩連中にも抜かれて働いてるのは誰のためだと思ってるんだ!」
「少なくとも『私のため』なんて言わないでよ、私はあなたが頑張るためのエサじゃ無いのよ」じっと田中士長を見据えて言うかなた
さすがに言葉に詰まる田中士長「…お前にゃわかんねぇよ…」ボソッと言って残りのご飯をかき込んだ
今日は朝から分隊教練、昼には演習部隊が帰ってくる。また今晩は中隊長の面接かな…?とみんな考えていた
「GW中も午前中は2次試験の錬成訓練を行う」と先任から伝えられたのは昼の集合時だった「…!」みんなの顔が曇る
「教官要員は中隊本部が持ち回りで実施する」「あの〜先任?代休とかはどうなるんで…」みんなの心配事を口にしたのは三島士長だ
「あのなぁ…そんなの心配してて陸曹になれると思ってんのか!?」と補給の林2曹「はぁ…」不満そうな顔で答える三島士長
そんな二人を手で制して先任が言う「休日の錬成は2日で1日の代休をつける、試験が終わってからも休暇が取れるようにしてやるから…」
みんな不満そうだが仕方ないといった顔をする「頑張りましょうよ!」と元気なのは鈴木士長だ
家に帰る田中士長、妻のかなたにGWの予定が潰れた事を言う「…ふ〜ん、う〜ん…わかった、頑張ってね!」意外とあっさり納得する
「もっと不満そうな顔をすると思ってたけど?」「新隊員の時とかに残留とか訓練とかってあったじゃない?もう慣れたわよ」
「そういや地震で3種勤務がかかってデートの約束が潰れた時もあったもんなぁ」「あの時に一度別れたもんね、よく覚えてるわよ」
お茶を飲んで一息「頑張れるとこまで頑張ってみたら?バイトのシフトも変更して貰うから」「う〜ん、わかった…」
暑い中、そしてみんなが休んでいる中で訓練する2次受検者たち「縦隊右へ〜進め!」各中隊の分隊教練の声がグランドにこだまする。どこの中隊もGWは錬成してるようだ
「やってて正解かもしれませんね」今日の面接の練習を担当する田浦3曹が言う「でも休みが欲しい…少しでも…」呟くのは三島士長だ
三島は何故か昼からも練習して(させられて?)いるらしい。身も心もボロボロ…といった感じの三島を無視し、田浦3曹は言葉を続ける
「田中士長はやはり自己アピールが苦手ですね、何か特技とか無いですか?」と聞く田浦3曹「…ピンと来ないんだ」言葉を詰まらせて田中士長が答える
「車両の距離はどうですか?もうすぐ2万Kmでしたよね?」「あと1000Kmもあるんだが…田浦は試験の時何にしたんだ?」
少し考えて答える「『要領がいい』って答えましたね。漠然としてていんですよ」「要領ね…」さらに考えて答える
「田中士長は事務所に長くいるんですから、『事務仕事は得意です』ってのはどうですか?」「事務?陸士がそんな…」「事務はバカにできませんよ、大変なのは知ってますよね?」
そう答えて今度は鈴木士長のところに向かう「鈴木はレンジャー出てるんだから…」と各人にアドバイスをしている
(田浦は頭がいいよな…)ぼんやりと思う田中士長
(昔からそうだった…指示だって一回聞いたらすぐ覚えたし、要領も確かによかったからな。井上には射撃があったし…オレは事務しかアピールできないのかな?)
長いGWも終わり試験前日になった。体力検定科目は結局記録更新とはいかなかった
軽く走って汗をかき終礼に出る「じたばたせずに自分を信じろ!」とは中隊長の言葉だ
帰り支度をする田中士長に声をかけてきたのは3小隊の小野3曹だ「よう田中!ちょっとツラ貸せや」そう言って畳敷きの娯楽室に向かった
「体中痛いだろ?」娯楽室に入り小野3曹が言う「ええ、まぁ…」「よし、うつぶせになれ」「?」「ま、いいからいいから…」
そう言って小野3曹は田中士長をねじ伏せた「よし、まずは…」ふくらはぎに激痛が走る「!」「力抜けよ、よけい痛いぞ」丸太のような腕でマッサージを始めた
「よし終わり!」手をはたき立ち上がる小野3曹「…」田中士長は死んだようになっている。ドラクエなら「返事がない、ただの屍のようだ」と表示されるであろう
「あとな…」そう言って袋から何か薬みたいなモノを出す「これはクエン酸、こっちは…」どうやら栄養剤とかのようだ
「ちゃんと飲めば効果が出るからな」そう言って横になっている田中士長の前に置く「どうも…です…」かろうじて礼を言う
「礼なら中隊長に言いな、結構高い買い物だがあの人が自腹を切ったんだから」そう言って立ち去る小野3曹
しばらくしてから立ち上がる「…!」体が軽い、さすが体育学校仕込み…と感心する田中士長であった
軽い体で家に帰る「ただいま」おいしそうなご飯のにおいがする「おかえり〜今日は定番だけどカツにしたよ!」
食卓に付く「敵にカツ…か」「定番すぎた?」「いや、いいけど…」そして今日あった中隊長の言葉や小野3曹の事を話す
「期待されてるんじゃない?頑張ってよね!」「うん…」「ま〜だ自信無いの?もう…今日は早く寝た方がいいわよ、私も早番だから」意外とあっさり言われる
「…」食事を済ましさっさと片づけをする妻を見て、田中士長は(オレって妻にも期待されてない?)と疑心暗鬼に陥ってしまった…
翌朝、6時に目を覚ます田中士長。もうかなたはバイトに行ってしまったみたいで気配がない「…おはよう」寂しく一人呟く
洗顔、歯磨きをすまし、通勤服を着てキッチンに入る「?」テーブルの上に朝食と手紙が置いてあった。手紙を開く
(頑張って!)そしてハートマークが描かれている
手紙を置き朝食を食べ始める田中士長、その目には生気が宿っていた…
2次試験が始まった。まずは分隊教練、これはミスもなくクリアした。試験を見に来ていた田浦3曹が声をかける
「お見事です!幸先いいですね」「ん?ああ、今日のオレは昨日のオレと違うって事さ!」「…?」
次は面接「田中士長!名札がゆがんでますよ」そう声をかけてきたのは赤城士長だ「あぁ、アリガト」制服の名札をつけ直す
(この子が来る時は大変だったな…でもいい子でよかったよ)「?私の顔に何か?」「いや、何でも…」慌てて頭を振る
「頑張って下さい!一緒に陸教で特技課程受けましょう!」「ああ、行ってくるよ」
面接は連隊本部の会議室で実施される「受験番号14番、田中士長入ります!」基本教練通り会議室に入り、机の真ん中に座る副連隊長に敬礼する
「ん、まぁ固くならずに座りなさい」副連隊長が声をかける。試験官は副連隊長、各科長に人事幹部だ
1科長からは「誇り高き陸上自衛官の心得」に関する質問
2科長からは保全(特にインターネット関連)に関しての質問
3科長からは「訓練での留意事項」に関する質問
4科長からは「物品愛護」に関する質問
人事幹部からは「人事異動」に関する質問だった
(全部予想通り…さすが事務所の人たちは知ってるな)感心しつつ答える田中士長