番外編 佐藤士長の決意
1972年2月…生活隊舎も無く売店も粗末だった駐屯地。日夕点呼を受けるのは将来の先任である佐藤士長だ
「…最近ちょっとたるんでねぇか〜おまえら?清掃もまともにできねぇで外出なんか…」当直・小倉3曹のネチネチとした話はまだ続く
「おい、佐藤…」点呼の列に並んだ佐藤士長に声をかけてくるのは同期の大村士長だ「アイツ、この寒いのにいつまで話続けんのかな?」
「しょうがないんじゃない?ああやって威張りたいから陸曹になったようなヤツなんだし」小声で答える佐藤士長
「お前もう任期満了で辞める気満々だもんな〜来月だっけ?」「そう、3月末さ。先任とかは『陸曹になれ!』の一点張りだけど」呆れたように言う佐藤士長
列の前では小倉3曹がまだ怒鳴っている「アイツみたいになりたくないしな。大村、お前は残るんだろ?」「あぁ、4月の試験を受けるよ。まぁやらなくても受かるんだけどね」
「おいおい当直陸曹さんよ〜消灯になっちまうんじゃないんですかぁ?」そうはやし立てるのは先任士長・久保田士長だ。5任期士長の久保田士長は小倉3曹より入隊が上である
「もう寝てもいいですかね〜」嘲るように久保田士長が言う、周りの陸士達も嘲笑を押さえる「…点呼終わり」顔を赤くして小倉3曹は去っていった
「あ〜あ、8班の連中はまたいびられるだろうな」部屋に戻りつつ佐藤士長は言う。8班は小倉3曹が班長なのである
「いやいや、明日の外出は『清掃の不備』を理由に不許可になるとかじゃねぇ?」大村士長も呆れたように言う
次の日、駆け足をする佐藤士長と大村士長たち「佐藤も残ればいいのに。まだ娑婆より気楽じゃねぇ?」大村士長が言う
「気楽だからいいってもんでもないだろ?それに立場サイアクだしな、今じゃゲバ棒振り回してるほうがヒーローじゃん。俺達は『体制のイヌ』だぜ?」そう言って呆れる佐藤士長
「いいじゃねえかイヌで、娑婆に出たら『企業のイヌ』だろ?」「どっちもどっちならかわいい姉ちゃんのいる方がいいぜ」そう会話しながら駆け足は続く
そのころ、長野県の山奥で何発もの銃声が鳴り響いた…
課業も終わり2士連中が班長たちの靴磨きに精を出している、佐藤士長らは娯楽室でオセロや花札、将棋などで遊んでいた
「よし、王手!待ったなしですよ〜」と大村士長「む…こりゃぁいかんな」そう唸るのは久保田士長だ
「勝ったら外出増やしてくれるんですよね?」「…まだ勝負は付いてない!」久保田士長がそう言って盤面をにらみつける
その時だった「非常呼集〜!残留者は集合!」当直士長が叫んで回る「ん〜、また小倉のボケかぁ?」そう言いつつ外被を着て廊下に出る久保田士長達
廊下に立っていたのは小倉3曹だった。だが何か様子が違う
「本日午後3時頃、『連合赤軍』の連中が人質をとって軽井沢の『あさま山荘』に立てこもるという事件が発生した」行列内からざわめきが起こる
「現在、警察が包囲中だ。だが、この事件を機に各地の活動家が事件を起こす可能性がある!」さらにざわめく班員達
「よって連隊は、当分の間『第3種勤務態勢』に移行する!全員外出は禁止、以上!あとは部屋で待機しておけ」そう言って小倉3曹は立ち去っていった
「おいおい、長野の話なのにこっちまで巻き添えかよ〜」「アカはろくな事しねぇな…」「デートの約束はどうなんの?」口々に愚痴を言う営内者たち
みんな娯楽室に集まりテレビをつける「俺達も出動…するのかな?」不安そうに言うのは大村士長だった
「なんだ大村?ブルってんのか?」そう言って笑う久保田士長「アカどもをボコボコにしたらいいんじゃねえか、簡単簡単!」そう言ってゲヒャヒャと笑い煙草に火をつける
すっと灰皿を差し出すのは佐藤士長だ「あ〜あ〜大変だな…もうすぐ任満なのに」そう言ってため息をつく
廊下からは3小隊の小隊長・権藤1曹の声が聞こえる。どうやら事件発生の一報を聞いて駐屯地に駆けつけてきたようだ
「小倉ぁ、今すぐ動ける人員は何名だ?」「えっ?それはまだ…」「それを調べるのが当直の仕事だろうがぁ!!さっさと行け!」小倉3曹の太鼓腹に権藤1曹の蹴りがヒットする音が聞こえた
「あのバカ、なにやってんだか…」久保田士長はニュースを見つつボソッとつぶやいた
次の日からは万が一の出動に備えての準備が始まった
「治安出動用の盾、木銃、催涙ガス弾、あとは…」「よし、これをトラックに積み込んでくれ」「防護マスクの点検は小隊ごと!」 着々と準備が進む「いいか〜柵の外から見えるところで準備するんじゃないぞ!あくまでもコッソリ準備だ」そう中隊長が言う
