一瞬で目を覚ます田浦3曹。布団をはねとばしテレビのチャンネルを探す
「状況は?訓練ですか?実状況ですか?」時々だが連隊や師団レベルで「訓練非常呼集」というのがかかる事もある
(連隊長が演習中なのに訓練呼集がかかるわけあるまい。台風だよ)と先任の声
テレビをつけてNHKにチャンネルを合わせる田浦3曹、何かと非難の的に晒されているNHKだが、こういう場合の情報はNHKがもっとも信頼できるのだ
「…あ〜見事に進路が変わっちゃってますね」九州に上陸すると思われていた大型台風が、まるで狙いすましたように駐屯地のある地方に向かっている
(今はまだ1種だが、いつ3種がかかるかわからん。今日は休みだろ?でも遠出はしないでくれ)呼集レベルは1種から3種まであり、1種と2種は指定された要員だけの呼集となる。3種がかかると全員集合だ
「了解しました」そう言って電話を切る。いつもの抑揚のない声でNHKのキャスターが台風情報を読み上げる「…現在、大型で非常に強い台風7号は、時速30kmで…」このままだと直撃のようだ
「仕方ないなぁ…」そう言って田浦3曹は起きあがった
「お疲れ〜ッス。いや〜ひどい雨、ってより風で…」事務室に顔を出した田浦3曹、部屋には当直腕章を着けた倉田曹長しかいない
「おぅ、ちょうどよかった!…たった今、3種がかかったぞ」「!…かかりましたか」頭を掻く田浦3曹
3種がかかっても「即出動」というわけではない。むしろ待機はしても実際に出ないことの方がはるかに多い。この時点ではそれほど焦る必要はないが…
「先任が命令受領に行ってる、取りあえず着替えてこいよ」「わかりました、取りあえず迷彩服ですね?」「そうだろうな」そこまで聞いて田浦3曹は自分の居室に向かう
迷彩服に着替えた田浦3曹が事務室に帰ってきたときには、すでに出動準備が始まっていた「車両、何台動ける?」「高機動車が…3台、ジープが1台、あと…」「燃料!業務隊に連絡を…」
事務室の自分の机につく田浦3曹「さて…」訓練としては人員の掌握が最優先だ「おぅ、田浦」先任が声をかける「連隊本部からだ」そう言ってメモ用紙を渡す
「…『残留者の車両操縦、部隊通信、大型特殊etc…これらの特技保有者の人員数をOSPで提出せよ』か。よし…」名簿を手に人数をチェックする
連隊のほとんどが演習に行っている状態なので、各中隊の編成を崩して災害派遣に当てるらしい。O(officer=幹部)S(sergeant=陸曹)P(private=陸士)ごとの人数を出す
「土嚢、エンピ、十字、バケツ、あとは…」「水缶、メシバッカン、食器は…」「飯ごうを使わせろ、実数が無いからな」
倉庫地区でも大忙し、各中隊少ない人員でバタバタと動き回っている
「無線機はこれだけか…電池を入れてチェックしてくれ」通信庫でも岡野2曹と山崎士長、それに赤城士長が準備中だ「…『本日は晴天なり、本日は晴天なり…』よし」台風直撃の悪天候ではギャグにしか聞こえないが、これも無線のチェックだ
「携帯無線機、全部異常ありません」と赤城士長「電池は…よし、これだけ持っていこう」「しかしホントに出るんですかね?」山崎士長が口にする
「それはどうだろう?いつも準備はしても実際に出ることは滅多にないからな」と岡野2曹「ま、準備するに越した事は無いさ」
「富士の演習部隊、どうなってるでしょう…」心配そうに富士山の方を向く赤城士長、窓の外では雲が激しく動いていた
「…1中隊、準備できたとの事です」「あと残ってるのは?」「3中隊、対戦…」「そうか、昼までには終わらせるように」
