翌週…代休消化週間ということで、赤城士長も久々の実家に帰っていた
駐屯地から数時間、都内の某所にある一戸建てで祖父母と母、それに高3の弟が住んでいる(父親は単身赴任だ)
しかし家には祖父母も母も気配が無い「…」居間のソファーで横になりテレビのチャンネルを変える。平日のテレビはワイドショーばかり「つまんない…」思わず呟く
「ふぅ…あっついな〜あれ?姉ちゃん遊びに行かないの?」高校から帰ってきた弟、健四朗が冷蔵庫からアイスを持って居間に入ってきた
高3の彼は上3人の兄に比べて、いや、普通の男性に比べても非常に細い体格をしている。体力もあまり無いので、よく「兄貴たちに全部持って行かれた」と愚痴をこぼしている
「高校の時の同級生とかと遊びに行くんじゃなかったっけ?」「みんな大学でサークルとか論文とかあるんだって…私にもアイスちょうだい」「自分で取りに行けよな…」ブツブツ言いつつも冷蔵庫に向かう
「そういうアンタは何してんのよ〜?学校は?」「オレもう高3だよ、テスト休みだよ…バニラでいい?」そう言いつつ居間に入り、赤城士長の隣にあるソファーに座る「はい、アイス」「あんがと」
「久々に家に帰ってきたら誰もいないんだもから…みんなどこに行ったのよ?」「母ちゃんは親父のところに遊びに行ったよ。なんかどっかの海軍さんと一緒にイベントらしいよ」「爺ちゃんたちは?」「爺ちゃんは海軍軍人会の旅行、ばあちゃんはハワイだって」年を取っても元気な人たちである
「まったく…せっかく帰ってきても家族はいない、友達も忙しい、テレビはつまんない、しかも仕事もつまんないなんて…」おっ?と不思議そうな顔を見せる健四朗「仕事つまんないの?」
「つまんない、って言うか…行き詰まってるのよ」アイスをなめつつ愚痴をこぼす。扇風機の風が心地よい「『自衛隊の仕事ってこんなものなのかな?』とか『この仕事続けて大丈夫かな?』とかね…」はぁ、とため息を一つつく
(こんな顔をする姉ちゃんは久しぶりに見たな)珍しいモノを見た、という顔をする健四朗。だが心配はしていない「オレに言われてもど〜しようもないしねぇ」と投げやりな答えを返す
「あんたは気楽ねぇ…」「そうでもないんだけどね。兄貴たちに相談したら?」赤城士長の3人の兄は皆、現職の幹部自衛官なのだ
「純一兄ちゃんは海の底」「いつまで?」「潜水艦隊司令部の人に聞いたら『機密事項につきお答えできない』だって…」潜水艦の動きはどこの国でも秘密事項だ
「翔兄ちゃんは?」「アラスカで訓練だって。米空軍と」「三吉兄ちゃんは…」「久留米で入校中、電話してるヒマなんて無いってさ」「みんな忙しいんだね…姉ちゃんだけ?ヒマなのは」と思わずいらない事を言ってしまう
「あんたねぇ〜!」アイスを口にくわえながら弟に思いっきりヘッドロックをかます「ちょっ、ちょっとタンマ!痛い!アイスが落ちる!」体力面で姉に勝てない弟である。ジタバタしながら腕をふりほどこうとする
「こっちだって先週はずっと山の中だったのよ〜」胸が当たるのも気にせずグイグイと弟の頭を締め付け、ぐったりしてきた頃合いを見て手を離す「…あ〜まったく…本気で締めんなよな〜」ぐったりした様子でソファーに沈む弟であった
「ヒマな時間も考え物ね〜余計なことばっかり考えちゃう…」テレビは芸能人がどうのこうのと、まったく興味のない話を流し続けている
「じゃ、帰ったら?家にいてもつまんないだけでしょ?」と健四朗「そうね〜…」生返事をする赤城士長であった
