翌、月曜日…中隊倉庫前、勢揃いした新隊員たちの前に立っているのは補給陸曹の林2曹だ
「今から物品交付をするが…確実に、かっくじつに点検するんだぞ!」と力強く言う
「…戦闘外被、3A、え〜っと…古賀!」「はい、点検します…」一つ一つ物品を確かめて交付する「…あ、これ中古だ…」思わず呟いてしまう古賀2士
名前を注記する場所に消した跡がバッチリ残っている
「さすがに新品ばっかり無いんでな、人気サイズは申し訳ないが中古ばっかりなんだ」「イヤ、いいッス。新品よりかは気兼ねなく使えますから…」
新隊員教育隊からそのまま持ち込んだモノもあるが、中隊で交付されるモノも多い
「戦闘靴2型なんだが…」箱から取り出す林2曹。半長靴しか知らない新隊員たちが「おぉっ!」と歓声を上げる
「残念ながら全員分はありません!」「えぇ〜」「文句は市ヶ谷に言ってくれ…」
結局、国生2士たち数名は古い戦闘靴を受領することになった
「持って帰ったらすぐに注記するんだぞ〜!」林2曹の声を聞きながら、新隊員たちは営内に帰っていった
昼休み、昼食も終わり営内の廊下を歩く国生2士と古賀2士。昼食のメニューがどうの、先輩の○○がどうのという、まぁどうでもいい話をしている
そんな時「あの〜すいませぇん」と後ろから声をかけられた。ふっと振り返る2人、そこには地味なスーツに身を包んだ女性が立っていた
年の頃は20代後半、化粧は少し濃いめ、汗くさい営内なのに香水の臭いがプンプンする。胸には名札が付いており、そこには「○×生命 工藤」と書かれている
「新しく来られた新隊員の方ですよね〜私は○×生命の工藤と申しますぅ」そう言って名刺を2人に手渡す
「あの〜保険とかって入ってますぅ?防衛庁の団体だけ?あの〜ちょっとしたアンケートに答えて頂きたいんですよぉ」一気にまくし立てるように話してくる
そして紙と鉛筆が手渡される「この紙に氏名と生年月日…あ〜住所はけっこうです。はい、どうもありがとうございます〜これはホンのお礼で…」そして袋に入った小さな飴を手渡す
「じゃ〜どうも〜ありがとうございました〜」ペコリと頭を下げて彼女は帰っていった
「いったい何だったの?」「さぁ〜?」当惑する国生2士と古賀2士だった
翌、火曜日。駐屯地のグランド(古い言い方だと「営庭」)に「ローレディ!」という声が響き渡る
小銃を構えた2人の隊員が中腰になり銃口を下に向けてゆっくり歩き始めた
30m前方には高さ1mほどの台が2つ置いてあり、2人の隊員はそれに向かってゆっくりと歩いている
鉄帽、防弾チョッキ、弾帯、そして肘当てに膝当てという完全装備の2人がある程度まで進んだとき、台の1つから人間型のシルエットをした的が起きあがってきた
反射的に銃を構える2人、しかし片方の隊員は少し動きがぎこちない。安全装置を外し、引き金を引く…カチン、という音が聞こえ、すぐにもう一つカチンという音が聞こえた。撃鉄が撃針を叩く音だ
「コラぁ!遅いぞ国生!」後ろからメガホンで怒鳴られ、慌てて振り向く国生2士。怒鳴っているのは3小隊の片桐2曹だ
「次、準備!」そう言うと別の隊員たちが準備を始める
今日は市街地戦の訓練、ローレディという構えから素早く目の前の標的を撃つ訓練だ。だがこういった訓練が初めての国生2士始め新隊員たちは苦労している。何せ防弾チョッキを着るのも初めてなのだ
「目で見て安全装置を外そうとするからダメなのさ〜手だけでできるようにしないと」そう言うのは先ほどのバディ、具志堅士長だ
「ちょっと緊張しすぎさ〜リラックスしないと」「ふぅ…装備が重たいっす」「すぐに慣れるさ〜」
「よし、休憩!」運幹の岬2尉が言うと、隊員たちは鉄帽と防弾チョッキを銃の側に置いた。そして早速…
「ジュージャンしようぜ〜」誰かが言うと早速何人かの隊員が集まってくる。サクサクと勝負を付けて、負けた隊員と新隊員数名が自販機まで向かう
「保険屋?そりゃ勧誘だろう」缶ジュースを片手に小野3曹は事も無げに言った「生年月日さえわかったら見積は出来るからな。明日辺り『こういう保険がオススメですよ〜』って勧誘に来るぜ」
「自分はまだ入る気は無いのですが…」「若いしな、扶養家族もいないんだろ?だったら団体で充分だと思うけどな」「何だ?保険の話か?」横から入ってきたのは迫小隊長・井坂2尉だ
「若いウチに入ったら保険料も安くなるしな〜なんだったらいいところ紹介するぜ?」「それって奥さんのところでは?」小野3曹が突っ込む
「いやまぁそうなんだけどさ〜やっぱり保険ってのは大事さ。世の中何があるかわからんし…」長話になりそうな気配を察したのか、小野3曹が「お、もうすぐ時間ですよ。井坂2尉」と口を挟む
「あぁ、まぁ相談には乗るからさ。いつでも来なよ」そう言って立ち去る井坂2尉
「保険屋さんと個人的な知り合いの人もいるからな。額面通りに受け取るなよ」そう耳打ちする小野3曹「はぁ…わかりました」素直に頷く国生2士であった
翌、水曜日…今日は朝から弾薬庫の草刈りだ。国生2士たちは弾薬庫に入るのは初めてである
