まいにちWACわく!その87

「おい!高いコーヒーあっただろ?」「紅茶は?いいのがありますが…」「お茶菓子は!?無かったら買って…」突然慌ただしくなる中隊本部
将官クラスとなれば営門の出入りだけでラッパが吹かれるほど、普通科中隊の隊員にとってはまさに「雲上人」だ

陸と海の違いはあれど将官には違いない、中隊本部の慌てようも仕方ないと言えよう
「今日は暑いから麦茶の方が…」田浦3曹が言う「将官が麦茶なんて飲むか?」すかさず突っ込むのは倉田曹長、その時
「飲みますよ」と横から急に声をかけられた

メガネの若い男性を連れたやや小柄な壮年男性が立っていた「急に来てしまって…」誰でもわかる、この人が赤城海将だ
「気をつけっ!」誰かが号令を発する「あ〜いや、あまり大騒ぎされては…」困ったような顔をする赤城海将
とその時、中隊長が出てきた「ようこそいらっしゃいました、さ、どうぞ…田浦、麦茶とお茶菓子を頼む」と言い残して中隊長室に入っていった

「急に押しかけて申し訳ない、仕事の関係でこちらに来る用事があったものでね」応接用のソファーに座り赤城海将は口を開いた
「いえ、大丈夫です。この時期は休み前であまり演習もないので…」同じようにソファーに座る中隊長「で、娘さんの事ですか?」
「えぇ、まぁ…」照れたように笑う赤城海将「親バカですかな?」
「いえ、そんな…」中隊長がそこまで言った時、ドアがノックされ「田浦3曹、入ります」という声が聞こえてきた

「どうぞ…」カチャン、とテーブルに麦茶と菓子を置く「君が田浦3曹かね〜娘からいろいろ聞いてるよ。その節は娘が世話になったようだね」と笑う赤城海将
「は、それは…どうもありがとうございます」照れながらもペコリと頭を下げる
「そ、それでは失礼します…」逃げるように田浦3曹は中隊長室から出て行った

「娘からは何かと相談を受けていたんですよ、この…」そう言って懐から携帯電話を取り出す「携帯でね。まぁ娘とは『める友』とかいうヤツでしてね」照れたように笑う赤城海将
「それはまた…」背中にイヤな汗をかく中隊長、何かマズイ事はあったか…と記憶をフル回転させる
「三島士長…だったかな?面白い先輩がいると」中隊長は思わず口にした麦茶を吹きそうになった



「やはり心配はしとったのです。男ばかりの普通科に娘を入れるとなると…きっと潜水艦みたいな世界なんだろうと」手を組んで渋い顔をする赤城海将
「潜水艦とはまた…」「いや、将官でもそうそう他幕の事はわからんものです」そう言って一口、麦茶を飲む

「何であの子が防大に行く事を拒んで、陸の曹候補学生を選んだのか。そして普通科を選んだのか…あえて現場の道を行こうと考えたあの子の気持ちはわかります」ため息を一つ
「それでもやはり心配はありました…それで矢沢に頼んで、この部隊の様子を見てもらってね…公私混同ですな」「矢沢?…あぁ、師団長ですか」
赤城海将と師団長・矢沢陸将は防大での先輩後輩だと聞いた事がある。しれっと師団長の名を呼び捨てにする辺り、やはりこの人は海将なんだなぁ…と実感する中隊長
赤城士長の配属前に師団長が部隊視察に来た事を思い出す。あの時は…「『口出し無用』と一喝された、と矢沢は笑ってました」そう言って笑う赤城海将
「普通科中隊のWAC配属は初めての事で、市ヶ谷(陸上幕僚監部)でも間違いのない部隊選びをした…と聞きました」中隊長の顔をのぞき込みうんうんとうなずく
「陸幕人事課の目は確かだったようですな」そう言って笑った

「いや、過分な評価で…」と中隊長「いやいや、そんな事はありませんよ。聞いてるとは思いますが、全国にいる娘の同期10人の内、普通科中隊に残っているのは娘を含めて5人しかいないそうですよ」
「それは確かに聞いてますが…」「娘も悩んでいたみたいです、普通科でやっていけるのかどうかを…」そう言って頭を振る
「だがこの前の災害派遣で何か吹っ切れたようです。これもひとえに中隊長のおかげですな…ありがとう」そう言って赤城海将は中隊長に頭を下げた「これからも娘を甘やかさずに鍛えてやってください」

しっかりと扉が閉められた中隊長室の前、じっと立つのは赤城海将の付き人だ。片手に小さな鞄を一つ持ち、メガネの中にある細い目は油断無く周りを見渡している
事務室にいる田浦3曹たち中隊本部の面々も落ち着かない「何の話してんだ…」「気になる…」「う〜ん、この前危ない目に遭わせたからかなぁ?」小声でヒソヒソと話しているその時、中隊長室の扉が開いた
「では、これで失礼」「どうもお疲れ様でした」中隊長が頭を下げる、メガネの付き人がすかさず動いた
「皆さんも娘をどんどん鍛えてやってください」中隊本部の面々に頭を下げて、赤城海将は帰っていった

「何の話だったんですか?」先任が中隊長に聞く「ん?いや、何でもない」そう言う中隊長の顔はなぜか満足げだった…



数日後、夏期休暇が終わり隊員たちも元気な顔を見せる
少しだけクーラーの効いた中隊長室、中隊長は先任を前に一枚の書類を見せる

「赤城士長の陸教入校、特技は『軽火器』に決定したよ」と中隊長は言った「軽火器ですか…ま、いいんじゃないですかね」先任も納得したようにうなずく
「あの子なら大丈夫だよ。もうね、心配はしない事にしたよ。あの子ならやれるさ」そう言って窓の外を見る

中隊長と先任の脳裏にここ9ヶ月の記憶がよみがえる
WAC配属と聞いた時はどうなるものかと思ったが…
受け入れ準備で大騒ぎ、師団長に大見得を切って、宴会ではハラハラのし通し、中隊隊員との軋轢もあった
数多くの演習、行事、業務、そして災害派遣…助けは借りても全てを乗り切った彼女なら、軽火器で陸教に入校してもやっていけるだろう

「あの子の今後も考える時期だな…実はね」中隊長は振り向いた「空挺の基本降下課程やアメリカ海兵隊徒手格闘学校への派遣などにWACを出そう、という話もあるらしい」
「それに赤城を出そうと?」驚いた顔をして先任が聞く「…ま、あの子なら大丈夫でしょうな」

夏の太陽が照りつける駐屯地、外では新隊員教育隊が駆け足をしている。歩調を数えながらの駆け足に、助教たちの怒声が混じる
それを聞いて苦笑いをする中隊長と先任
「我々もあんな時期があったなぁ」「そうですなぁ」自衛隊生活も終盤を迎えた二人が感慨深そうに言う
おそらくは自衛隊が警察予備隊として発足した時から、そして自衛隊がこの先どんな名前になろうとも、老兵が去り若い新隊員が鍛え上げられていく…
男女の区別も時代の変化も関係なく、この流れは変わることなく続いていくだろう

いつか自衛隊が不必要となるその時まで…

そして中隊長は大きな封筒を取り出した「ところで先任、この9月に入ってくる新隊員の話だが…」

〜完〜



BACK HOME 解説