結局、実家に帰ってもやる事がない…と言う事で、赤城士長は日曜日の夕方に駐屯地に帰ってきた。駅前からバスに乗るが、駐屯地近くの道路が渋滞しているようだ
(事故でもあったかな)と思ったが、その理由は駐屯地前のバス停を降りた時に明らかになった
「じえ〜たいのぉ〜海外ぃ〜派兵ぃ〜はんたぁいぃ!〜!」「米軍の〜ぎゃくさつこういを〜許すな〜」駐屯地前の道路を占拠しているのは「労組」や「自治労」「○○大学」などと書かれた赤い旗を持ち、シュプレヒコールを繰り返しているデモ隊だった
人数は100人くらいか、前で声を張り上げる数名の若者は大学生くらいの年に見える。が、髪型や目つきがどうも尋常ではない。まるで一昔前に物議を醸したカルト宗教の信者のように見える
「…われわれはぁっ〜憲法第9条を破るぅ〜自衛隊を〜許さないぞ〜!」やる気満々の若者たちに比べて「ゆるさないぞ〜」列中の中年男性や家族連れはテンションが低い
デモ隊の端にはヘルメットを被りサングラスをかけ、口にタオルを巻いている一団もいる。交通整理をしている警官とときどき小競り合いを繰り広げている
閉ざされた駐屯地の門と、向こう側に見える警衛隊の姿、そしてデモ隊の異様な風景…バスを降りた赤城士長は思わず立ちすくんだ「そういや今日だったっけ…」先任が演習の終わった日に「日曜にデモ隊が来る」と言っていたっけ…と思い出す
営門は閉ざされており、しばらくは入る事もできなさそうだ。どうしたものかと思案する赤城士長に一人の男が声をかける
「お〜い、赤城クン。そこにいると危ないよ」バス停の待合所に座っているのは、丸い顔に丸い体の中年男性だった
ポロシャツに綿パン、普通の人のように見えるが…(なんで私の名前を知っているんだろう…)と一瞬訝しむ「危ない…ですか?」
「そう、そんなところでぼ〜っと立ってたら自衛官ってまるわかりだろ?連中に襲われるからこっちに隠れておきなさい」と男は手招きする「…なんで私の名前を?」警戒を解かずに聞いてみる
「君は連隊内では有名人だからね。僕は2科先任の角田曹長だよ」赤城士長には面識がないが、よく見ると確かに「同業者」の臭いがする
素直に待合所に入りベンチに腰を下ろす「いや〜暑いのに彼らも頑張るねぇ」丸い顔からは汗がにじみ出している。デモ隊は何度も同じフレーズを唱え、シュプレヒコールを繰り返している
「ほれ、あの端っこにいるヘルメット集団…彼らは中核派のメンバーだよ」手に持っていた扇子でデモ隊を指す「本気で人の頭を鉄パイプでかち割る連中だからねぇ…自衛官とばれたら危ないよ」「じゃあなんで角田曹長はここに?」もっともな疑問だ
「僕は2科だよ、情報収集さ。襲われても逃げられるしね〜」と言って笑い、裏にある自転車を指さす
赤城士長は知らないが、角田曹長は連隊のレンジャー出身者から「鬼の角マル」の異名で呼ばれ恐れられたレンジャー助教だったのだ。たとえ襲われても10人くらいなら相手にできる自信がある
「我々は、平和を愛するアジア市民を代表して、海外に展開して米軍の侵略戦争の先方を担ぐ自衛隊を即時撤退させる事を要求します。これは、憲法第9条に謳われた…」デモ隊の代表者らしき人物が声明文を読み上げる
デモ隊の中にいる人たちはアクビをしたり、横を向き隣の人と何やら話している。暑さのあまりへたり込んでいる女性もいた「大丈夫かな?」直射日光に1時間近く当たっているのだ、危険な状態も予想される
周りにいた眼鏡をかけた大学生風の男が近寄る、助けるのかと思いきや…女性の腕を掴み無理矢理立たせようとしているのだ。嫌がる女性に大声で怒鳴りつけている「…平和のために闘争…統括を…」などという声が聞こえてくる