連隊本部、作戦室。たいそうな名前ではあるが、ただの広い部屋に椅子と机、電話、警備隊区の地図、ホワイトボード、無線機などが置いてあるだけだ
当直司令についている警備幹部の報告を報告を受けるのは副連隊長以下残留している連隊本部要員、そして会計隊の幹部に業務隊の幹部と陸曹だ「3科の方は、人員集計は?」「できてます。名簿はこちらに…」書類を手渡す
「4科の方で燃料と食事、その他物品の手配を」「燃料の方はOKです。食事なんですが…」4科の補給幹部、加賀美2尉はチラッと業務隊の二人の方に目を向ける
「この待機がいつまでになるかわからない状況ですね?営外者の分まで食事を作るのに材料が不安で…」と業務隊幹部「レトルトのカレーとか、非常用のがあるでしょ?」「あれは非常用でして…」
「今は非常時です。食事の確保を願います」キッパリと言い切る副連隊長
「しかし予算の方が…」「会計隊の方で処置は可能ですか?」副連隊長は会計隊幹部の方に顔を向ける
「え、あ、まぁその〜この待機が師団の方からの命令ですので、その点は可能かと思います」若い会計隊幹部はしどろもどろになりながらも説明する
「何よりも最優先に願います。次は2科、前田」「はい」情報幹部・前田1尉だ「地図の方は?」「準備できてます。どの地域に災害派遣がかかっても対応可能です」「よし!」ぱん、と手を叩く副連隊長
「出動がかからないことを祈り、どんな状況にも対応できる準備をしよう。阪神大震災の轍は踏まん!以上、解散」
正午の飯ラッパが駐屯地に鳴り響く。風の音、そして雨の音で屋外ではラッパはほとんど聞こえないだろう
副連隊長は2科にいる「…直撃か」ニュースを見て呟く
連隊長が不在であるため、残留部隊の指揮は副連隊長が執る事になっている
「そのようですね、やれやれ…」新聞をチェックしながら耳だけテレビに向けているのは2科先任・角田曹長「危ないのはこの河…この堤防…それから…」地図のチェックに余念がないのは前田1尉だ
前田1尉は普通科には珍しい「U幹(一般大学卒→幹部候補生)」だ。どこか雰囲気があか抜けているのはそのせいである。防大出の幹部の多くが丸坊主やスポーツ刈りにしているのに比べて、髪も若干の長髪である
「副連隊長は震災(阪神大震災)には?」角田曹長が尋ねる「行った、と言うよりその場にいた、だな」口をへの字に結ぶ副連隊長「当時、私は3師団にいたんだ、ひどいもんだった…」と言い目を閉じる
「あの時の悲劇は繰り返してはならん。外出も帰宅もできずに待機する隊員たちには気の毒だが…な」「まぁ仕事ですからなぁ」ハハハと笑う二人、とその時電話が鳴った
緊張が走る「…はい2科先任・角田曹長…え?」ふんふんと頷く「副連隊長、2中隊が『明日の警衛要員はどうするのか?』と…」警衛に付く隊員を災害派遣に出していいのか、という話のようだ
「そうだな、明日の分は外しておくか」「了解…だそうだ…うん、そう…外してくれ」がちゃんと受話器を置く「ま、いろいろありますわなぁ」苦笑いを浮かべる角田曹長。その手元にある電話機がまた鳴り響いた
「忙しいなぁ」あきれ顔の前田1尉「ハハハ、ホントにねぇ…はい、2科先任…」笑顔で受話器を取る角田曹長、だが次の瞬間…
「師団長より災害派遣命令!了解です…県知事からの要請?…はい…」電話で受けた話をその場で復唱する。ガタッと席を立つ副連隊長に前田1尉
「…はい、替わります」受話器を副連隊長に差し出す「はい、替わりました…うん、そうか。…わかった」話を聞きつつメモを取る「あとは指揮システム端末で…了解!」がちゃんと受話器を置く。そして「放送をかけろ、それと各中隊先任者集合だ!」