その日の夕方、田浦3曹は駆け足を終えてトレーニング場(といっても鉄棒と腹筋台、砂場と鉄アレイがあるだけ)にやって来た。
(さて、少し筋トレでもするかな?)少し体をほぐして鉄棒の位置まで来た田浦3曹は、そこで赤城1士を見かけた。「おや、筋トレ中かい?」と声をかける
「ハイ!班長も?」「ああ、事務でもやっぱり体動かさないとね〜まだ26だしね」そう言いつつ鉄棒にぶら下がる。横を見ると赤城1士も鉄棒にぶら下がっている。そして…
「フンッ!」と気合を入れて懸垂をはじめる、1回2回…10回やってしばらくぶら下がってから降りてくる。田浦3曹は呆然としてそれを見ていた…
「すごいね…」ボソリと言う「もっと鍛えたいです!」屈託のない笑顔でそう答える赤城1士、肩を回して腹筋台に向かう。
(こりゃ迂闊に手を出したやつはえらい目にあうな…)田浦3曹は少し安心した…
「ところで先任から宴会の件は聞いた?」柔軟体操をしつつ聞く「はい、明日ですね?クラブですよね?」腕立て伏せを終えて赤城1士が答える。
「うん、岡野2曹と中村3曹も誘ったよ、ところでまだ未成年だよね?」「はい。あと1年と3日で二十歳です!」「もうすぐ誕生日なんだ?お酒は飲める?」「少しなら…」
柔軟を終えて立ち上がる「じゃあ大丈夫だね、飲みすぎには注意してね」「ハイ!…あの〜少し聞いてもいいですか?」ちょっと上目使いで質問してくる。
「なに?」「今週末の休みは外出できますか?」ちょっと心配そうに聞いてくる
「まぁ今いる1士2士連中も最初の週は外出させてたからいいんじゃないかな?何か用事が?」「はい、中村3曹と本管のWACの皆さんが、宴会開いてくれるそうなんです」ちょっと嬉しそうに顔を赤らめて言う。
「そうなの?よかったね〜じゃあ僕からも先任に言っておくよ」「ハイ!ありがとうございます!」疲れも見せず元気に答える。
「じゃあ風邪引かないようにね」「お疲れ様でした〜!」
「…それでは、赤城1士の今後の活躍を祈念して…かんぱ〜い!」「かんぱ〜い!」ガチャンとグラスの合わさる音がする。
翌日1830、クラブ「一番星」の座敷席で歓迎宴会は始まった。上座には先任と赤城1士、机に並んでるのは鍋に刺身、揚げ物少々という定番ものだ。
「まぁまぁまずは…」「…ささ、どうぞどうぞ…」座敷のあっちこっちでビールが注がれていく「さぁ、今日はおごりだからいくらでも飲んでね」先任が赤城1士のグラスにビールを注ぐ。
「先任、未成年にあんまり飲まさないでよ〜」中隊本部のNo2、倉田曹長が声をかける。「あんまり飲めないかい?」先任が一応といった感じで聞く。
「父とか兄たちに少し飲まされてましたから、ちょっとなら大丈夫ですよ」二口ほどビールを飲み赤城1士が答える。
「確か海自の人だったよね?」「ハイ、一応総監なんてやってます」何も気にせずサラッと口にする。「なんでお父さんのとこに行かなかったの?」刺身を口に運びつつ先任が聞く「あ〜俺も聞きたいと思ってたんだよ」横から顔を出したのは田浦3曹だった。
「そうですねぇ…私は陸海空どこでもよかったんです」赤城1士は続ける「海自にいったらイージス艦に、空自にいったら戦闘機パイロットを目指すつもりでした」
「やる気満々だねぇ…」先任が感心したように言う「じゃあ特に陸希望じゃなかったんだ?」田浦3曹が串カツをつまみつつ聞く。
「そうですね…もしかしたら父と叔父が気を遣ったのかもしれません、叔父も空自の団長なんてやってるんです」「身内を入れると贔屓してしまうからかな?」「どっちにしろ曹だから、接点はあんまりないんですけどね〜」
「普通科中隊熱望だったらしいね。やっぱり最前線に行きたかったの?」「ハイ!やっぱり自分を試してみたかったのです」
「何のお話ですか?」中村3曹がやってくる「赤城1士の普通科志願の理由さ、知ってた?」田浦3曹が聞く「えぇ、前に少し話してましたよ。頑張ってますよね〜」