「デモ隊の大半はバイト学生か労働組合から狩り出された人だからね。真剣味が無いねぇ」のんびりした口調で角田曹長が言う「真剣にやってるのなんて1割もいないよ」「そんなもんなんですか?」「有名な話さ、基地祭に抗議しに来たデモ隊のメンバーが、午後には基地祭見物にやってきている…なんてのはね」
次に声明を読み上げているのは「元自衛官」と名乗る30代の男性だ「…私も隊員だったので、皆さんの不安はよくわかります。海外に派遣されて米軍の手先となる事がはたして…」
つまらなさそうに声明文を聞く角田曹長「元自もいろいろ、在隊期間3日でもマスコミの報道では『元自衛官』になるからな…」といささか不満そうだ
「最近の彼らのトレンドは『隊員の味方』みたいな顔をすること、らしいからね〜」「トレンドなんてあるんですか?」思わず聞き返す「阪神大震災以前は彼らも『自衛官は平和の敵』みたいな事を言ってたんだけどね」と角田曹長は肩をすくめる
「カンボジアの時なんかひどかったからね〜地道な行動がやっと実を結んだ…ってとこかな?まぁその代わり仕事は増えたけどね」
最後に大学生と思われる女性がヒステリックに叫び続ける「…自衛隊にしか入れなかった皆さんの辛い立場はよくわかります。しかし!今求められていることはぁ、平和を守るために憲法9条を世界に広め…」このフレーズに赤城士長はカチンと来た
「『自衛隊にしか入れなかった…』?!」明らかに隊員(含む自分)をバカにしたような発言に思わず腰を浮かせる「おおっとぉ、まぁ落ち着きなさい」角田曹長が腕を引く「しかし…」「今言ったところで連中が聞くと思うかい?言いように利用されるのがオチさ」
渋々といった感じでベンチに座る「ま、彼らの存在を守ることも大事さ。これが『民主主義』僕らの守るモノ…だからね」達観したかのように言う「…」確かにそうだが、何か納得のいかないモノを感じる赤城士長だった
デモ隊が去り営門が開けられた「…開いた」日が西に傾き始めている「お疲れさん」と声をかける角田曹長、とそこに、陰気な顔をした背広姿の二人組が現れた
「お〜お疲れさんです」と陽気に声をかける曹長「…どうも、それでは失礼します」ペコリと頭を下げて二人組は立ち去っていった
「あの人たちは?」赤城士長が聞く「県警公安部の人だよ…あまり言わないようにね」そう言って人差し指を建てて口に当てる
「公安?」そう聞く赤城士長の脳裏には、大ヒットした某刑事モノ映画が思い浮かぶ。スパイ活動、身内の監視、存在すら感じさせず独自に動く特異な集団…そういうイメージが「怖いですね…」という言葉を口にさせた
「そりゃ〜仕方ないさ、情報戦とはそういうもんだ。でもね…」一度言葉を切り、一気に語り始める「国の安全のために悪役の汚名を着て、危険な任務に身を晒し、何の見返りも求めない…まだ称賛を受ける事もある我々とは違うよ。彼らは僕たちよりババを引いてるのさ」そう言って笑う
「君のお父さんも情報関係に身を置く人だ。わかるだろう?」「…」何も言えない赤城士長だった
営門の前に落ちてあったデモ隊のビラを拾う。これ以上はないというほど醜く描かれた時の首相の顔、そして銃弾を女性や子供に浴びせる自衛官の絵、ビラの表題には「米軍の侵略戦争に荷担する自衛隊の犯罪行為を糾弾する」とある
ビラの中身は現政権と自衛隊、そして米軍を徹底的に汚く書き「自衛隊に入るしかなかった人々を救います」と結ばれている。そして電話番号と、それより大きく書かれたカンパ振込先の口座番号…
