残暑厳しい9月中旬金曜日の昼下がり。緊張した面持ちの2等陸士たちが中隊本部前に並んでいる
修了式を終えたばかりの第1種夏服が見た目にも暑苦しい
「お、新兵どもが来たか」「1年ぶりですね〜これで人手不足も解消される…」外を窺いながら話すのは倉田曹長と田浦3曹だ
「ま、戦力になるまで間があるけどな〜」そう言って先任は田浦3曹に大きな封筒を手渡す
「これ、配っておいて。人事記録とか被服簿とか入ってるから」先任はそう言うと、上着を羽織り識別帽をかぶった
「了解です…先任、どちらへ?」「新兵どもを居室まで案内してくるよ。用件があったら聞いといて」
じゃ、と片手を上げて先任は事務室を後にした
「国生2士、荷物の整理は終わった〜?」「いや、まだ運び込んだばっかりで…古賀さんトコは2段ベッド?」
隊舎内に設けられた喫煙所で話すのは、新隊員の国生2士と古賀2士だ。二人とも特技は軽火器であり、教育隊時代から同じ班だった
配属された小隊が違うので、営内班も別々になったのだ
「いや、ウチの部屋は2段ベッド無かったよ」「いいな〜オレは2段ベッドの上だよ…」
「職住分離」が進み生活隊舎が増えてきた今でも、部屋割りや新隊員の数によっては2段ベッドがある場合も多い
「下の人によっては地獄だもんな〜」手にしたタバコをくわえて古賀2士は笑った
国生2士は高校出たての19才、甲子園常連校の野球部出身で、一度だけ甲子園でプレイした事もあるという
だがプロの道も推薦で大学に行く道も無く、せめて「体を動かせる仕事」を選んで自衛隊に入隊した
一方の古賀2士は私立大学を出た23才、特にスポーツはしていない
就職先が見つからなかったため「取りあえず」曹候補士で自衛隊に入ったのだ
「今日はこれから何するか聞いてる?」国生2士は自販機で買ったジュースを飲みながら言った
「なんかね〜1530から中隊長の面接で…あとは終礼の時に自己紹介するとか言ってたな。それまでは荷物の整理だって」
新隊員や転属者が来た場合、だいたいは中隊長自ら面接する事が多い
「面接ね〜何聞かれるんだろうか…」「国生2士はソレが付いてるからまだいいさ〜オレなんて何も特技がないしなぁ」そう言って古賀2士は、国生2士の胸に光っている「体力徽章」を指さした
体力検定1級のモノに与えられるその徽章は、新隊員が唯一獲得できる徽章でもある
「ヘンに期待されるのもしんどいんだよね…」苦笑いする国生2士であった
1530…中隊長室前、新隊員たちがまたも緊張の面持ちで並んでいる
「次は国生2士、入りなさい」中から中隊長の呼ぶ声が聞こえた
「国生2士、入ります!」勤務隊舎の中でも数少ないクーラー付きの中隊長室は、入った瞬間に汗が引いたような感じがした
実際は駐屯地の規則上、冷房は28度に設定されているのだが、外が暑いために充分涼しく感じる
入り口の側にあるついたての後ろにソファーセット、さらにその後ろに事務用の大きな机、横には赤地に白線1本の中隊旗が翻っている
「おう、取りあえずそこに座りなさい」ソファーに座る中隊長が向かいの席を指さす
「ハイ、失礼します!」ソファーに腰掛ける国生2士、後ろにもたれないようにソファーの端っこにちょこんと座る
それを見た中隊長は苦笑いをする「そんなに緊張するな、楽になさい」「は、ハイ」肩の力を少し抜く国生2士であった
「え〜っと、国生圭介2士…でいいんだな。ほう、体力検定1級か…」手元にある書類と本人を交互に見る
その書類…部隊によって「個人記録」「班長指導」「指導記録」などと呼ばれている…には、個人の性格や知能段階、検定結果、さらには教育隊時代の生活態度などが営内班長などによって細かく書かれている