「ありがとうございます〜!」少し酔ったのかハイテンションだ「大丈夫?金曜の晩もあるんだから無理しちゃダメよ?」中村3曹がたしなめるように言う、まるでお母さんのようだ。
「まるでおかあ…ウグッ!?」思わず口を開いた田浦3曹の口を先任と倉田曹長がふさぐ。怪訝な顔をする中村3曹「なんでもないよ、なぁたー坊?」倉田曹長がニヤリと笑う。
「お前の言いそうなことはわかるさ、新兵のお前を鍛えたのは誰だったと思う?」耳そばで倉田曹長はささやく。
「おっ、盛り上がってるのぉ」ビールを持ってきたのは権藤店長だ「お〜べっぴんさんが2人も!やるのぅ先任」先任の肩を叩きつつひゃっひゃと笑う。
「昭南島の芸子さんを思い出すわい」「こないだ満州って言ってたじゃない」すかさず先任が突っ込む。
(昭南島ってなんですか?)赤城1士が聞く(シンガポールの事だよ、権藤さんは元軍人らしいんだ)倉田曹長が答える。
わいわいがやがやと宴会の夜は更けていく…
翌日…冬晴れが宴会で二日酔いの中隊本部を直撃する、こんな日は暖かい日差しも恨めしい…
そんな中、赤城1士の「通信陸曹補佐」業務が始まった。
「まぁまずは、うちにある資材の事を覚えていってくれ」二日酔いでフラフラになりつつ、岡野2曹が教育を始める「これは1月から始まる部隊通信の教育の予習でもあるから、しっかり覚えるようにな」
そう言って倉庫の中に入っていく「まず普通科中隊の通信は、FM無線と有線が主になっていく…」
一方、中隊本部では… 「あ〜腹いてぇ…トイレ行ってきます」田浦3曹が腹を押さえてトイレに駆け込む(昨日の刺身にあたったかな?)そう思いつつ個室に入る
(ふ〜すっきりした…)出すものを出してすっきりしたその時、誰かがトイレに入ってくる音が聞こえた。その音は小便器の方に向かっていく。
続いてまた誰かが入る音、後から入ってきた人物が声を出した「おぅ、お疲れ近藤曹長」声からすると迫小隊の井坂2尉のようだ。
先に入っていたのは迫小隊の小隊陸曹、近藤曹長のようだ「お疲れです小隊長」という声が聞こえた
しばらくの沈黙、近藤曹長が口を開く「あの赤城をウチに入れるって話があるというのは本当ですか?」「…ああ、そういう話もあるらしいよ」自信無さげに小隊長が言う。
30代と若い井坂2尉に比べて近藤曹長は40代後半、どちらかというと近藤曹長が小隊内でのイニシアチブを取っている。
「女なんか要りませんよ、断ってくれよ小隊長」「いや、しかしだね…」「俺の部下に女が来て何させるんですか?ふざけた事されちゃ困るんですよ!」かなりきつい口調だ。
水を流してジッパーを上げる音が聞こえる「いいですか、断れないんなら私が中隊長に言いますよ」そう言い捨てて近藤曹長はトイレから出て行った。
「はぁ…」ため息をつく井坂2尉、そうしてトイレから出て行った。
(…こりゃあまずいなぁ…)ケツを拭きながら田浦3曹は考えていた…
「そうか…」先任が渋い顔をする。
田浦3曹はトイレから帰るなり、先任を日中は使わない当直室に呼んでさっきの件の話をしたのだ。
「まずくないですか?」「そうだな…まぁいつか出る話だとは思っていたがな」腕を組みう〜んと唸る。
「とりあえずこの話は他言無用だ、いつか時機を見て中隊長に話すよ」「わかりました」
先任が事務所に帰ってきたとき「お〜ちょうどよかった、先任電話だよ」と村上2曹が電話の受話器を持ち上げた。
「はい、かわりました佐藤です」(どうも恐れ入ります、戦国茶屋の田中です…)中隊宴会の会場となる「戦国茶屋」からだった。何かの調整事項のようだ
この地域には中隊規模の人員を収容できる宴会場が3つある。3店がしのぎを削っているために料金はかなり安い。
しかし、もし2店が潰れて1件だけになると料金が跳ね上がる恐れがあり、そのために各中隊の先任が「公平に3店を使うよう」調整をしている。
「じゃあ21日に、人数は128名です、少し変わるかもしれませんが…」(わかりました、では…)