自衛隊法第83条 その3

駐屯地の営門をくぐる先遣隊、出動したときは見送り付きだったが、帰ってくるときは地味なものだ
(まぁ昨日出たばかりだから当然と言えば当然だな)と高機動車の助手席に座る岬2尉は思った

朝まで道の駅で待機していた先遣隊だが、結局は夜明けとともに「撤収命令」が下された
まずは情報収集、被害状況の確認が必要であり、自衛隊の普通科部隊にできることは限られているのだ
現地の情報収集には1X旅団のヘリ部隊や偵察隊が動いており、各地に立ち上がりつつある避難所には衛生科部隊が派遣されている
防衛庁側も今後の状況の推移を見守り、追加派遣を実施するか検討する段階に入っているらしい

「…というのが現在までの状況です。今後の追加派遣は現在のところ不明…」事務室で田浦3曹から説明を受ける岬2尉
「ふ〜む、新聞とかある?」「今日の朝刊です」1面の見出しには大きく『N県で震度6、死者・行方不明者数十人、孤立集落多数』の文字が並ぶ
事務室に置いてあるテレビからは、最新のニュースが流れ続けている。大きな体育館に作られた避難所の映像、孤立集落の空撮映像には大きく『SOS』の文字、機体ギリギリの大きさの橋に着陸しようとしている空自のヘリの映像…
土砂崩れで埋まった住宅もあり、ここには地元の消防団と施設部隊が共同で作業にあたっている
「あの辺は山あいの村で孤立する人が多そうだな」「都市部のライフラインも寸断されているみたいで…」「雪国だからその点は丈夫に作ってるんじゃないか?」
事務室に詰める要員が口々に意見を交わす
とそんな中、事務室に3科から電話がかかってきた

「いや、まいったよ…寒いのに狭い高機動車の中で一晩中仮眠だって…寝れるワケねぇじゃん」営内班に帰った大島士長が待機している後輩に愚痴っている
「なんで待機だったんですかね?」「さぁね…なんか『行けないから』とか『現地の旅団に断られた』とか言ってたけどな」
実際は『救助部隊の需要がない、部隊が混交する』という理由なのだが、現場の隊員にはこういった噂が流れやすい
「旅団は大変みたいですね」「まぁ俺たちには関係ないさ。このまま何事もなく終わってくれたらなぁ〜」
しかし大島士長の心の叫びは届かなかった

「大島、いったん当直室前に集合だってよ」当直陸曹に呼ばれて行った先には、数名の隊員と何かの名簿を手にした田浦3曹が待っていた
(あ、何かイヤな予感…)その予感は正解だった
「え〜っと、ここにいる面々はN県へ向かってもらう、任務は炊事所の開設だ。明日の0600に出発する。長となるのは…」
「…orz」心の中でガックリと膝を付く大島士長だった


避難所の開設とともに避難民に対する食料支援の問題が浮上してきた
空自の輸送機などもフル活動だが、孤立集落の住民が避難所に入ったらとても間に合わなくなる

N県には珍しく普通科連隊が2つあるが、それでも数万人規模に及ぶと予想される避難所全ての炊事を賄うのは不可能だ
そこで防衛庁は、隣接する各師団、方面隊に『炊事支援部隊の派遣』を命令した

連隊からも当初、数台の炊事車とそれに伴う炊事要員が派遣される事となった。不幸にも大島士長は中隊の炊事要員だったのだ
演習や検閲となれば、炊事も中隊の任務となる。炊事任務に従事する隊員は糧食班勤務経験者などから選ばれて錬成される
熟練を要する炊事車の取り扱い、野外や水の少ないところでの炊事・洗い物の要領、与えられた現品(材料)を最大限に使用しての調理…などなど、下手なMOSよりも高い練度が要求される
正式な特技ではないため人事記録には残らないが、中隊にとって必要不可欠な技能なのだ

「バッカンは全部持っていくぞ!あと食器、箸、しゃもじ、お玉、ザル、たらい、包丁、まな板、調理台、ゴミ袋、エンボス手袋、洗剤、スポンジ、たわし、全部持っていけ!」
給養陸曹の川井2曹が残留している若い隊員たちを使い、炊事班の出動準備をしている
中隊の食事関係を担当する給養陸曹は、基本的に演習時などの野外炊事の長となる
ちなみに演習や入校、各種支援などで隊員が動くときは担当部署(ほとんどの場合、連隊本部の各科)が必ず食事を請求する事から、中隊内で誰よりも早く訓練予定・行事予定を知る事になるのも給養陸曹なのだ
大型の3t半トラックに山と積まれる荷物の数々、そして中隊の隊員全ての食事を作ることができる野外炊事車が連結された
中隊から8人の炊事員が当初出動、連隊からは3台(3個中隊)の炊事車と給水支援のための大型・中型トラック、水トレーラー…人員約150名の大所帯だ
物品の準備を終え、車両を配列。車体に『災害派遣』と書かれた幕を掲げ、出動準備は完了した

「…と、言うわけで我が中隊からも炊事要員と給水支援要員合わせて30名ほどが明日から出発する。それぞれの長の指揮下に従って、粛々と任務を遂行してもらいたい…」
日曜日だが災害派遣準備ということで今日は平常勤務だ。終礼時、中隊長が皆の前で話し始める
「連隊の見積もりではおそらく1週間ほどで交代要員を出せるだろうと思う。しかしこういう任務は最初の立ち上がりが肝心でな。明日から出動する隊員たちはしっかりと、当初の体制を確立してもらいたい。それでは頑張ってこい」
そうして終礼は終わった

