911狂想曲 中編

「いないって、何で?」「逃げたんじゃないかぁ?」陸士たちの間で笑いが起きる
「でもこのままじゃマズイだろ?どうするよ?」そう言ったのは飯島士長だ
「しかし指示が無いことには…」困り切った感じの村田3曹「ちょっと僕も行ってきます」そう言って勤務隊舎に向かおうとする
「おい、待て待て。陸曹が誰もいないんだから、お前さんが向こうに行くのはマズイぞ」そう言うのは同じく古手士長の福永士長だ
「え〜でも…」ますます困惑する村田3曹

その騒動の中に田浦士長もいた
(この中ではオレが先任者なんだなぁ…)陸曹候補生に指定された時点で、陸士の間では序列が上になるのだ
(ここはやはり先任者が取りまとめるべきか…しかし先輩たちもいるし、勝手な判断もできないしなぁ…)
例え何もしなくても、後から文句を言われることはないと思う。非常呼集がかかったとはいえ、今の時点では出動するような事態は考えられないのだから
むしろ陸士だけで勝手な行動を取る事を嫌がる幹部・陸曹も多い
だが現状を放置するべきではないとも思う
陸曹候補生すなわち先任者としてこの場をまとめるべきか、それとも無用な口出しはしない方がいいのか…逡巡する田浦士長
しかしその時、一人の隊員が声をあげた

「しゃ〜ないっスね、オレ達で動くしかあらへんなぁ」みんなの前に出てきたのは陸曹候補生・井上士長だった
「井上?お前が?」当惑する福永士長。普段の井上士長を知ってるだけに思わず「何で?」と言ってしまう
「いや、オレと田浦がここでは先任者でしょ?誰かが指示出さなアカンのですから…ねぇ、沢田士長?」
そう言って井上士長は中隊最先任士長、沢田士長に顔を向けた。今まで後ろの方でじっと推移を見守っていた沢田士長が前に出てくる

沢田士長は中隊、いや連隊でも最古参の陸士だ。入隊は何と湾岸戦争よりも前…もうすぐ6任期満了で退職が決まっている
毎日外出できるという先任士長の権利を行使して今日も飲み屋に行っていたのだが、テレビでテロを知って「もしかしたら…」と営内に帰ってきたのだ



じっと井上士長の顔を見る沢田士長「…井上よ、勝手に指示を出して責任は取れるのか?」
ヘラヘラと笑いながらもきっぱりと言い切る「腹切る訳や無いんですから、責任くらいナンボでも取りますわ」
「…ま、よっぽどのことをしない限りは大丈夫だろ」そう言って振り返る「よぅしお前ら、動くぞ!井上の指示通りにな」
陸士達が「ハイ!」と返事を返す。全員の視線が井上士長に集中する

「よし、ほな…沢田士長、何人か連れて高機(高機動車)を動かせるように準備しとってください」そう言って次は福永士長の方を向く
「フクさん、若いの連れて補給庫からエンピ(スコップ)とか適当に準備しとってください」「何を基準に準備する?」「人命救助、災害派遣でええと思いますわ」
次は飯島士長に向き合う
「オレは何をするんだ?」「武器庫を開けといてください」「武器!?」「まぁ無いとは思うんですけど、治安出動やったら(武器が)いるでしょ?」
矢継ぎ早に指示を出す井上士長
「残りのモンは迷彩服、半長靴、テッパチ(鉄帽)、装具、背のうを準備!いつでも出れるようにして営内に待機や」
そして最後に田浦士長の方に振り向いた
「田浦!事務室で名簿使って、今すぐ出れる人間の数を数えとってくれ。たぶん3科がほしがるやろうしな」
突然の事にポカンとしていた田浦士長、急に指名されて慌てて「わ、わかった」と返事をする
「さ、ちゃっちゃとやるでー!」パンパンと手を叩く井上士長だった



