進め銀輪部隊!前編

お祭りも終わったある日の昼下がり
運幹会同から帰ってきた運幹の岬2尉が何やら渋い顔をして田浦3曹の元にやってきた

「あのさ、田浦…」運幹がこういう顔の時はいい話ではない(とはいえ、運幹が「いい話」を持ってくること自体が少ないが)
「はい、何ですか?」と答えつつ田浦3曹の頭の中は(どっかの部隊の検閲支援?教育の参加?地連支援?人いたっけな…)と予定表と名簿が浮かび上がっている
「あのさ…3科の方からこういう話があってね」
そう言って差し出された一枚の紙、そこには…

「自転車部隊?」
事務室に呼び出された1小隊の大宮3曹と3小隊の松浦士長は、異口同音にそう言ってポカンと口を開けた
「3科から人員の差し出しするように、と依頼があってな」と二人に話す田浦3曹。話の概要はこうだ

連隊長と3科で以前から企画していた「自転車を利用した部隊の運用」補給任務や斥候、伝令その他の任務でマウンテンバイク(MTB)を活用しよう、という計画があった
訓練費など予算の関係で調達が遅れたが、ここにきてやっと1台5万円のMTBを10台調達できた
そこで各中隊から隊員を集め、基本教練や運用などの検討を行おう…という話になったのだ

「…というわけで、来週1週間はずっとこの自転車部隊の方に参加してもらうから」と言って田浦3曹は何枚かの資料を二人に渡した
「月曜に本部隊舎裏に集合、長は本管・情報小隊の小隊陸曹だって。予定では初日の昼から銃を出すらしいから…」
細かい説明も終わり、二人は事務室を後にした

「自転車部隊…なんかいろんな事考えるんですね」資料を読みつつ松浦士長が口を開く
「だな。『銀輪部隊』ねぇ…そんな金があるんだったら、現場に回せってんだよな」
資料には旧日本軍の『銀輪部隊』、スイスの自転車部隊の話などが載っている
燃料いらずで軽量、舗装道ではかなりのスピードで走ることができ、山岳地帯でも運用可能。特殊な技術や免許も不要で、まさに日本にうってつけの装備品である…と書かれている
「へ〜すごいですねコレ!」感心したように言う松浦士長に、大宮3曹は「…どうかな」と渋い顔だ
「ま、実際にやってみりゃわかるだろ。月曜までに革手(革の手袋)だけは用意しとくようにな」


月曜日、国旗掲揚と朝礼が終わってすぐに大宮3曹たちは本部隊舎裏にやってきた
自転車置き場の一角に、フレームを黒やOD色に塗られたMTBが10台置いてある

おそらく3科が調達した官品自転車の周りには、すでに何人かの隊員が集まっていた
「え〜っと、1中隊から大宮3曹と松浦士長…だな」集合した二人にレンジャー徽章を胸につけた陸曹が声を掛けてきた
今回の『自転車部隊検証隊』の長にあたるのは情報小隊の小隊陸曹である阿比留1曹だ
集まった面々はほとんどが若い3曹か士長、1士や2士の姿も見える。各中隊から1〜2名で総勢10名の小世帯だ
連隊の中なら何人か集まれば知り合いの一人や二人はいる…大宮3曹も面々の中に知り合いの顔を見つけた

「おぅ大宮、調子どう?」同期に声を掛けられて渋い顔をする大宮3曹
「正直、こんな仕事に回された時点で調子はあんまりよろしくないな」
「相変わらず毒舌だねぇ。いいじゃん、何か係に付くよりは気楽でさ〜」
中隊には中隊本部などの正式な役職(人事記録にも残される)以外にも、「健康係」「防火係」「私有車係」などの係が存在する
書類の作成や提出などの手間や連隊本部との関係などもあり、かなり面倒な仕事も多い
しかし正式な役職ではないので軽視されがちなところもある

『銀輪部隊』の話や簡単な座学、訓練の流れなどを2時間で終わらせて、さっそくグランドで訓練に入る
「自衛隊ってのはまずは何でも『基本教練』から始まるもんでな。というわけで…」
自転車を体の右側に置き、不動の姿勢を取る隊員たち。2列横隊でも自転車の取り回しがあるので、間隔は多めに取ってある
「気をつけ!休め!敬礼!…」号令に合わせて隊員たちが動作を取る。一通り終わってから隊形を崩して全員が集合した
「…で、基本の姿勢はやっぱり自転車を右側に…」「銃を持ったらどうなる…」「MGや84の運用も考慮してるなら…」
検証していろいろ試して2時間、なんとか形になってきたところで午前中の課業は終了した