あちこちから草刈り機のエンジン音が響き、若い隊員たちが熊手で刈った草を集めていく
9月といってもやはり暑い、昼過ぎになると真夏と変わらないような日差しが襲ってくる
こんな時期に草刈りをする理由は、新着任総監の初動視察があるからだ「なんで総監が普通科連隊見に来るんだよ〜」という文句も聞かれる
「よ〜し、30分休憩〜!」今日の作業の長は補給の鈴木曹長だ。エンジン音が止まり草や泥にまみれた隊員たちが弾薬庫の外に出る
こういう休憩になると早速…「ジュージャンしようぜ〜」誰かが言ってぞろぞろと人が集まってくる
「ひぃ、ふぅ、みぃ…なんと22人か!」「負けたら痛いぞ〜これは」「負けなかったらいいんですよ」「だいたい言い出しっぺが負けるんだよな」ジャンケンする前から勝負は始まっている
「じゃ〜んけ〜ん…」ポン!と何度か勝負して、けっきょく最後に4人が残った。その中には…「教育隊から負けたこと無かったんですけど…」国生2士も残っている
「そんなん知らんよ〜」「そうそう、負けるときは負けるもんさ」「負け始めたら長いぞ〜」すでに勝った連中は好き放題な事を言う
「じゃ〜んけ〜ん…」ポン!と出したその手は…
「あぁ…2500円が…」自販機に吸い込まれていく1000円札を見て、ガックリと落ち込む国生2士「ま、こういう日もあるさ」隣で古賀2士が笑いながら言う
「え〜っと、ポカリが3本コーラが5本…」メモ帳を見ながらボタンを押していく。ある程度買ったら一緒に来た新隊員が持っていくのだ
最後の1本(自分の)を買って、国生2士と古賀2士は自販機を後にする
「そういやさ〜保険屋来た?」弾薬庫の前に着いて、高いジュースを飲みながら国生2士が尋ねる
「あぁ、来たよ。なんかいろいろ勧められたっけなぁ」「オレも…でも説明がよくわからなかったな〜短期の入院がどうのとか、3大疾病がどうとか…」
「いや、ウチの部屋の先輩と保険の外交員が仲良いみたいなんだよね。でさ、合コンに誘われちゃって…」にやけ笑いをする古賀2士
「合コンに誘われたからって保険にはいるの?それって短絡的じゃね?」ちょっと困った顔の国生2士
「もちろんそれだけが理由じゃないさ、オレは少し年を食ってるし、補士だからずぅっと自衛隊にいることが前提になってるからな〜」
だから保険に入ってもそんなに損じゃない、というわけだ
「まぁ国生2士はまだ若いんだしさ、ゆっくり考えたらいいんじゃね?」「よく考えろか…」
翌、木曜日…昼休みの喫煙所。煙草を吸うわけじゃないが、自販機がここにあるので国生2士もよくここにたむろしている
するとそこに例の保険の外交員…「工藤」さんがやってきた
「どうも〜国生さん、どうです、お考えになりましたか?」顔を見るなりいきなり聞いてきた「けっこういい保険だと思うんですよ〜まだ若いから保険料も安いし…」
国生2士は手の平を前に出して話を遮る、そして言った「今は入る気はないんです、すいませんね」
残念そうな顔をする工藤さん「あら〜どうしてです?」「今はまだ必要ないので…」「若い方が保険料も安くなって…」そこでまた国生2士が話を遮る
「年を食ったら給料も上がりますし、まだ自衛隊にずっといると決まった訳じゃないんですよ」キッパリと言い放った
「そうですか〜」残念そうな顔を見せるかと思ったが「じゃ、また気が変わったら来て下さいね」そう言って頭を下げて、彼女は去っていった
「結局入らなかったのか」話を聞いていた小野3曹が言う、そしてニヤリと笑った「断り切れなかったら、俺が助け船を出してやろうと思ってたんだがな。19才なのにしっかりしてるじゃねぇか」そう言われてまんざらでもない国生2士だ、嬉しそうに鼻の頭を掻く
「意外とあっさり引き下がりましたから…」「ま、そりゃそうだ。他にもエモノはいるんだから」他の新隊員のことを言ってるらしい
「明日は宴会だが、さっそく『保険に入っておいたらよかった〜』って言うような羽目になるなよ?」
翌、金曜日…駅前のショットバー「アーティラリー」で国生2士の歓迎宴会が始まった
「それではぁ〜国生2士が今後、小隊に一日でも早く馴染めるように…乾杯!」「かんぱ〜い!」カチャン、とグラスの合わさる音がする
さっそく空になるビアジョッキ、ビール瓶、料理の皿…
国生2士も高校生の時、そして新隊員教育隊でそれなりに飲んではきたが(未成年の飲酒はホントはダメです)この人たちのペースは尋常じゃない…と思ったときには遅かった
先輩たちのペースに付き合わされ、途中から意識が朦朧としてきた…
翌朝、いや昼前に国生2士は目を覚ました。すでに太陽は高く上がっている
起きた瞬間は自分がどこにいるのかもわからなかった。どうやら営内のベッドらしい…
起きあがろうとした瞬間、猛烈な頭痛と胃の不快感が襲ってくる
(昨日はいったい…)途中から記憶が途切れている、無理に思い出そうとするとさらに頭が痛くなってくる
起きあがる努力をやめて、ベッドの上にごろんと横になった
「オレ、自衛隊でやっていけんのかな〜」思わず口に出してしまう国生2士だった
完