9月も終わろうというその日、先任が1冊の分厚い書類を手に命令会報から帰ってきた
「やっと来ましたか、待ってたんですよ〜」「あ〜待て待て、オレにも見せろよ」「え〜っと、今回はどこに屋台を置くんだ…?」書類に群がる係陸曹たち
この書類こそ、10月第1日曜日に行われる「駐屯地創立記念行事」の命令文書なのだ
全国ほとんどの駐屯地で毎年1回は行われる「記念行事」
方面総監部や師団(旅団)司令部など隷下部隊の多いところほど派手なお祭りになるが、1個連隊しかない駐屯地でもそれなりのビッグイベントだ
滅多に駐屯地に入ることの無い民間人も、この日だけは誰でも気軽に入ることができる(ちなみに陸自の観閲式や富士総火演などは招待制)
パレードや訓練展示、装備品展示や出店など、学校の文化祭みたいな一種のお祭りである
駐屯地挙げての大きな行事、命令文書も分厚くなる
この日から中隊は「記念行事」に向けて動き出すこととなった
とはいえ、命令が出てからでは間に合わない部署もある。かなり前から全力で動いているのは広報班だ
招待客の名簿作成、招待状の送付、式典や会食などの席順も大事だ
衆参両議院、知事に市町村長、県会議員に市町村議会議員、後援会の会長や会員、地元企業の社長、自衛隊OBなどなど…
駐屯地記念行事にはそれなりの地元名士が顔をそろえるのだ
そして同じく命令を受ける前から動いているのは、3科が企画し(今年は)2中隊が主力で行う「訓練展示」だ
今回の訓練展示は最近のトレンド「市街地戦闘」
ベニヤ板とオーバレイで軽易な建物を造り、その建物を占拠した敵に対し高機動車で接近、ヘリからのロープ降下、そして突入…
すでに2中隊主力で、各中隊から選抜された隊員たちが各訓練を開始している
我らが1中隊からはヘリからの降下要員に神野1曹が選ばれている。レンジャー訓練も始まっており、2中隊から多くの教官助教が抜けているからだ
そしてもう一人、突入要員として選ばれたのが…
「じゃあ赤城士長、突入までの要領はわかったか?」突入する分隊の長にあたる2中隊の陸曹が言う
「はい、え〜っと…高機動車が止まったら下車して、投降してきた敵に対して接近…飛びかかってくる相手を投げ飛ばして押さえ込むんですね?」
今回の訓練展示、最後の目玉となるのは赤城士長だ。WACが派手に動くのは見栄えがいいから…という理由だそうだ
ここ駐屯地内の体育館で、訓練展示の練習を行っている。周りには訓練展示の要員と敵役の隊員がいる
「そう、まぁ派手に見えるようにやったらいいよ。確か格闘技の経験はあるんだよな?」と1中隊の野村2曹
格闘の上級指導官でもある野村2曹は、訓練展示の格闘シーン演出を担当している
「はい、でも一番長くやってきたのは空手なんですよね」ふむ…と考える分隊長、その胸には格闘徽章とレンジャー徽章がある
「じゃあ打撃系の技も入れてみるか…」そう言って赤城士長に投げられる役の隊員を呼ぶ
「…で、お前が赤城士長に掴みかかる。赤城はそれをかわして懐に入り込み…腹に肘打ち、そのまま背負い投げして後ろ手に押さえ込む!」
さすがは格闘指導官、分隊長が見事な動きを披露して敵役の隊員を押さえ込んだ
「は〜なるほど…やってみます!」「よし、演技臭くないように最初の肘打ちは本気で打ち込んでみてくれ」それを聞いて顔が引きつる敵役の隊員
「えっ…!それは…」「大丈夫だろ、腹にsoyouでも入れとけ」陸曹階級の互助会(のようなもの)である曹友会の会報である「soyou」は、ノートほどの厚さがある雑誌である
体育館の管理室に転がっていたsoyouを何冊か腹に入れ、取りあえずやってみることとなった
