『…のような事件・災害に対し、これからますます国民が自衛隊に寄せる期待は…」連隊長は話が長い
秋晴れの日差しが容赦なく隊員を照らし続ける
(…話長げぇよ…)
頭を台上に向け、右手でしっかりと中隊旗を保持し、後ろに回した左手も微動だにさせていない
顔だけは真剣なふりをしつつ、田浦3曹は内心ウンザリしていた
入場時に何かの弾みで首に巻いたマフラーの結び目がずれてきて、それがさっきから気になっているのだ
直したいが手は動かせない、どころか首を少し回すこともできない。中隊長の後ろに控える旗手は目立つのだ
おまけに軍手の中には汗をびっしょりかいていて、表まで染み出しそうな勢いだ。敬礼の際に旗を振るのだが、汗で滑ってすっぽ抜けないかも心配だ
同様な思いは後ろの隊員たちも…
(あぁ、腰が痛てぇ…あと何人話すんだっけ?)と思いつつ、後ろに回した左手でコッソリ腰をマッサージする1曹
(ヒザがしびれてきた…)迷彩服の中、ほんの少しだけヒザを曲げる陸士長
(うわ、汗が目に入ってきた!)眼鏡の隊員が顔をしかめる。しかし手で汗はぬぐえない…
一見ビシッと統制の取れた動きをする隊員たちだが、実際の本音はこんなところだろう。ただあまりにヒマなので、普段は耳から耳へ抜けるような連隊長の話を聞いている隊員も実は多かったりする…
『…続きまして、県議会議員○野×夫さまからご祝辞を…』
3人目が話し始めると同時に、業務隊の方から人が倒れるような音がした
観客たちが慌てたようにざわめき始めるが、祝辞を述べる議員さんや台上の連隊長・来賓たちは心得たもので表情一つ変えていない
(あ〜あ…)(大丈夫かな…)(後何人くらい倒れるかな?)隊員たちも内心思うが、こちらも微動だにしない
長話にしゃがみ込む隊員もチラホラと出てきたところで、長い長い祝辞は終わった
が、次は…『続いて祝電を披露いたします』もう少しだけ、苦行の時間は続く
『…部隊は観閲行進の隊形に移行してください』そして動き始める各中隊・部隊
立ちっぱなしでヒザがしびれている隊員も多いがそれでも我慢、リズムに合わせて足を揃える
グランドを離れ観閲行進のスタート位置付近にさしかかると、隊員たちもだんだんとリラックスし始める
前に振り上げる腕は90度からだんだんと下がり、足の動きも少しバラバラになってくる。肩に担いだ銃も角度がバラバラになってきた
そして行進の始まりまで少しの待機時間、各隊員がヒザを回し腰を伸ばす
「あ〜長かった…」「あと少し話が長かったら倒れてたかもなぁ」「あとは歩いたら終わりか〜」隊舎の陰に隠れてくつろぐ隊員たち
しかし「それでは連隊本部、それと情報小隊!準備してください」行進の統制員が声をかける
観閲行進はCCVに乗った副連隊長と連隊本部が先頭、その後を偵察用のバイクに乗った情報小隊が進む
1〜3中隊そして業務隊と会計隊は徒歩行進、その後に4中隊が車両行進
その後は本管、重迫、対戦車中隊の特殊車両、特科のFH-70、高射特科の対空機関砲L-90、74式戦車、最後に駐屯地上空を通過するのは方面航空隊のUH-1とOH-6だ
「さて…やりますか」徒歩行進部隊の先頭を行く我が1中隊、旗手の田浦3曹も力が入る「1中隊、気をつけぇ!」中隊長の号令が響いた
『…最初に行進してまいりますのは観閲部隊指揮官、2等陸佐…』
CCVの上から顔を出すのは副連隊長と連隊旗旗手、音楽隊の演奏に合わせてゆっくりと連隊本部の幕僚たちがパジェロに乗って前進してきた
CCVの派手なエンジン音が駐屯地内に響く
が、ここ警備班の詰め所である外柵沿いの詰め所(外来宿舎の一室)には、デモ隊のシュプレヒコールの方が大きく聞こえる
「次はなんだと思う?」「え〜と、たぶん『じえいたいはぁ〜かいさんせよ〜』じゃないスか?」「オレは『へいわけんぽぉを〜まもれぇ〜』だと思うぞ」