「まずは、そうだな…」それから聞かれた事は、今までの班長や区隊長から聞かれた事とさほど変わりなかった
家族の健康状態、趣味、陸曹希望か任期満了退職するか、酒は飲むかタバコは吸うか(未成年だけど)、そして…
「…で、いま現在ローンや借金はあるかね?」これもいつも聞かれる事だ
昔から金銭指導は細かく言われてきたが、現職自衛官の自殺が近年増加しその原因の多くが借財・借金である…という事で、最近では昔以上に金銭指導に力を入れるようになってきたのだ
「いえ、特にはありません」そう答える国生2士「これから車を買うとかの予定は?」「原付でいいのでバイクが欲しいと…」
そう答える国生2士の顔を中隊長はのぞき込む「まぁ班長とかによく相談して、無理のない程度で買うんだぞ…事故とかにも気を付けてな」
そうして中隊長の面接は終わった
「それでは本日付をもって配属された新隊員8名を紹介します…新隊員、前へ」
先任が促し、一列に並んでいた新隊員たちが中隊の前に出てきた
終礼時、中隊の面々が見守る中、新隊員たちが前に並んだ。「え〜それでは、右の方から階級氏名、出身地と趣味を…」
先任に言われて右端にいた古賀2士が前に出る「2等陸士、古賀修平です!出身は…」さすがに年の功&曹候補士なだけあり、こういう場面でも積極的に前に出る
こういうアピールの場は、積極的に前に出た方が好印象を与えられる事が多い。ただし、「寒い」事を言わなければだが…
そして国生2士の番が回ってきた「2等陸士、国生圭介です!出身は…」野球部出身らしく大声を出す。中隊の面々が「おぉっ!」という顔をする
「趣味は野球、○○学院で野球部に所属してました!」そう言うと隊員の中から感嘆の声が漏れる
「…おい、○○学院て…」「確か去年の甲子園で…」「…の出身校じゃなかったか?阪神の…」駐屯地の野球部に所属する隊員がキラリと目を輝かせた
「…こうして新しい戦力が来たわけだが、彼らが一日も早く中隊になじめるよう皆も協力するように。以上、課業終わり!」台上に上がった中隊長が言う 「中隊長に敬礼…かしら〜なかっ!」こうして一日が終わった
「お〜い国生、メシ行こうぜメシ」部屋に帰った国生2士に声を掛けるのはベッドバディの須藤1士だ「メシか…オレも行くか〜」「今日は金曜だからオレは外で食うわ」部屋にいる先輩たちが声をあげる
ゾロゾロと食堂に向かう面々、さらに数名の陸曹が合流しての夕食となった。今日の夕食は…
「すきやき風どんぶり…か」「『風』ってなんやろな」そう言うのは毎度おなじみ田浦3曹と井上3曹「ただメシに文句言ったら罰が当たりますよ〜」そう言って苦笑いするのは、食堂前で合流した赤城士長だ
席についてさっそく食事が始まる「国生は元野球部なんやって?ポジションは?」飯も食わずに井上3曹が尋ねる「ハイ、ライトでした…ほとんど補欠でしたけど」
「でも甲子園ってすごいね〜」「ホント、体力検定1級とるだけあるよな〜」赤城士長に須藤1士は初めて後輩ができて少し喜んでいる
「駆け足は速いのか?じゃあ持続走錬成隊に入るかもな…中隊としてはあんまり出したくないんだけどな」と渋い顔をする田浦3曹
「あ、そうだ…食事が終わったら小隊長のところに顔を出して、だって。面接があるんだって」赤城士長が国生2士に言う
「それが終わったら小隊陸曹と営内班長の面接があるって」「面接ばっかりっすね…」少し不満そうな国生2士だ
「それが終わったらオレの仕事も申し送るよ」と須藤1士