勤務隊舎の事務室で名簿を相手に奮闘する田浦士長
「…操縦モス(特技)を持ってるのは…そのうちけん引モスは…」メモ帳に正の字を書いて人数のチェックを行う
「おう、どないや田浦?」事務室に顔を出したのは井上士長だ「ホンマにジメジメおらんわ、どこに行ったんやろな?」
「集計はもうすぐ終わるよ、これは3科に?」「いつでも出せるようにしとって、まだ何も言ってきてへんけどな」
そう言って適当な座席に座る。事務室にあるテレビから片方のビルが崩壊したWTCの映像が映し出されている
時間は23時20分を回っている
「補給庫も武器庫も車両もだいたい準備よし、みんな仕事が早いわ〜」と嬉しそうに言う井上士長。今まであちこちを回ってきたのか少し汗をかいている
「なぁ井上よ…」鉛筆を止めて田浦士長が顔を上げる「何で急に仕切ろうと思ったんだ?」
「何や急に?そやなぁ…」口を開こうとしたその瞬間、廊下の方から「何やってんだよ、あ〜?」という声が聞こえてきた

「おい!お前ら何やってんだよ!あ〜?」事務室に顔を出したのは木島1曹だ「勝手に車両とか動かして、おまけに武器庫まで開けてんのかよ!」
「ドコ行ってはったんですか木島1曹?」木島1曹の怒声も柳に風と受け流す井上3曹
「連隊本部に行って情報収集してたんだよ!お前ら陸士のくせになに勝手なことを…」要するに自分で何をやっていいか判断したくないので、連隊本部に逃げていたというわけだ
「非常呼集やゆうて集めるだけゆ〜わけにはいきまへんから。放置プレイを楽しむ趣味は無いんですわ」顔色も変えずにしれっと言い放つ
「…なんだと!?俺に喧嘩売って…」真っ赤な顔をしてずいと近づいてくる木島1曹、とその時

「来たぞ〜!誰か状況を説明してくれ」事務室の入り口に顔を出したのは、酔いがまだ完全に醒めてないといった顔の先任だった



おそらく2次会から直接来たのだろう、よれよれのスーツ姿が妙に似合う
先任の後ろには中隊本部の面々、そして中隊長がいる。2次会の会場からタクシーで乗り合わせてきたようだ
「え、あ、あのぅ…」言葉に詰まる木島1曹。何をしていいかわからず連隊本部に逃げていたから当然だ
「何だ?何もしてないのか?」呆れたようにいう先任。その時事務室にいた田浦士長たちと目があった
「田浦、井上。お前らは何してるんだ?」
どう説明したものか…と考える田浦士長だが、その前に傍らの井上士長が口を開いた
「誰も陸曹がおらへんかったので、自分の判断で準備をさせました」しれっと言い放つ
「…」少し考える顔をする先任、それを見て木島1曹が口を開く「お前ら、勝手な事しやがっ…」
その言葉を遮るように、先任が口を開いた

「準備状況は?車両は何台準備した?」「ジープ1両、高機3両、ドライバーも確保済みです」
「物は?」「エンピ、十字、それと人命救助システムも。いつでも出せますわ」
「陸士達はどうしてる?」「迷彩服上下、半長靴で営内班に待機させてます。人員集計は…田浦?」
慌てて名簿を差し出す「これです。取りあえず陸士だけですが…」紙を受け取る先任、後ろから訓練陸曹もやってきた

「…よし、営内者は今のまま待機させとこう。お疲れさん!後は俺たちでやるから、取りあえず営内で待機しとけ」満足そうに先任は笑顔を見せた
「さっすが陸曹候補生だな!お疲れさん、助かったよ」訓練陸曹も声をかける
「ほな帰りますわ、行こか田浦」「そうだな…では先任、居室に戻ります」

「おぅ、じゃあお前ら帰って陸士どもの…」木島1曹が何か言おうとしているが、それを聞かずに二人はさっさと帰っていった


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