「…」これ以上はないほど醜いモノを見た、という表情でそのビラを握りつぶす赤城士長だった
翌月曜日、中隊の朝礼に並ぶいつもの面々 「…本日は水曜日からの演習準備、可能であれば15時から体育、以上!」運幹の指示が飛び、課業開始のラッパが鳴った
小隊ごと、もしくは各勤務区分ごとに隊員たちが別れていく「さて…ウチらもやりますか〜」と中隊本部も動き始め、いつもは事務室にこもりっきりの係陸曹たちも倉庫に向かう
しかし、先任と田浦3曹は事務室に戻ってきた。今回の演習には二人とも参加しないのだ「ここんとこ演習に連続参加だからなぁ。今回は中島曹長に任せてゆっくり休んだらどうだ?」と先任が言う「なんかヒマになると急に落ち着かないんですよ…」と根っからの仕事人間である田浦3曹
今回の演習は検閲に重火器の射撃と盛りだくさん、東富士演習場で10日間の日程だ。水曜に出発して次の週の金曜まで…期間が長引くほど準備にも手間がかかる。今日明日は演習準備で潰れるだろう
倉庫地域で天幕や野外ベッド、寝具などの積み込みが行われている。荷物を積むトラックを待つのは各小隊の作業員だ「いやいや、昨日のデモ隊にはやられたわ〜」と文句を言うのは井上3曹だ
「飲みに行こうと思ったら門が閉まっとんねん。デモすんのは勝手やけどオレらの生活の邪魔はせんとって欲しいわ〜」「命令会報で言ってたんだから、それまでに出たらよかったんじゃないですか?」「いやいや、昼寝しとったら起きれんかってなぁ…」と頭を掻く
「昨日のデモ隊の事、新聞に載ってるぞ」と声をかけてきたのは補給陸曹の鈴木曹長だ。手には朝○新聞が握られている
「朝○なんか取ってるんですか?」と誰かの驚く声
「あ〜これなぁ…個人的にはイヤなんだけど、近所にある温泉センターのタダ券が付いてくるから…」と肩を落とす「ウチのかあちゃんが止めたがらないんだわ」
新聞に群がる隊員たち「お〜どれどれ…『平和団体や市民団体が抗議行動…』あの物騒な連中が平和団体ね〜」と笑い声「『約300人の参加者は口々に平和を訴え…』だって。300人もあの狭い道路に入るかっての」
その話を聞きながら一人憮然とした顔をするのは赤城士長だ。どう考えても「平和」からはほど遠い連中が「平和団体」と新聞に書かれ、さらに人数の水増しまでされている「…まったく」納得のいかない話である
「お、どうしたんや?不機嫌そうな顔して」井上3曹が声をかける「いえ…私も昨日デモ隊を見たんです」
昨日見たデモ隊の話をする赤城士長「…おかしい話ですよね?『平和団体』何て怪しい連中、それにど〜考えても嘘みたいな参加者の発表とか…」と憤る「ふ〜ん、ま、いつもの事や」特に興味も関心も示さず井上3曹は答える
「いつもの事って…」「赤城かてデモ隊見たのは初めてやないやろ?親父さんの仕事場とかに来んかった?」「あんまり見たことないです…」「そりゃそうだろ、官舎まで入り込んでくるデモ隊なんて滅多にいないからな」と横から入ってきたのは片桐2曹だ
「ま、所詮は朝○新聞だからな。俺たち自衛官にとっては不倶戴天の敵ってヤツだ」「そういや田浦の時も朝○やったな〜」と井上3曹
「田浦3曹?何かあったんですか?」「いやな、何年か前にあいつが…」と井上3曹が途中まで言いかけたとき、荷物を積むトラックがやってきた「お〜い、荷物積むぞ〜」と鈴木曹長の声が響く
「お、来たか。ほな行くで」「あ…は〜い」話の途中でいささか不満顔の赤城士長だった