「よし、じゃあいくよ」「はい!」畳の上で構えを取る赤城士長、敵役の隊員が両手を挙げて突っ込んできた
小さい赤城士長がさらに身を沈めて、突っ込んできた隊員の腹に肘を打ち込む…見事クリーンヒットしたように見えた
…次の瞬間「ぐえぇぇ…」声にならない悲鳴をあげて、その隊員はその場に突っ伏してしまった
「スミマセン!大丈夫ですかぁ〜!?」慌てて倒れ込んだ隊員に駆け寄る赤城士長、周りの隊員たちは大爆笑だ
「やっぱりsoyouじゃ薄いか〜誰かサンデー持ってこいよ」「鍛え方が足りねぇよ!」「強いね〜赤城士長は」さすがこの状況にも動じないのは、精強揃いの2中隊だけある
「けっこう効くもんだな、さすが中国拳法の技…」と野村2曹「さてどうするかね」ふーむと考え込む分隊長だった
ところ変わってこちらは1中隊、中隊本部…
般命を見ながらカタカタとキーボードを叩くのは田浦3曹だ
「警備要員にS×3、P×6…で、これは会食支援?なになに『糧食班経験者が望ましい』?贅沢だねぇ〜…んで、これは訓練展示…もうこれは3科から示されてるからいいか…」「田浦、うるせぇっての!」隣に座る中島1曹が文句を言う
「あ、スミマセン。声に出てました?」「ばっちりな」「いや、どうにもこうにも人員が細かくて…」
記念行事では基本的に隊員は式典参加となる。観客の座るスタンドの前に整列、連隊長の巡閲を受けて偉い人の祝辞を聞き、最後にスタンド前を観閲行進するのである
その他の隊員は駐屯地の警備や会食支援、受付、訓練展示、装備品展示、戦車や高機動車などの体験試乗etc…の勤務に分けられる
むしろ勤務以外の人間が式典に参加する、と言った方が適当かも知れない
「よし、これでOK…あとは誰を出すか、ですね」勤務員の人数をまとめて、これから運幹や先任などと誰を出すか調整することになる
「あ〜ちょい待ち田浦。出店の要員を忘れてないか?」と林2曹
「…あ、そうだった…」「運幹からはまだ指示はないけど、給養の川井2曹かオレ辺りが店長になるんじゃね?」「ですね、運幹に確認します」
記念行事や駐屯地一般開放の時には各中隊が屋台や店を出す。メニューはありきたりの焼きそばやうどん、そば、お好み焼き、ジュースなどなど…1中隊はいつも焼き鳥の店を出している
ここで稼ぎを出せば中隊の予算も暖かくなる…中隊として一番力が入るのは、この出店だったりするのである
グラウンド前に集まった若い隊員たち。そして目の前には鉄の骨組みと鉄の板
本管・施設作業小隊の間島曹長が彼らの前に立つ
「本日から金曜までの3日間、スタンド設営の指揮をとる間島曹長だ…」見た目はまるでヤクザと言われる間島曹長が前に立つと、若い連中の間に緊張が走った
グランドの端に観客が座れるスタンドを作り、その前で式典やパレードなどを行うのだ
真ん中のスタンドには連隊長のお立ち台、国旗の台、そして来賓の席。左右のスタンドは一般席、これは誰でも座れる
スタンド自体は方面の施設団が持っている物で、昨日の夕方に輸送小隊が特大のトラックで運んできたのだ
「まずは材料を卸下する。取りあえず作業の前に…革の手袋を持ってこなかった者はいるか?」支給されている軍手では作業の際、安全性に疑問がある
ほとんどの隊員は演習やこういった作業の時、私物の革手袋を使用している
「全員持ってきてるか…作業は必ず手袋をはめて行うこと。では作業かかれ!」
トラックの荷台にわらわらと人が集まる。こういった作業に狩り出されるのは、ほとんどが若い1士2士だ。チラホラと陸曹の姿も見えるが…