事件は膠着状態になってきている、日々の報道も変わりない。記者会見に出ている警視庁のお偉いさんも憔悴してる感じだ
「なんか一人殺されたんだって?」娯楽室で久保田士長が聞く「民間人が撃たれたらしいですよ」誰かが答える「へ〜警察の網を突破したのか、すげえな!」
その横で大村士長は落ち着かない顔をしている「俺達は…どうなるんだ…?」佐藤士長が答える「どうにかなるんじゃないか?考えすぎだろ?」
「お前はもう辞めるから…!」「おいおい、何をイライラしてるんだ?」「…すまん、しかしこんな事って…」首を振る大村士長
「ベトナムじゃもっと何人も死んでるんだろ?あっちは戦争だからな」「戦争なんて、俺達には関係ないと思ってたよ…」
肩をすくめ佐藤士長は言う「これが戦争か?俺達が出動する時は、もっとハードな事になるんだろうぜ」
報道のテレビ越しにも警察の焦りは伝わってくる「空挺の同期が『遺書を書いた』とかって電話で…」誰かが言っている
「俺達の出番だろうか?」「警察がやるんじゃない?」そういった会話が中隊内でも聞こえ始めた
そして2月27日、警察は「強行突入」を決意したようだ
「…というわけで、警察の突入に合わせてわが連隊の管内でも不審な動きをする団体がいる、との情報がある…」
中隊長が全隊員を前に話をしている「今晩から明日にかけて、中隊は30分以内に出動できる体制を維持する」
「そりゃ『寝るな』って事かな…」列内で誰かがささやいた
「わが日本国の平和と安定は諸君らの双肩にかかっている…」演説のように熱っぽい話し方になってきた中隊長、旧軍時代を思い出しているのだろうか…
「大村、大丈夫か?」佐藤士長が心配そうに聞く「…あぁ、何もなければいいな」やはり顔が青い。深夜1時、各小隊持ち回りで不寝番をしている最中だ
「オレは…こんなに臆病だったのかな?」そうつぶやく大村士長「…」佐藤士長は何も答えない、いや、答えられない
娯楽室の時計の針が回る音がする、交代まであと少しだ
「オレ、間違ってたよ。自衛隊は『気楽な職場』なんかじゃなかったんだな…」深くため息をつき大村士長は言う
「オレも間違ってたかもな。『体制のイヌ』じゃねぇ、俺達は『番犬』だよ。あいつらはヒーローなんかじゃねぇ、悪党だ。俺達みたいなのがいねぇといけないんだ、この国には…」
そしてさらに夜は更けていった…
「お〜行け行け!」「派手だねぇ…鉄球だよ」「この寒いのに放水だって!やられた方は悲惨だねぇ」テレビを見つつヤジを飛ばす。28日、突入の日だ
「今のところ何もなさそうだな、やっぱり60年や70年安保の時と違うな〜」そう言って笑うのは権藤1曹だ
そして夜…人質救出&犯人全員逮捕で突入は終わった。殉職者2名の報に娯楽室は静まりかえった
「死んだ…か」「覚悟はしてただろうけど…」
「自衛隊にとっても、いつか人ごとじゃなくなる日が来るかもな」そうつぶやいたのは大村士長だった
結局事件の後、『連合赤軍』の連中が行った凄惨なリンチ事件が発覚し、学生運動は急激に衰え始めていった
「やっぱり任満で辞めるのか?大村…」3月末、継続任用の手続きをした佐藤士長が言った「ああ、わかったんだ。オレは自衛官を続けられないってね」そう言って寂しそうに笑う
「…」「でもお前が残るから、中隊にはマイナスにならないよな」「そういう問題じゃ…」「どうして残ろうと思ったんだ?」そう大村士長が聞いた
「誰かがやらなきゃいけない仕事だって気づいたのさ、それに農家の四男坊のオレにはもう行くところがないからな」そう言って笑う佐藤士長
「オレは実家の工場を継ぐよ、これからは物作りの仕事が大事だろうから…」「そうか、がんばれよ!」
除隊式の日、5分咲きの桜の中を去る大村士長。佐藤士長は見送りもそこそこに、陸曹候補生になるためのなるための勉強に向かった…
「…そうして今、ここにこうしているのさ」そう言って先任は笑った「『命がけの仕事』の覚悟ができなかった大村は辞めた、最近の若い連中にその覚悟があるのかな?と思うんだよ」そう先任は言う
「…」三島は黙って聞いている「不景気だから人材はいくらでも入る、でも頭や体力だけで続けられる仕事かどうか、それは考えた方がいいな」そう言って先任は立ち上がる
「『陸曹になりたい理由』に生活を上げるヤツもいる、それは当然だろう。でもな、ホントにそれでいいのか、考える必要はあるだろうな」そう言って先任は去っていった