駐屯地の怪談:中編

「こりゃ〜アレだよ。『鏡の中の指導軍曹』が復活したんじゃね?」「いやいや『泣き虫3尉』の呪いですよ、きっと」
課業後、生活隊舎の喫煙所で営内者たちがあれやこれやと話している

「…何の話ですか?」ジュースを買いにきた国生2士が目を丸くする「知らないのか?いま話題の『呪い』の話だよ」と鈴木士長
「オレは『呪われた84』の霊じゃないかと思うんスけどねぇ」
「それだったら『怨念ガーランド』の方が有力じゃね?」
「『闇夜に響くモールス』とかもありましたねぇ」
何の話かさっぱりわからないのは国生2士だ「…全然話が見えないんスけど」

「最近、中隊で変なことが起こってるのは知ってるだろ?」と鈴木士長
「えぇ、井上3曹が幽霊見たり中隊旗が倒れたり…でしょ?」「中隊本部でパソコンが変になったり、床をいくら磨いても光らない…なんて事もあったんだ」「それが『呪い』っすか?でもガーランドとか84とかって何の話です?」
「この駐屯地に伝わる怪談話だよ、最近は教育隊では教えてないのか…」

「まず最初は『鏡の中の指導軍曹』からだな」
昭和も30年代の頃には自衛隊の中にもまだ旧軍経験者が多く残っていた。そんな中、この駐屯地にいたとある曹長…陸士達はその人のことを畏怖の念を込めて「指導軍曹」と呼んでいた
旧帝国陸軍に20年以上も在籍し、終戦時は古参軍曹だったというその人…いつもしかめっ面でいかめしいカイゼル髭を震わせては
「敬礼の角度が悪い!」「気を付けの姿勢が悪い!」「しっかり隊列を組まんかぁ!」etc…と中隊も階級も関係なく指導を入れまくっていたという
ある日、新隊員に基本教練を教えている時の事だった
新隊員たちのあまりの出来の悪さに顔を真っ赤にして怒鳴りまくっていた「指導軍曹」…だが頭に血を上げすぎたのか、途中で口から泡を吹いて倒れてしまったのだ
すぐさま病院に運ばれたが脳溢血でそのまま死亡…

「そのすぐ後さ、新隊員たちを指導していた場所にあった大きな鏡…その中に『指導軍曹』が現れるって噂が流れたのは」と中隊先任士長の飯島士長
「その鏡の前で消灯後に基本教練の練習をすると『○○が悪〜い!』とか言って怒鳴りつけるらしいぞ」「それは…その鏡ってどこにあるんですか?」国生2士が尋ねる
「…この隊舎の入り口さ」「!」ビクッとする国生2士、それを見て周りの隊員たちが笑う
「今はもう無いけどな〜」「…なんだぁ、びっくりした…」


「次は『泣き虫3尉』だな」と鈴木士長
「昔、防大出の若い3尉さんがいたんだけど…」と話し始める

防大を出て中隊配属されたその3尉だが、なぜか当時の連隊長に嫌われてしまったのだ
中隊長の頭を越えて連隊長から直接仕事を押しつけられ「言葉の暴力」と言ってもいいくらいの指導を受け、配属されて半年でノイローゼ状態になってしまったのだ
それでも幹部だから…ということで仕事も休ませてもらえず通院にすら行けなかったらしい
「…そしてある日、ついに首を吊っちゃったんだよね。しかも連隊長室の前でね」連隊長室の前には額や旗をぶら下げるフックがあったらしいが、この事件の後に外されたという
「それからというもの、夜な夜なコピー機の前で泣いているその3尉が中隊に現れるようになったらしいわ」

「『呪われた84』については簡単な話でね…」
84mm無反動砲、輸入元のスウェーデンでは「カール・グスタフ」というニックネームがあるが、現場部隊では単純に「ハチヨン」と呼ばれている
対戦車りゅう弾や対人用のりゅう弾、照明弾など各種様々な弾を発射することができる万能選手だ
無反動砲は後方にもガスを噴射し弾の発射されたときの反動を無くすものを言う。後方爆風の発射の反動にほぼ比例するために相当な威力がある
「で、射撃の時に間違って後方爆風で吹っ飛ばされた人がいるんだよなぁ…で、結局その人は死んじまってな」と小野3曹「それ以来、その砲で実射をしようとすると必ず不具合が起きるんだとよ」「不具合、ですか?」
「弾が不発射になったり、対戦車りゅう弾が的に当たっても爆発しなかったり…」「それってシャレにならないですね…」
「で、結局その砲で射撃は出来ないって事で『演習専用』てなことになったのさ。今でもどこかの中隊が使っているらしいぞ」「…笑えない話ですね…」

「ガーランドって人の名前ですか?」「見た事無いのか?古い小銃だよ」
どこの駐屯地にもある資料館、そこには旧軍の銃や軍服などが展示されている。基本的に一般公開もされており、予約さえすれば民間人でも入れるところは多い
この駐屯地にも資料館はある。それほど大きくはないが、なぜか銃器関係の展示物は充実している
M1ガーランドは第2次大戦中の米軍が使っていた小銃で、戦後発足した警察予備隊も採用した…というか余り物を回された、と言った方が近いかも知れない
戦争中に自分や仲間を撃った小銃は使えない、とガーランドを拒否した隊員も戦後すぐの頃には多かったという話もある
ちなみに国賓への儀仗を担当する保安中隊では、今でもこのガーランドが使われている
「資料館のガーランドはガダルカナルから沖縄までずっと使われてきたモノらしくてな…それを日本人に使わせるんだから、マッカーサーってのも気が利かねぇ野郎だったんだな」と毒舌な大宮3曹
「夜の資料館ではそのガーランドに殺された日本兵の怨みの声が聞こえるらしいぞ。今から行ってくるか?国生」「カンベンして下さいよ…」