人数が多いためか、荷物の卸下は数分で終わった。次はスタンドの組立のにかかる
「…このポールを立てて、ここにこのタイプの鉄パイプを差し込む。そしてこの金具を使って固定する…これが土台になります」指揮するのは施設作業小隊の隊員たちだ
スタンド設置予定の場所には、基準となる糸が張られている。ここでも「直角水平一直線」だ
基点に土台となる板を敷き、スタンド設置が始まった
目の前のグランドでは訓練展示組が練習をしている
記念行事当日まであと5日だ
いっぽう、中隊本部…川井2曹と数名の陸士が段ボール箱を娯楽室に運び込んでいる
「とりあえず串は用意した、あとは皿と…」出店の準備も着々と進んでいる
焼鳥屋を開くに当たってまず準備するモノ…串や皿などの消耗品、そしてコンロに木炭、売り子のはっぴ、肉は前日に届くことになっている
準備に当たるのは全員が当日の出店要員だ「…と言ってもオレは恒常業務もあるからね〜というわけで、後は頼むよ大沼クン!」
作業の指示を与えて、川井2曹は事務室に戻っていった
「…ま、のんびりやるかね」と大沼3曹「取りあえず道具を持ってくるか。じゃあ倉庫へ行くか」
リアカーを引いて2号倉庫に向かう面々、どこの中隊も同じように屋台の準備に入っているようだ
「まさか自衛隊に入って焼き鳥を焼く事になるなんてな〜」リアカーを引きながらぼやくのは国生2士だ
「ま、そう言うな。自衛隊は何でもするからな…ところで菌検索はやったか?」食中毒予防のため、こういった食料を扱う隊員には大腸菌などの検索が義務づけられている
「やりましたよ。あのケツに棒を突っ込むのが…」「じき慣れるさ」「そんなのに慣れたくないです…」
翌、木曜日、スタンドは半分以上完成している。この調子だと明日の午前中に完成するだろう
そんな中、グランドには連隊本部の各科長、連隊旗旗手、各中隊長、そして各中隊の旗手が集まっていた
記念行事の最初には観閲式が行われる。部隊などの状況を連隊長が観閲官となり検閲する儀式だ
副連隊長が指揮官となり、その後ろに連隊本部の各科長、その後ろには連隊旗を持つ旗手、さらに各中隊の隊員がその後方に並ぶ
連隊のほぼ全員(+音楽隊など)が並ぶ中で一番目立つのが、各中隊の前に並ぶ中隊長とその後方に立つ中隊旗旗手である
さて、我らが1中隊の旗手は…
「『かしらーっ』の号令で旗を上げて…」右手に持つ赤い中隊旗を天に突き出すのは田浦3曹だ
各中隊の旗手は例外を除いて訓練陸曹が勤めるのだ
全部で7本(連隊によっては前後する)の中隊旗が号令にあわせて統制された動きをする…のが格好いいのでが、実際はそうそう上手くはいかないのである
『あ〜今度は2中隊の旗手!少し遅れたよ、しっかり号令聞いてね』スタンドに上がりメガホン片手に指示を飛ばすのは3科の運幹
行事全般の流れを確認する予行は終わり、各科長はさっさと帰ってしまった。残っているのは連隊旗旗手の曹長(防大出の幹部候補生)と各中隊長、そして各中隊の旗手だ
「旗を下ろす時にどうしても棒に引っかかるんですよね…」と田浦「絡んだら手首を少し捻ればいい、でも無理して動かすと目立つからなぁ」と中隊長
「その時は諦めるしかないんだよな」「なるほど…」各中隊長も旗手の指導に回っている
中隊旗は敬礼時の動作が大きいため、動きが揃っていないとどうしても目立ってしまう。そのためこういった行事では、中隊旗の旗手だけが何度も練習する事になってしまうのだ
『あ〜それではもう一度実施します。では各中隊長も指導よろしくお願いします』運幹の声にあわせて中隊旗手が所定の場所に並ぶ