「仕事ってなんや?」「ほら、小隊長の半長靴磨きとか、部屋のゴミ捨てとか…」小隊や各営内班で一番の下っ端には、それぞれ雑用が多い
「まだ須藤がやっとったらええやん」「もうイヤっすよ、1年もやってるんですから…」不満そうな顔の須藤1士であった
「…で、借金とかローンはあるか?」もうこれを聞かれるのも何度目だろう…
そう思いつつ国生2士は「まったくありません」と答えた
「そうか、今後なにか大きな買い物をする予定は?」小隊長の佐々木3尉、小隊陸曹の神野1曹と同じような事を聞かれ、そして目の前にいる営内班長の小野3曹に同じような事を聞かれて同じように答えている
体育学校レスリング班出身の班長は丸太のような腕をしている。ちょっと引き気味の国生2士である
生活隊舎の調理室、面接は基本的に人のいないところで行う「え〜っと、原チャリを買おうかと…」「そうか、まぁ買う時にはオレに言えよ。じゃ、面接はこれで終わりだ」
調理室を出た二人は揃って営内班に向かう「ま、ウチの営内にはヘンなヤツとかいね〜から安心しろよ」「は、はい」ほとんどみんな外出したのか、金曜日の営内は静かだ。残っているのは同じ新隊員たちと少数の残留者だけである
「あの、班長…僕らの外出ってどうなるんで…?」せっかくの週末、やはり外出はしたい。新隊員教育隊の時は土日の朝10時から夜の8時まで外出できたが…
「ん?あぁ、お前ら新兵は中隊統制で日曜の朝かららしいわ」「日曜ですか…」どうせなら土曜日も出たかったが、まぁ出られないよりマシか…と考える国生2士
「明日はゆっくり縫い物とか荷物の整理をすりゃ〜いいさ。来週からは普通に特外(特別外出=外泊可能な外出)できるからな」そう言ってるうちに営内班の前に来る。部屋の明かりはすでに暗くなっており、おそらくは誰も残っていない
「じゃ、オレも外出すっかな〜あ、そうそう…」部屋を出ようとしたところで、小野3曹は踵を返した「来週の金曜日、お前さんの歓迎宴会するからな。予定開けておけよ」そう言い残して小野3曹は去っていった
一人ぽつんと残された国生2士「…片づけでもするかなぁ」そう一人で言ってみたものの、返事が返ってくるわけでもない
昨日までいた新隊員教育隊は良くも悪くもにぎやかだった事を思い出す。昨日まで大勢の同期たちとともに時間に追われた生活だっただけに、急にヒマになると逆に何をしていいかわからない
片づけをだいたい済ませて点呼も終わり、もうやる事もなくなった。部屋にはまだ誰も帰ってこない
実家の近い隊員は週末は駐屯地には帰らず実家に帰る事も多い。当然夜遊びをする者も多く、週末は営内の人口密度が一気に下がる
「…寝るか」部屋の明かりを消して2段ベッドによじ登り、そのまま眠りに落ちる国生2士であった
翌朝、日朝点呼の時間に起きた国生2士。起床ラッパが鳴り響き上衣を着て部屋を出ようとする…
その時、廊下のスピーカーから放送が流れた
『本日の点呼はベッドチェック、各人部屋にいるように』当直からだ。土日の点呼は人数も少ないため、当直が各部屋を回って人員をチェックする「ベッドチェック」になることが多い
仕方ないので部屋に戻る国生2士。部屋には消灯後に帰ってきたのか、寝ている先輩の姿がある
さすがに寝ている人がいるのにテレビをつけるわけにはいかない、部屋にある雑誌やマンガを読む気分でもない…朝飯を食べた国生2士はそのままベッドで二度寝を始めた…
昼下がりの駐屯地、サーキット訓練場には国生2士を始め新隊員たちが集まっている。結局はどの中隊も新隊員は外出できなかったらしい