カーテンが閉められた薄暗い部屋、3人の隊員が額を寄せ合って話している、外から聞こえてきたのは…
『いますぐぅ〜じゅうをぉ〜すてよ〜!』ちっ、と指を鳴らす隊員たち
「新しいパターンですね」「また外れた…」つまらん、という顔をして携帯を取り出す「オレは無反動砲手だから、銃を捨てても意味はないんだけどな」そう言うのは警備班に当たっている小野3曹だ
他中隊の隊員たちと警備詰め所に入って小一時間、外柵沿いには10名前後のデモ隊が見える
チューリップハットにマスク、サングラスをかけた中年男性がデモ隊のリーダーのようだ。そして副官とおぼしき大学生風の男、こちらは大きな眼鏡をかけている
後の面々はやる気の無さそうな若者たちと子連れの若い女性、中年夫婦が目に付くくらいだ
リーダーの中年男性はかなりの「大物」らしく、警衛所のみならずここ外来宿舎の一室や外の駐車場などから刑事たちが大きなカメラを持って張り付いている
しかしはっきり言って、駐屯地を襲撃できるような戦力には見えない。「朝霞事件」の例もあり警戒はしているが、それでも小野3曹たちはリラックスモード全開である
営門から少し離れた外柵沿いで騒ぐこと自体、彼らのやる気の無さが見て取れる
柵の内側で監視する隊員一名は30分交替、小野3曹の出番は次である
「さて、…じゃ行ってきます」警備班の班長に一声かけて、小野3曹は部屋を後にする
そのまま柵の前に向かい、今まで張り付いていた隊員と交代する
「お疲れさんです、何かありました?」「いや、特に無いですね。あの子がちょっと心配なくらいですか」指を差すと何かと問題があるので、視線だけを外に向ける隊員
若い主婦の手を握る5才ぐらいの子供が、暑さのせいかぐったりしてきているようだ
「…熱中症になりそうですね…ま、柵の内側からだとどうしようもありませんな」「ですね、じゃあ後は宜しく」警棒を受け取り、小野3曹は柵の外側に顔を向けた
「じえたいはぁ〜けんぽおいはんだぁ〜!!!」「じえいたいはぁ〜…」
同じようなセリフをもう30分以上叫び続けている。リーダーと若い大学生風だけが声を張り上げ、他の人間はやる気ゼロといった感じだ
(いい加減飽きてきたな〜つまらん)あくびをかみ殺し、それでも油断無く外のデモ隊を見続ける
さっきからシュプレヒコールの音頭を取っているのは眼鏡の大学生風、それを横から見ているのがチューリップハットのようだ
他の大学生風数名は小野3曹が来た時からやる気無しな顔をしている。中年夫婦は一応は声をあげているが、こちらは疲れ気味の様子…そんな中、若い主婦の傍らに立っていた子供が遂にしゃがみ込んでしまった
(今日はけっこう暑いからな、子供にはきつかろう)母親が慌てて水筒の水を取り出す。それを見た眼鏡の大学生風が彼女たちに駆け寄った
しかし子供の心配をするのかと思いきや、母親の腕を取ってすごい剣幕で何か叫び続けている
「…をしゃがんで…とこえを…こども…んけいあるか…われわれ…とうそうに…」どうやらシュプレヒコールに参加せず、子供の面倒を見ていることを非難しているようだ
(おいおい…子供の心配もしてやれよ)他人事ながら気になる小野3曹
満足そうにうなずくチューリップハット、そしてドン引きの表情を見せるその他の人々…主婦は子供を抱え上げ、眼鏡の大学生風に何やら言い返している
チューリップハットも混ざって何やら話をしているが、結局その主婦はデモ隊を離れていってしまった
残った面々の気まずそうな顔…シュプレヒコールの声も一気に小さくなった
そしてそのままイヤな空気のまま、デモ隊は流れ解散していった…
憎々しげな視線を駐屯地内に向けるチューリップハット
その上を数機のヘリが爆音を響かせて通り過ぎていった