「集中しないとなぁ…じゃ、やりますか」田浦3曹はそう呟き、中隊旗の柄を右足の横に突き立てた
一方そのころ、食堂では…
「…机の配置はこの図の通り、料理を出す屋台は…」糧食班長の指示を退屈そうな顔で聞くのは…
「毎年やる事は同じやなぁ」あくびを押し殺す井上3曹「そうなんですか?毎年こんな事してるんですか」と聞くのは古賀1士だ
食堂は記念日当日、来賓やOBなどを招いての会食場となる
来賓は地元選出国会議員や県知事、各市町村長、県議会議員や市町村議会議員、地元企業の社長や名士と呼ばれる人々だ
広報班や糧食班長が、1年のうち最も神経を使うのもがこの記念行事の日といわれている
「俺は蕎麦の屋台やって、古賀は?」「俺はドリンクコーナーです」
会食は立食パーティー形式を取り、各テーブルに簡単な料理やオードブルが並ぶ。そして会食場の周りに様々な料理を出す屋台が並ぶのだ
「そっちの方がええなぁ…なぁ古賀?酒が余ったらテキトーに持ってきてくれや。余ったヤツでええわ」
「余りますかね?」
「来賓って忙しい人ばっかりやから、意外と酒は飲まへんもんやで。けっこういい酒があるんやで〜」そう言って目を輝かす井上3曹であった
金曜日…観客席も完成し、今日の午前中は全隊員でパレード予行だ
グランドに続々と各中隊が入ってくる
とはいえ今日はまだ本番に準じた予行ではないので、音楽隊の演奏はない。行進曲などはテープで流す
連隊の各中隊、そして観客席から向かって右に駐屯地業務隊や会計隊、基地通信隊が並ぶ
『え〜それではまず、部隊入場から演練いたします。各部隊は所定の位置でスタンバイして…』アンプから3科運幹の声が流れる
観閲式・パレード行事はまず「部隊の入場」から始まる。グランド周辺で待機している部隊がドラムの音に合わせて入場してくる
そして観閲式の隊形を取る
続いて「観閲部隊指揮官臨場」連隊長が部隊を検閲するので、観閲部隊を指揮するのは副連隊長だ
そして「観閲官(連隊長)臨場・栄誉礼」そして「国旗の入場」「巡閲」「式辞」と続く
この間、中の隊員は号令や音楽に合わせて動く。動きが揃ってないと…
『あ〜3中隊の後ろのほう、ちょっと捧げ銃の動きが遅いですよー』などと指摘をされてしまう
『では10分休憩します。次は巡閲から観閲行進に移行するまでを演練します』運幹の声で一気にのんびりムードになる隊員たち
銃を足下に置いて背伸びやタバコを吸い始める
「けっこう腰に来るんだよなぁ」そう言って手を腰に当てて回す片桐2曹「列の前の方だと目立つんスよね〜」と首を回すのは須藤1士だ
「身長がデカいから仕方ねぇよ。オレなんか背が低いからいつも後ろの方だぜ?それも悲しいがなぁ」
自衛隊は行事等で整列する時、基本的に背の高い方から前に並ぶのだ。これを「身間順」という。背の低い隊員は後ろの方であまり目立たないと言うメリットがあるのだ
「一番前のオレが一番目立つんだけどね」と声を掛けてきた佐々木3尉
1個中隊6列が基準で、先頭には各幹部や小隊長が並ぶのだ。幹部の数が足りない時は准尉や曹長が入る
「しっかしこれでまだ半分も終わってねぇってのがな〜」手を組んで背伸びをする片桐2曹、それと同時に
『訓練再開します。各中隊は準備して下さい』と運幹の声が響いた
「ま、倒れない程度に頑張りますか」そう言うと隊員たちは観閲式の隊形に戻っていった
観閲官が各部隊を見て回る「巡閲」が終わり、次は観閲官と来賓の「祝辞」そして「祝電披露」と続く。しかし今日は予行なので祝辞も祝電披露も無し
そして部隊はパレードの隊形に移行する
観閲行進…パレードは通常、観閲官や観客から見て左から右に進む