「モールスって今でも使ってるんだな」「何かと便利らしいですよ」
師団単位の競技会では「銃剣道」「射撃」「持続走」(北海道の部隊では「スキー」もある)などが有名だが、師団によっては情報小隊が技能を競う「情報競技会」野外炊事能力を競う「炊事競技会」そして最近では「徒手格闘競技会」などがある
その中で師団の通信小隊が一堂に会して技能を競う「通信競技会」がある
通信小隊は必勝を期し、特にモールス信号の送信訓練を連日夜中まで行っていたらしい。そして一人の陸士が選手として選ばれた
ところが競技会当日、会場の師団司令部に向かう途中で官用車が交通事故に遭遇、その陸士だけが死んでしまったのだ
「それ以来、通信小隊の倉庫から夜な夜なモールス信号のツーツーって音が聞こえるらしい…」「らしいじゃなくって聞こえたんですって!この前警衛に付いたときに真っ暗な倉庫の方から…」と須藤1士が首を振る「ホント、あの時は肝が冷えました…」

「とまぁ、こういう怪談話がこの駐屯地にはあるっつうわけだ。ホントはまだまだあるんだけどな」と飯島士長が締める
「自殺した陸士が点呼に出てきた、とかありましたね〜」「この駐屯地、ホントは墓場だったって聞いたことが…」「あれ?旧軍の施設じゃなかったっけ?」
秋の夜長にワイワイと騒ぐ営内者たちだった


翌日「とまぁ、こんな話を聞きまして…」事務室の窓を拭きながら国生2士が呟く「あぁ、どれも有名な話だよな」と田浦3曹
総監の視察を控え、今日は隊舎の清掃を実施中…廊下の方からポリッシャーの音が響く

「おっかないですよね〜そんな怪談話ばっかりあるんですから…この駐屯地。よりによってこんな時に当直だもんな〜」渋い顔をする国生2士。今日は当直陸士なので夜中に当直室の電話番があるのだ
「今まで何もなかったんだろ?じゃあ大丈夫だよ。話を聞いたから不安になってるだけさ」「そうかもしれないですけど…」
「じゃあ安心する話をしてあげよう」後ろから先任が声をかけてきた「安心する話?」「何ですか?それ」

「『指導軍曹』の話は、俺の先輩が作ったんだよ」と言って先任が笑った「そうなんですか?でも何で?」
「若い隊員を脅かすためにな…あんまり基本教練が下手くそだと、消灯後にその鏡の前に連れて行くんだよ。まぁ効果のほどは不明だったがなぁ」
「そりゃ…実際には『指導軍曹』なんて出ないんですから、すぐに嘘だってバレるでしょうに…」
「だからさ、その話が今でも『怪談』として伝わってるのがちょっとビックリでね〜まぁ実際に当時、脳溢血で亡くなった1曹の人がいたのは事実なんだけどな」
「そういや曹長の階級も最近できたって聞いたことがあるな…」と田浦3曹。曹長と准尉の階級は、近年追加されたものなのだ
「旧軍で20年以上勤務してた人が曹長になれることは年数的にあり得ないんだから…最初からおかしな話が、何でずっと伝わってるのかねぇ?」先任も苦笑いする

「それでいったら『泣き虫3尉』の話もおかしいですね」「そうさ、さすが田浦だな」「どういうことですか?」わかってないのは国生2士だ
「コピー機自体がつい最近使い始めたモノなんだから『コピー機の前で泣きながら…』なんて話はあり得ない、ってことさ」
「これが青焼き機だったら信憑性があったかもねぇ」と先任

「じゃあ『呪われた84』は?」「それは聞いたことがあるけど…」チラリ、と先任を見る田浦3曹
「その話はウチの連隊じゃないし、使われたのも84じゃなくて106mm無反動砲の方だよ」106mm無反動砲は84よりかなり大型の砲で、ジープや小型の装軌車などに積んで使用する
「それに吹き飛ばされた人も死んでないよ。骨折だけですんだってその部隊の同期が言ってたなぁ」
「じゃあ何でそんな怪談話になったんですかねぇ?」国生2士が尋ねる
「噂なんてそんなもんだろ、それに教訓とするってのもあったのかもな」とこれは田浦3曹だ

「じゃあ資料館のガーランドは…」その言葉を遮ったのは補給の林2曹だ
「アレはM1ガーランドじゃないって、朝鮮戦争で使われたM2カービンだよ。だいたい見たらわかるだろうに…」林2曹は武器マニアなのだ
「資料にだってそう書いてあるだろ?」「いや、そんなにじっくり見たこと無いんですよ…」
自衛隊には思ったより「軍事マニア(オタク)」は少ない。資料館などもほとんどの隊員は行かない事が多いのだ

「じゃ、じゃあ倉庫から聞こえるモールスは…須藤1士が聞いたって言ってましたよ」
「そりゃ聞こえるときもあるだろう。アイツが警衛に付いた日は確か師団の通信訓練をやってたハズ…それにオレの知ってる範囲では、この連隊で官用車の事故で死んだ陸士はいないぞ」と言い切るのは田浦3曹だ
「通信の陸士が『私有車の事故』で死んだって話は聞いたことがあるな。それもバイクで、だけどね」先任が思い出したように言う

「なんだ、結局は怪談話なんて無いんじゃないですか…」呆れた顔をする国生2士
「噂なんてそんなもんだ。尾ひれが付いて広がっていくもんだからな〜今日は安心して当直勤務に就いたらいいさ」そう言って笑う先任だった


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