「スイマセン、遅れちゃって…」大急ぎでやってきた赤城士長が私服のまま中隊本部に飛び込んできた
「どうした?何かあったのかい?」先任が書類から目を上げて尋ねる
「あの、空手の道場でずっと稽古してて…」「あらら…ま、仕方ないか」と先任は落ち着いたモノ
「取りあえず着替えてきたら?今のところ先遣部隊以外に動きはないよ」パソコンのキーボードを叩く手を休めて田浦3曹が言った
「背のうの準備だけはしておくようにね」「は〜い。いつでも大丈夫です!」そういって赤城士長はWAC隊舎に向かった
非常呼集がかかって約2時間、本部隊舎前にはジープ1台、高機動車4台、中型トラック1台、大型トラック1台からなる先遣隊が編成されて出動準備を完了していた
状況はかなり混乱しているらしく、連絡の取れない集落も多いらしい
真っ先に出動した情報小隊の斥候組と通信小隊の中継組からは、高速道路封鎖の連絡が届いている
師団からの命令で、取りあえず人命救助セットやエンピなどを準備した約40名の先遣隊が出されることになった
「取りあえず、だ。高速道路はこのインターから完全に閉鎖されてるらしい…で、N県に入るには…」地図を指でなぞりながら
「この国道1X号線を使う。深夜の峠越えなので各ドライバーは速度に充分注意してくれ」
先遣隊の長は重迫撃砲中隊長、主力は重迫中隊だ。1中隊からは運幹の岬2尉はじめ5名ほどが加わっている
「取りあえずの目的地はここ…N県とG県の境にあるY村です。ここの地元出身者はいますか?」岬2尉が各中隊の先任者、車両ドライバーと車長に説明する
「ウチに数名ほどいますよ」「私も元は1X旅団の出身で…」何人かが手を挙げる
「じゃあ悌隊の先頭をお願いします。先頭と大型車の悌隊と…」車両の行進順序、当初の目的地、無線機の配当・周波数設定、念のために各中隊の先任者や車長の携帯番号の掌握…
準備が全て終了し、連隊長に編成完結の報告をする
「…国民の負託に応え、存分に職務を遂行してもらいたい。以上、終わり」普段よりかなり短めの訓辞が終わり、先遣隊は各車両に乗り込んだ
本部隊舎から正門までの間の道には、非常呼集で集められてそのまま待機している隊員たちが並んでいた
「がんばれよー」「行ってこーい」どこか気の抜けたような歓声と控えめな拍手を受けて、小規模な先遣隊は駐屯地を後にした
「なぁ田浦…待機っていつまで続くんだ?」先遣隊を見送る列の中、小野3曹が聞いてきた
「さぁ?長くなると思いますよ。出動はなくても待機、ってのが最近の自衛隊のトレンドですからね」
たとえ出動することが無くても、一度かかった待機命令は簡単には解除されないのが常だ
災害発生時の被害が小さくても、その後の2次災害や被害の拡大などでいつ出動命令が下るかわからない。解除命令は上級部隊から下りてくるので、末端の部隊はなかなか待機状態を解く事もできない
当然その間、営内者は外出できない状態が続く。営外者なら帰宅はできるが遠出はできない…という状態が続くことになる
「まいったなぁ…用事があるんだが」「大事な用なら先任に言ってみたらどうです?なんか『柔軟に対応する』みたいな事を言ってましたよ」
『外出できない』といってもそれはそれ、条件付きでなら外出できないこともない
「ん、いやまぁそんな大事な用じゃないし…」珍しく言葉を濁す小野3曹に「?」と疑問を抱く田浦3曹。とその時、列の先頭の方から歓声が聞こえ、先遣隊の車列がゆっくりと前進してきた
「ま、後で先任がみんなの前で言うと思いますよ」そう言って田浦3曹は車列に顔を向けた
「…というわけで基本的には営内待機なんだけど、大事な用事のある者とかは私に言ってきてくれ。そんな遠くに行こうってんじゃなけりゃ外出許可は出るからね」と先任は笑いながら言った
先遣隊も出動して師団からの追加派遣命令も無いので、残った隊員は取りあえず解散することになった。今は取りあえずの終礼だ
解散といっても営内者はそのまま待機、営外者も別命あるまで待機だ。自習室や娯楽室、営外者室や営内者の空きベッドなどが取りあえずの寝床となる
中隊長が皆の前に出てきて口を開く
「テレビのニュースとか見てると現場はけっこうひどい状態らしい。おそらく追加派遣はあるモノと見ておいてくれ…今のウチにいつでも動ける準備をしておくように。以上、解散!」
ぞろぞろと居室に帰っていく隊員たち。しかし中隊本部の要員はそのまま事務室に戻ってきた
「う〜ん…どうなるのかねぇ」背伸びをしながら先任が言う「今動かせる天幕は…発電機は…」「コイツとコイツが出たから…人事日報を…」各係陸曹がそれぞれ見積もりを始めている
「車の運転できるヤツと…人命救助セットの使用ができるヤツ、それくらいピックアップしとかねぇとな」「そうですねぇ…」訓練陸曹の中島1曹と田浦3曹も名簿片手に編成を組み始めた
次にどんな要求が来てもすぐに名簿を出せるようにするためだ
「あ、炊事できるヤツも出しといて」声を掛けてきたのは給養陸曹の川井2曹だ「炊事…あぁ、確かに必要かもしれませんね」納得する田浦3曹