スタンドの前を左から右に横切り、その途中で観閲官に対し部隊の敬礼を行う
パレードの順番はまず最初にCCVに乗った副連隊長と連隊旗、そしてパジェロに乗った各科長
続いて徒歩行進部隊(通常はナンバー中隊、そして駐屯地所在の業務隊など諸隊)、車両行進部隊(本管、重迫、対戦車中隊など車両化部隊)
そして戦闘団を構成する各職種の部隊(特科、戦車など)最後に飛行隊のヘリコプター
本番の時は音楽隊が行進曲を演奏するが、今日のところはアンプから流れるテープだ。戦車やヘリなども明日の総合予行まで来ない
特にヘリは支援任務が多く、全機揃うのは本番の時だけだ
行進曲「抜刀隊」が流れ始める。そしてスタンドの左端に立った統制員の合図でCCVがディーゼルの低いうなり声をあげた
時速10キロ程度のゆっくりした速度で、CCVとパジェロは進み始めた
「かしらー…みぎぃ!」副連隊長の号令でパジェロの助手席に立った各科長が一斉に顔を右に向けて敬礼をする
2列に並んだパジェロは一定の速度を保ち、前のバンパーを横一線にそろえたまま観閲官の前を通り過ぎていった
続いて徒歩行進、番号通りの順番で1中隊が先頭を行く
「担え〜つつっ!」中隊長の号令で隊員たちが銃を右肩に担いだ。肘の角度は90度、銃の角度は45度、中隊長と各小隊長が銃の角度が悪い者を見つけて指導する
「具志堅、ちょっと肘を引け!」「ちょっと右に銃が傾いてるぞ!」細かい修正を終えて、中隊はスタンド前まで前進する
スタンド前に引かれた白線の前で足踏みをしながら、前方の連隊本部が通り過ぎるのを待つ。そして統制員が手に持った端を振り下ろした
「前へ〜…進めぇ!」音楽のリズムに合わせて、中隊長が号令を発した。足をそろえて動き出す中隊の隊員たち
アナウンスの声が聞こえてくる『…続きまして徒歩行進部隊、先頭は第1中隊、指揮官は…』アナウンスの声は通信小隊のWAC・中村3曹だ
先頭を行く中隊長のすぐ後ろに中隊旗を持つ田浦3曹、その後ろに6列揃った中隊が付いて歩く
徒歩行進部隊で何より一番目立つのは中隊旗旗手だ
(中隊長の号令を聞き漏らさないようにしないとな〜)田浦3曹は緊張の面持ちで腕を振り、中隊長の真後ろをずれないように歩く
スタンドも1/3を過ぎ、観閲官が近くなってきた。号令をかける基準の白線を中隊長が越えた、その時
「かし〜ら〜…」中隊長の予令、と同時に田浦3曹は中隊旗を点に向かって突き上げた
「みぎぃ!」動令と同時に旗を振り下ろす。そして列の一番右端を除く中隊の全隊員が頭を右45度に向けた
そのまま音楽に合わせて観閲官の前を通り過ぎる…そして最後の白線を越えた中隊長が「なおれ!」の号令をかけ、全員の顔が前に向き直った
そのまま行進を続けグランドを出て、隊舎裏まで歩いてきたところで隊員たちは緊張を解いた
「あ〜疲れた」「ちょっと腕の振りが…」「これで終わるかなぁ?」と口々に話し始める
他の中隊も続々と隊舎裏に歩いてきた。車両部隊も全部が行進を終えたようだ
「これで予行終わりだったらいいですね」と田浦3曹が運幹の岬2尉に言う、しかし岬2尉は「甘いな田浦、どんなにうまくいっても1回じゃ終わらさないもんさ」と意味深な笑顔を見せた
と次の瞬間『え〜各中隊は10分後、先ほどの行進隊形に集合して下さい』とアンプから流れる声
田浦以下隊員たち「…orz」
予行は午前中一杯続いた
「ふ〜疲れたぁ…」午後の課業が始まった中隊本部で、田浦3曹が机に突っ伏した
「まだいいじゃねぇか、パレードで歩いたら終わるんだしさ。こっちは仕込みがけっこう大変でね」と焼鳥屋の準備をしている川井2曹が言う