「はぁ〜疲れた…」昼食の焼き魚を箸でほぐしながら、松浦士長は呟いた
「まだ初日なのに?早いなオイ」とこちらは納豆をかき混ぜる大宮3曹
「イヤだって、何だかよくわからない基本教練とかなんとかかんとか…もっと他にやることあるんじゃないですかね?」
「いや、何だってまずは基本教練だからな。84だって基本教練があるし、乗車するのだって教育隊じゃ番号かけたりするだろ?」
そう言ってみそ汁を一口すすり一言「だりぃけどな」
「そりゃそうですが…もっと面白いことすると思ってましたよ」と口をとがらせる松浦士長
「自衛隊の仕事に面白いことなんてそうそうねぇよ」ズバリと言ってのける大宮3曹だった

昼からも銃を加えた基本教練、そして行進時の隊形などを少しやって一日目は終わった


訓練二日目、今日は駐屯地内を使いある程度の距離を走る訓練だ
まったくの荷物なし、背のう付き、銃携行、フル装備などなど…様々な格好の隊員が集合した

こういう場合、一番下っ端の隊員が一番重いモノを持つ…というのが定番だ
銃だけを持つ大宮3曹に比べて、背のうを背負った松浦士長は乗車姿勢が辛そうだ
まぁそれでも完全装備の2等陸士に比べたらマシなのだが…

駐屯地の外柵コースを1時間ほどグルグル回って休憩に入る。距離にして8kmほど走ったようだ
「あ〜腰が痛い…」松浦士長は背のうを下ろして腰をグルグル回している。自転車に乗ると姿勢がどうしても前屈みになり、背のうを背負ったままだとかなり腰に負担が来る
「自転車だと体が揺れるから、銃の携行も難しいな…」と大宮3曹。89式小銃を体の前にタスキ掛けにしている
「その銃の持ち方…偵察隊ですか?」「あぁ、でも負い紐の長さを調整しないと銃がブラブラして危ねぇよ」
一番若い2士の隊員は背のうを背負った上に銃と銃剣、それに防護マスク携行している
かなり苦労したようで、若いのに一番疲れた顔をしている

「ではもう一度走るぞ〜。今のウチに不備事項は治しておけよ」阿比留1曹が声を掛けると、休憩していた隊員たちが立ち上がる
いろいろと試しながら、午前中はそのまま終わった

「やっとまともな訓練っぽくなってきましたね」昼食のソバをすすりながら松浦士長は言った
「だな。明日一日は駐屯地で訓練して、木曜には演習場に上がるみたいだぞ」とこちらは副食のサラダを口にする大宮3曹
「演習場って…極楽山ですか?」「まさか富士に行くわけにもいかねーだろ。10人しかいないんだし、あそこで充分」
駐屯地から車で10分ほどの山にある極楽山演習場…むしろ訓練場といった方がいいかもしれない大きさの場所だが、小規模な訓練なら充分できる
「昼からは戦闘行動も入るとか言ってたな…喰っとけよ、体力使うぞ」そう言って豪快にソバをすする大宮3曹だった

笛の音が駐屯地に鳴り響くと、自転車に乗って一列縦隊で走っていた隊員たちが一斉に自転車を倒してその場に伏せた
そして自転車を盾にして伏せ撃ちの姿勢を取る
「よ〜し、状況終了」笛を吹いた阿比留1曹の声に全員が立ち上がる
偵察隊や情報小隊が装備するバイクの基本的な戦闘法だが、隙間の多い自転車が銃弾を防げるとは思えない
みんな同じ事を考えてはいるが「取りあえずコレでやってみよう」と阿比留1曹の一声で取りあえずやっているのだ
「やっぱり走りながら撃つのは難しいな」「自転車を漕いでますからねぇ」などと意見がいろいろ出る
さすがにみな普通科隊員、戦闘行動に関しては熱心に意見を交換する
意見を書きまとめたところで、この日の訓練も終わった


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