自衛隊法第83条 その5

「えーと、県道55号線との交点を右折してだね」「これですね、右よし、前方よし…」
健康に悪そうな排ガスを吹き出して、ジープはN県の田舎道をひた走る

ドライバーは田浦3曹、助手席には前田1尉、後部座席には旅団から派遣された施設科の陸曹が一人
「いい景色だねぇ〜ずっと続く田んぼ、遠くの山には冠雪、典型的な秋晴れ、まさにドライブ日より!」少しはしゃぎ気味の前田1尉
CPの中より外に出てる方が気が楽なのか、いつもよりよく喋る
「仕事じゃなけりゃいいんですけどね」「ん?な〜に?」小声で呟いた田浦3曹の愚痴は、ジープのエンジン音にかき消された
(ま、たまにはドライブもいいか…)豪雪地帯で米所のN県は確かに風光明媚だ(災害派遣が終わったら、ドライブにでも来ようかなぁ…)
北方機動演習で北海道に行ったときも同じ事を考えたことを思い出し(そして未だに行ってない)、苦笑いする田浦3曹だった

1時間ほどジープを走らせて、一行はK市の市役所に到着した
出迎えは地味な色のスーツに薄くなった頭、太いフレームのメガネをかけた50代の男性だった。典型的な「地方の市役所職員」に見える
「お待ちしておりました、私は助役の石川と申します」そう言って助役は名刺を差し出した
「あ、これはどうも。私は前田と申します。災害派遣部隊の中で情報幹部という役職をやっておりまして…」こちらも名刺を取り出し交換する
連隊本部の幹部ともなると部外との接触も多く、そのために名刺を作っている人も多い(各中隊長や付准尉、広報関係者も同じ)

助役の案内で市長のところまで案内された3人、広い会議室のようなところに通された
意外なことに会議室には市の職員、しかもかなり上級の役職らしき人々が集まっていた
「や〜お待ちしていましたよ自衛隊さん!」満面の笑みを浮かべて手を差し出してきたのが例の市長らしい。そのまま田浦3曹の方に向かってきた
「あ、いやこっちが…」困惑する田浦3曹。隊員同士なら誰が一番えらいのかは階級章で一目瞭然だが、民間人の、しかも自衛隊反対派だった市長にはわからないようだ
スッと横から手を差し出す前田1尉「はじめまして市長」と部外向けのにこやかな笑顔で対応する
握手を交わす市長と前田1尉、そのシーンを市の広報カメラマンが撮影した

撮影が終わったとたん、市長の態度が急に冷たくなった。笑顔を消すと「じゃ、後は石川に話を聞いてください」そう言い残してさっさと会議室から出て行った
職員たちも「面倒な仕事が終わった」とばかりにそそくさと会議室を後にした
取り残された3人の隊員と不運(?)な助役
「なんだかなぁ」ぼそり、と田浦3曹が呟いた


「本当に申し訳ありません…市長があまり、その、自衛隊にいい印象を持っていないので…職員たちも影響されているようなところがありまして」
助役さんの申し訳なさそうな顔を見てると、何だかこちらが悪いことをしているような気分になってしまう一行である

「いや、別に構いませんよ。いつもの事です」とフォローする前田1尉
普通科には珍しいU(一般大→幹部候補生)の前田1尉は、どちらかというと柔らかい顔立ちと物腰である
「まぁそれはどうでもいいです」旅団から派遣された施設科陸曹が地図を片手に助役さんに詰め寄った
「こことここの道路、それとこの小学校…地盤が少し気になりますね。案内してください」職人肌の人が多い施設科だけに、政治的な話には全く興味を示さない。見事なまでのプロ意識と言える
何カ所かの地域を見て回り、市の郊外にある小学校の駐車場で少し休憩することになった

「そう言えば防災訓練とかって、やってるんですか?」田浦3曹が助役さんに聞いた
「あんまり…自衛隊さんの方にもあまり来てもらっていない状況でして…」今の市長になってからは自衛隊との合同防災訓練は行っていないのだという
「避難場所の指示看板が落書きだらけで見えなくなってますね。地図もわかりにくかったです。防災の観点からいうとあまりよろしくない状況だと思いますね」とこちらは前田1尉
「…う〜ん」と唸る助役さん

授業は終わっているらしく、何人かの生徒が興味深そうにこちらを見ている。手を振ると笑顔で振りかえしてきた
「嫌われるのはいいんですが、防災意識が低いのはちょっと怖いですね。あの子たちが死んでからじゃ遅いですし、対策を取れるのは市役所の皆さんだけですからね」
前田1尉の言葉に「う〜ん、ですねぇ…」と考え込む助役さんだった

「今日はどうもありがとうございました」「いえいえ、特にお役に立つことも無くて…」市役所まで助役さんを送ってきた一行、今から宿営地に向かい帰隊する
「いや、やはり自衛隊さんの迷彩服は効果絶大です。その服を見ただけで安心する市民も多いと思いますよ」
「そんなもんかな…」首を捻る田浦3曹
「いろいろ参考になる話を聞かせていただきました。また機会があればぜひいらしてください」
「我々は隊区が違うので何とも…まぁ私は転属が多いので、もしかしたらまた来るかもしれません」と前田1尉。幹部は数年単位で全国の部隊を転々とするのだ
行きと同じように黒い煙を吐いて、ジープは市役所を出発した