と、そんな会話をしていると『状況、開始!』という声が外から聞こえてきた。そして次の瞬間、パンパン!という空砲の音が鳴り響いた
「お、訓練展示か」窓から外を見て先任が言う「どうも今回は赤城が大活躍らしいですよ」と田浦3曹
いま流行りの「市街地戦闘」が今回の訓練展示だ。グランドの真ん中には施設作業小隊力作の「家」がいくつか置いてある。パレードや音楽演奏が終わってから建材を持ってきて組み立てるのだ
柱は木、壁はオーバレイ、ドアはベニヤ板、小さな平屋一戸建てくらいの大きさで屋根はない。これが今回の訓練展示における舞台になる
「人質を取って立てこもった敵を包囲・撃滅する」というのが今回のシナリオだ
まず敵のテロリスト役が人質を連れて家に入る、そして高機動車に乗った隊員たちが地域の半周を包囲、テロリストの占拠する建物を一つ一つ掃討していく
包囲網の逆側にヘリからロープで降下したレンジャー隊員が建物に奇襲をかける。と同時に包囲網の一方からも突入・制圧
最後に突入する建物の入り口から逃げ出してきた敵を包囲、銃を捨てて投降するフリをした敵が手錠をかけようとする赤城士長に襲いかかる…そして敵を取り押さえて連行する
以上が訓練展示のシナリオだ
「だから赤城は最後の見せ場で活躍するワケです」と田浦3曹「ほぉ〜」「そりゃすごい」と感心するのは中隊本部のオジサマたち
「しかし危ない事をさせるな…失敗しない事を祈るだけだなぁ」と先任がボソリと呟いた
テロリスト役は8名、いずれも外国の迷彩服やジーパンなどで「それらしく」演出している。そろいの覆面をして一人だけが89式小銃を持っている。これは空砲を撃つためのようだ
残りはエアガンのライフルやモデルガンの拳銃などで武装(?)している
人質役は男女2名、いずれも普通の私服を着ている
そして建物を包囲している部隊は、防弾チョッキにニーパッドやエルボーパッド、そしてゴーグル…包囲する部隊の一部は盾を装備している
「どれが赤城だ?」「アレですよ、盾を持ってる部隊の中に…拳銃を持ってる隊員がいるでしょ?」盾に隠れて拳銃を構えているひときわ小さな体格の隊員が目に付く
「2中隊の猛者どもに囲まれたら、さすがの赤城も小さく見えるな」とはいえ彼女は元々そんなに大きくはないのだが…
ヘリは明日にならないと来ないので、今日は降下要員も徒歩で建物に接近している。そして突入、ドアから出てきた敵に赤城士長が接近する
次の瞬間、飛びかかってきた敵の腕を取り投げ飛ばす
そしてそのまま腕を決めて手錠をかける…そのまま敵を高機動車に乗せて、隊員たちも撤収していった
「…ほぉ〜格好いいじゃん」「なかなか派手ですねぇ!」感嘆の声を上げる中隊本部の面々だった
「や、でもあれはあれでけっこう気を遣ってるんですよぉ…力を入れすぎたらケガさせちゃいそうですし」
「でも手を抜いたら格好悪いしな」朝礼前の中隊で田浦3曹に話すのは、訓練展示に参加している神野1曹と赤城士長だ
今日は土曜日。本来なら休みの日だが、明日の記念日行事のための総合予行がある
午前中は本番に沿った行事、昼からは連隊長直々に各施設の点検に回る
「神野1曹は手の抜きようが無いでしょ?今日はヘリからリペリング降下ですよね?」「リペじゃない、今回はファスト・ロープだ」
「…マジッスか!?」「何ですかそれ?」驚く田浦3曹とキョトンとした顔をする赤城士長
ファスト・ロープとは両手両足で太いロープを掴み、そのまま滑り落ちるロープ降下の方法だ
降下用の金具にロープを通して降下するリペリングに比べ降下速度も着地してからの展開も格段に早いが、手を滑らせると真っ逆さまに転落する危険な技術でもある