翌朝…起床と同時に出発する派遣部隊。まだまだ眠そうな顔をした隊員たちに見送られ、彼らは一路、N県を目指す


「おぉ!スゲーなこりゃ」高機動車から降り立った田浦3曹は開口一番そう言った
N県中心部から少し外れた場所にある競技場『ビッグバードスタジアム』の駐車場は、OD色の自衛隊車両に埋め尽くされていた

地震発生から1週間たち、被災者の避難もほぼ完了。現在は復興作業に取りかかる段階になっている
10万人単位いる被災者の食事、給水、入浴、生活全般を支援するため、九州を除く全国各部隊からさまざまな部隊から炊事車や給水車、施設部隊からは重機などが派遣されている
ここ『ビッグバードスタジアム』は炊事支援の拠点であり、被災地各地への食事のほぼ全てをここで作っているのだ
部隊は各師団ごとに分けられ、師団の指揮所に隷下部隊が配属されて支援態勢を取っている。全ての師団を統括するのは1X旅団だ

「田浦〜何しに来たんや?」声をかけてきたのは炊事要員として先に派遣された井上3曹だ
「お疲れ〜今日から師団のCP勤務でね…まぁ1週間くらいだけど。そっちはあとどれくらい?」「炊事班はなかなか交代要員がおらんから…オレもあと1週間くらいかな?」
そう言って振り返る井上3曹、その視線の先には遠く北海道から来た師団の炊事所があった
「まぁ1ヶ月単位で派遣されてるあそこの師団の連中よりはマシやろうけどな」
確かに周りを見渡すと、車両に書かれている部隊の番号が馴染みのないものばかりだ
「○連隊ってどこだっけ?」「さぁ…北海道の奥地らしいけどな。フェリーで来とるから、なかなか帰れんわなぁ」

「ところで、あの人員は何や?」井上3曹が指さす方を見ると、百人程度の隊員がぞろぞろと集まっている
隊員はベテラン陸曹もいるが多くは陸士、服装は中帽に迷彩服、特に重装備でもない
「あぁ、アレ?天幕張り要員。ほら、問題になってるだろ?」「てんまく?」「テレビとか無いのか?…無いだろうな」
地震発生後、学校の体育館などに設置された避難所に多くの住民が避難してきている。しかし、農家や畜産業など一部の住民が「自分の土地から離れたくない」との理由で残っている
土砂崩れなどで家に住めなくなった住人たちが自分達の車で寝泊まりを始めているのだが…
「夜はそこそこ冷えるだろ?それに不自然な態勢で寝るから『エコノミークラス症候群』になるんだと。長いこと同じ姿勢でいると足に血栓ができて心臓停止に至るって…恐ろしい話だよな」
「それで、天幕張って避難所を増やそうっていう話なんか?」
「補給処から新品の6人用も持ってきてるってさ。あと、すのことか毛布とか…ウチの部隊からも何人か来てるよ」


「で、こっちの管理事項はどうなってるんだ?」今度は田浦3曹が質問する番だ
食事や睡眠、風呂やトイレなどといった事項は「管理事項」と呼ばれ、演習などでも重要な事項として揚げられるのだ

「あぁ、オレらの食事はあと数日はレーションやな」普通の食材を調理するいわゆる「温食」は被災者優先、隊員たちは戦闘糧食…いわゆるレーションが配られている
「トイレは師団の便所車が来てるけど、あんまり性能は良ぅないからなぁ…」師団の補給隊や一部の部隊には、荷台にトイレを設置した「野外支援車」が配備されている
「つーわけでや、あのスタジアムがあるやろ?大の方はあっちでやったほうがええわ。ちなみに寝泊まりもあっちやしシャワーも使えるから」
「え?シャワー使えるのか?しかも固い屋根のあるところで眠れるとは…けっこういい待遇なんだな」
演習に比べると、しっかりした屋根の下で眠れてしかも水と電気が確保されているという状況は、自衛官的にはかなりいい待遇と言える
「買い物はあのコンビニぐらいやな。風呂は近くの温泉施設に行くから、買い出しもそのついでに行けるわ」
小さなコンビニなので、数千人の需要は満たせないだろう。新聞や雑誌もすぐに売り切れるらしい

「だからすっかり浦島太郎でな…なんか新しい情報あるか?」
「そうだな…昨日だったか、土砂崩れで埋まった車から子供が救出されたって。消防のレスキュー隊が出たってよ」「ほ〜そりゃええ話や!やっぱレスキュー隊はプロやね〜」
「あとは…仮設住宅の建設が始まるみたいなことを言ってたな。でも土地が見つからないとかなんとか…」

とその時
「お〜い、田浦!井上!」誰かが二人に声をかけてきた

振り返る二人、そこには…「おぉ、松山じゃん!」と懐かしそうな田浦3曹と「…誰やったかな?」怪訝そうな井上3曹
「あれ?覚えてない?陸教同期の松山だよ」「なんだ冷たいなー井上は相変わらず」
松山3曹は1X旅団の普通科連隊に所属している。陸教の教育では軽火器と迫撃砲に別れるので、軽火器特技の井上3曹とはあまり接点がない
「…ハズやのに、なんでオレのことは知ってるんや?そういや何かで会った記憶はあるような気がせんでも…」と頭を捻る井上3曹
「お前、入校中の4月にあった観桜会で何やったか覚えてないのか?」呆れたような顔をする田浦3曹に嬉しそうな松山3曹
「そうそう!『鬼の川田助教』の物真似やって大受けだったじゃん!あの時の陸教同期で井上の名前を忘れてるヤツはいないと思うぜ」
「…アレか?そんなに受けたやろか…?」

部隊数が多いので教育での同期に会う確率も高い。転属前の部隊の人に会うことも珍しくない
N県全域の自衛隊が派遣されている各地域で、同じような再会劇が繰り広げられるのだった


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