数年後、与党の推薦を受けた助役さんが市長選に立候補し、現職を大差で破る日が来ることになるが、それもまた田浦3曹たちにはあまり関係のない話である


「これってウチから持ってきたんだっけ?」「発電機は全部、戦車から持ってきたヤツだから…」「この椅子、どこの部隊のですか〜?」
いつになく騒がしい師団のCP。それもそのハズ、約1ヶ月にわたる災害派遣も終わり、明日で被災地から撤収するのだ

仮設住宅の建設が予想以上に早いペースで進み、避難勧告が出されていた地域でもガケの補修工事や道路の復旧作業が一段落
先々週あたりから北方や西方の部隊の姿が消え始め、ここスタジアム駐車場もだいぶ広く感じられるようになった
「まさか撤収にまで狩り出される事になるとはなぁ…」とぼやくのは田浦3曹だ

何度か連隊から来た人と勤務交代をして「もう来ることはないだろう」と駐屯地に戻ったのが3日前、2日間の代休をもらって下宿でゴロゴロしていた一昨日に
「ちょっと明後日からN県の方に行ってね」という先任からの無情な電話…
「まぁ、明日には帰れるんだからいいか」そうは言ってもCP内はけっこう騒がしい
CPの運営が長期にわたったため、そして人の入れ替わりが多かったため、CP内にある物品の掌握が大変なのだ
部隊名が書いてある発電機や天幕などは間違えようがないとしても、机や椅子、ベニヤ板、照明、電気のコード、官品の地図といった大きな物から
コーヒーメーカー、筆記用具、コピー用紙などの細かい物品まで
持ち主不明のプリンター、携帯の充電器、かばん、図板、その他もろもろ…
間違えて持っていってしまったら、別の部隊に返すのにまた何時間も移動しなければならない
「すんませーん、通信ですが有線の撤収に…」「オレの外付けHDDどこいった〜!?」「誰か、○×市の担当者の携帯番号知らない?」
CPが静かになったのは15時を過ぎてからだった

「お疲れ〜オレらも明日で撤収や」撤収が一段落して缶コーヒー片手に一息つく田浦3曹の前に、炊事班に参加していた井上3曹が声をかけてきた
「井上もけっこう往復したよな…もう3回目くらいだっけ?」「まぁ全部で2週間くらいこっちにおったなぁ…」
しばし無言で空を見上げる二人
「…あぁ疲れた」「オレもや…疲れたなぁ〜」
そう言って顔を見合わせ、笑う二人であった


涼しい風が窓を全開にした高機動車の中を通り過ぎる
後部座席の一番後ろに腰掛けて、大島士長は離れてゆくスタジアムの白い屋根を見つめた

(けっきょく、最初から最後までこの災害派遣に振り回された気がするなぁ…)
1ヶ月前の地震発生の瞬間を、今でも鮮明に覚えている。待機要員で営内におり、のんびりゲームでもしようかと思った矢先に地震が起こった
それから先は出動してすぐに帰ってきて、また出動して食事を作って…何度か被災地と駐屯地を行き来して今日を迎えたのだった

「ご飯作って終わりでしたねぇ…」向かいの席に座る井上3曹に声をかける「ん?あぁ、そやなぁ」とこちらは上の空で携帯とにらめっこ
「そういや井上、例の合コンで知り合った子はどうなった?」とコレは運転席の田浦3曹。助手席は連隊本部の前田1尉だ
「…とっくに連絡途切れとるよ」「ハハッ、何してんだよ」と嬉しそうに笑う
「…あのなぁ…この1ヶ月でロクに休んでへんのに、どうこうできると思うか〜?」「まぁ無理だろうな。不運だったと諦めな」
「ま、仕事だからしょうがないね〜」とこれは前田1尉「ボクもさ、彼女がだいぶお冠でね…」
「前田1尉、彼女いはるんですか?ええねぁ〜」「娑婆の人ですか?だったら合コンでも…」
と嬉しそうな陸曹二人を尻目に、大島士長は冴えない顔をしている

(なんか…「災害派遣」やった気がしないな…)
出動はしたもののすぐに帰隊、また現場に進出したものの、やったことと言えば飯炊きぐらいでしかない
あとは天幕を張ったり、野外風呂を炊いたり…
ヘリ隊のように被災者の救出をしたわけでもなければ、消防のレスキュー隊のように土砂に埋まった人を救助したわけでもない
地震発生直後に情報収集を行った偵察隊、被災者の医療援護を行った衛生隊、各地で土砂の除去などを行っている施設隊、慰問コンサートを行った音楽隊なんてのもいる
そんな中、自分のやったことは何だったのか…
「なんだかなぁ…」ボソッと呟いた

スタジアムの屋根はもう見えない。師団の他の部隊も先に帰っていった
高速道路のインターチェンジに向かう一般道で赤信号に捕まってしまった。連隊の他の車両は先に行ってしまっている
ふと外に目をやると、後ろに停まっている幼稚園の送迎バスの中から園児たちが手を振っているのが見えた
「元気だねぇ…」控えめに手を振り返す大島士長。すると今度は、歩道の方から小学生たちが手を振ってきた

子供たちだけじゃない
追い越しをかける乗用車から敬礼をする老人、ハザードランプを点灯させるトラック、バスの車窓から手を振る高校生たち
高速道路のインターに入ると、料金所のオジサンが「ご苦労さん!」と声をかけてきてくれた

「こうやって声をかけてもらうと『やった』って気になるよねぇ」何気ない前田1尉の一言
「…そうですね、そうですよね!」こうしてたくさんの人が自衛隊の車両を見ただけで手を振ってくれる、声をかけてきてくれる
ほんの少しだけど、自分の仕事に手応えを感じられた大島士長だった

〜完〜


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