「いや〜3中は昨日の晩から出してもらえたって聞くぞ」「マジで!?ウチなんか明日だけだってのに…」「ウチは今日も出れたんだけど、やる事ないんだよね〜」
各中隊によって新隊員の扱いは変わってくる。この連隊では一番厳しいのは…「ウチなんか来月まで外出できないって…」重迫に行った同期が顔を曇らせて言う
「来月ってマジかよ」「うっわ〜非道いな…」皆も顔をしかめる「そりゃ悲惨だな〜」国生2士も同情したように言う
「それにさ〜新隊員は『煙缶の片づけ』とか『陸曹部屋の清掃』とか…あと、小隊長と小隊陸曹、それに班長の靴磨きまでやれってよ〜」
毎月交代で新隊員が入ってきた昔とは違い、今は短くても3〜4ヶ月、部隊によってはヘタをすると1年以上新隊員が入ってこない事もある
そういう点で新隊員に過剰な雑用をさせる事は、士気の面でマイナス面が大きいのが現状なのだが…
「さっそく辞めたくなってきたよ…」がっくりと肩を落とす重迫の同期だった
日曜日、同じく起床ラッパと同時に目を覚ました国生2士。点呼が終わり洗面用便が終わると、さっそく外出準備だ
同じ営内で寝ている鈴木士長を起こさないように、静かに服を着替え始める
当直室前に来ると、同期が何人か同じように私服に着替えてたむろしていた。どうやら考えてることは同じらしい
「おはよ〜」「お〜う」軽く挨拶を交わす
「今日はどこにいくんだ?」「オレは実家に顔を出すよ」「オレはパチンコでもしてくるよ」各人、それなりに用事はあるようだ
「久々に彼女とデートさ〜」と喜ぶ同期もいる。教育隊や新配置隊員の頃は外出が制限されて、そのせいで彼女と別れる隊員も少なくない
その点、彼はラッキーだったと言えよう
「国生2士、入ります!」基本通りの入室要領を見せて当直室に入る国生2士、しかし…「おぅ、外出証だろ?いいっていいって、そんなに固くなるなよ〜」と当直幹部から軽い言葉が飛んでくる
新隊員の時とはうって変わったその軽さにちょっと面食らう国生2士、印鑑を取り出して「そ、それでは受領します」と言って外出簿になつ印する
「帰隊時間は知ってるな?」「あ、はい。帰隊は2200まで…です」「そうだな、じゃ、行ってらっしゃい」当直幹部はそう言うとひらひらと手を振り、当直室の奥においてあるテレビの方に顔を向けた
「用件を終わり帰ります」一応はそう言って一礼し、当直室を後にする国生2士だった
昼下がりの1500、駅前のファーストフード店でハンバーガーを頬張りながら「困ったなぁ…」と呟くのは、朝の8時に喜び勇んで外出した国生2士だ
何を困っているかというと…「やることがない…」らしい
朝の8時だとほとんどの店は開店しておらず、駅前のコンビニやゲーセンで時間を潰した国生2士は。10時になるといろいろ店も開くが、片田舎と言っていいこの街にそれほどの店は無い
新隊員の時は短い時間に集中して遊ばなければならなかったが、時間が余ってもそれほど嬉しい状況にはならない…と気付いたのは正午を過ぎた辺りだった
「これなら電車に乗って都心まで出りゃよかったな…」と今さら言っても後の祭り、車かバイクがあればまだ行くところもあるだろうが…
結局、17時には駐屯地に帰ってきた国生2士「あれ、早いな〜」待機要員だった同室の鈴木士長が笑う
「外出しても、やること無かったんだろ?」さすがにお見通しである「ええ、まぁ…」「ま、2士のうちは金もないし車もないからな〜」
そう言って鈴木士長はテレビゲームのコントローラーを差し出す「どうせヒマなら付き合えよ」
結局、消灯までゲーム漬けの一日で「初めての外出日」は終わっていった