「それと、炊事者を引っ張っていけるヤツも…ってこれは車両の水上2曹に頼んだ方がいいか」「そうですね。でも引っ張っていけても使えない人間だと大変ですよ」そう言って田浦3曹は何やら簿冊をめくる
「…あんまりいませんね…」「炊事要員の錬成、あんまりしなかったもんな。鍛えた陸士も退職したし…」う〜んと頭を捻る二人
「ま、名簿だけは作っておきます」「そうして、いざとなったらオレも行くし」
ここで作った名簿が後で役立つ事を、知るよしもない田浦3曹であった
「えーと…つまりここから先には行けない…と」「そうなんですよねぇ」
道の駅で眉間にしわを寄せる重迫中隊長と岬2尉、そして困惑気味の情報小隊斥候組がそこにいた
N県の真下に位置するG県に入ったとたん、通行止めになっている高速道路
下道を使いさらに前進する予定だったが、先行する情報小隊斥候組から「峠越えのいくつかの国道が閉鎖されている」との連絡が入った
そこでG県中部にある道の駅で取りあえず体勢を立て直すこととなった
「師団の方から何か命令は?」「まだ何も…」派遣隊長に聞かれ困惑した顔を見せる岬2尉
各種災害時の拠点として整備されている道の駅は、数台の自衛隊車両が止まっても充分な広さがある。深夜ということもあり長距離トラックが何台か停まっている以外は民間車両もまばらだ
しかしそれでも『柵の外』で長時間とどまるのは落ち着かない
G県には1X旅団司令部がある。民有地の道の駅より司令部のある駐屯地で待機したいところなのだが…
「今はバタバタしてるだろうな、司令部も。せめて前進命令か撤収命令が欲しいところだが…」と渋い顔の中隊長
「BOC(幹部初級課程)の同期が旅団司令部にいるんです。電話して聞いてみたんですが…やっぱりよくわからないみたいです」と岬2尉は携帯を取りだした
ラジオのニュースでは各市町村の被災状況、交通情報、安否情報が流れている。被害は今のところ土砂崩れや地割れなどで、高速道路、国道、鉄道ともにストップしている
携帯電話不通箇所もあるようで、今は情報収集を行っている段階だという
「N県知事から正式な災害派遣要請が出たそうです」ラジオのニュースを聞いていた隊員から報告があった
阪神大震災以前は知事などの要請や命令がなければ部隊を動かすことはできなかったが、震災以降の自衛隊法改正で「天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し」た場合は部隊を派遣できるようになったのだ
「しかしコレじゃ俺たちも動けんな…仕方ない、今晩はここで待機するか」中隊長が決定を下し、隊員たちが動き始めた
「しかし…なんか寒いなぁ?」高機動車の後部座席で大島士長は呟いた
残留のところを呼びだされ、あれよあれよと言う間に先遣隊で出動することになったのだ
秋も深まってきたこの季節、しかもG県は内陸の山の中
取りあえず出動した隊員たちは、ストーブなんてけっこうなモノは持ってきていない
「高機動車の暖房を付けるか…」「でも燃料が心配だな」高機動車には後部座席にも暖房が付いているが、やはり今後の動きが読めない状況では、燃料の無駄遣いはしたくない
しかし…
「やっぱ寒いっすよ…」ガタガタ震える隊員たち
隊員たちはいつでも各種任務に出動できるよう、常に背のうに着替えや防寒着を準備している
しかしいくら防寒着があっても、寒いものはやはり寒いのだ
「中隊長…どうします?」隊員たちの訴えに岬2尉も困惑顔だ
「仕方ないなぁ…よし、高機動車2台だけエンジンをかけよう。全員は入らなくても、交代で休めるだろう」中隊長が決定を下した
2台の高機動車が低いディーゼル音を響かせ、さっそく集まる隊員たち
「取りあえずドライバー優先で休ませる!入りきらなかったものは各車両に分散するように」
運良く大島士長は暖かい高機動車の後部座席で休めることとなった。しかしドライバーではないので、夜の3時に他の隊員と交代しなければならない
それでも少しでも休めるならありがたい…と狭い座席に身を沈め、浅い眠りに入る隊員たちであった
ちなみに…
ここは近くの山の峠にある駐車場、無線の中継にあたっている通信小隊の中継組が1t半トラックの荷台でくつろいでいる
「なんかヒマっすね〜」ストーブにあたりながら通信小隊の森士長は言った
「まぁ今の系にはウチの連隊以外入ってないからな」と上官の2曹、こちらはストーブの上に置いたやかんを取り、カップラーメンにお湯を注いだ
災害発生時などの初動派遣時には情報小隊と並び真っ先に出動し、無線の連絡網を確保する通信小隊
ジープや1t半トラックなどで山の頂上や峠などに上がりいつまで続くかわからない中継任務に就く彼らは、常に初動派遣の準備を整えている
水缶、ストーブ、灯油、照明、カップ麺などの食料、雑誌…などなど
一般部隊より『出動慣れ』している隠れた部隊なのだ
「しっかしいつになったら下山できるんですかね〜?」「さぁなぁ…」彼らが下山したのは1週間後だった