「だからここ数日は練習ばっかりしてたよ…見て、この手」差し出された神野1曹の手はあちこちすり切れてボロボロになっている
「これは…」「うわぁ…」言葉を失う2人であった
昨日と同じように予行は進んでいった。今日からは音楽隊や特科・戦車・ヘリも観閲行進に参加する
10月に入っても駐屯地のある地域はまだ少し暑いくらいだ。今日は曇りがちなのがまだ救いか…
「誰か倒れないかな〜」完成したスタンドに座り不謹慎なことを口にする国生2士「ここで倒れたら格好悪いぞ」と大沼3曹
その他屋台要員や手の空いている隊員たちが同じようにスタンドに座っている
屋台や会食場、受付のテントや警備要員詰め所などの施設点検は昼からだ
「戦車が走ってるとこって初めて見ますよ〜アレって何ですか?」「ん?特科の大砲FH−70だよ。トラックでけん引して運ぶんだ」入隊して半年ちょっとの国生2士は、これが初めての駐屯地記念行事だ
「もう何度も見たから飽きたよ…それに朝霞のはもっと派手だしな」と警備要員の小野3曹
「体育学校にいた時に陸自の観閲式を見たからな。総理大臣だって目の前で見たんだぜ」「へぇ〜」感心する国生2士に「しょーがないさ、駐屯地の規模が違うしな」と軽く流す大沼3曹
「これでもこの地域じゃ大きい祭りなんだがなぁ」「デモ隊も来るらしいわ。この暑いのにご苦労さん!ってな」
行進も終わり次のプログラムは訓練展示だ
施設作業小隊のトラックが誰もいなくなったグランドに進入、手慣れた動作で『建物』を組み立てていく
ものの10分で準備が終わり、アナウンスの『状況、開始!』の声とともにラッパの音が鳴り響いた
空砲音とともに登場する敵テロリストと人質、そしてグランドの土を削りながら疾走してきた高機動車
フル装備の隊員たちが下車して展開、それと同時にグランドにヘリの爆音が近づいてきた
『皆様、左手上空をご覧下さい。降下要員を乗せたヘリが1機、近づいてまいります。このヘリは…』アナウンスの声に反応して左を見る観客たち
建物近くの上空でホバリングを始め、開かれた機体左右のドアから太いロープが投げ出された
次の瞬間、左右同時に飛び出す影…ロープをしっかり掴み、レンジャー隊員たちが滑り降りてきた。そして着地と同時に銃を構える
下に降りた2人が銃を構えるのを確認して、ヘリから銃を出して構えていた残る2人の隊員が同じように降下してきた
そしてロープを引き上げ、ヘリはグランドから去っていった…この間わずか2分だった
「お〜小隊陸曹すごいッスね!」興奮気味に話す国生2士「なんか格好いいなぁ…」「でもありゃ大変だぞ?」と大沼3曹と小野3曹
「そう言えばコブラは来ないんですね…」当初の予定では、レンジャー隊員の降下中は対戦車ヘリAH-1S「コブラ」が上空を旋回して支援する予定だったのだ
しかし、少し前に遠く離れた駐屯地の記念行事で戦闘飛行中に墜落。原因がわかるまでコブラの飛行は中止になってしまったのだ
「ニュースで見たけど、見事に落っこちてたもんな。見たかったのか?国生」「いや〜そんなにってワケじゃ…」別に軍事オタクじゃないけど、見る機会があるなら見たかったというのが本音だろう
「次はアパッチが見れるかもな」と笑う大沼3曹だった
次は音楽隊による音楽演奏
「チャイコフスキー作曲『1812年』…これってアレですか?」「そう、アレだよ」音楽隊の後ろには旧式の野戦砲「105mm榴弾砲」が4門並んでいる
人気テレビ番組で取り上げられた「大砲を使った曲」自衛隊ならでは…という事で、この曲の演奏依頼が最近増えているそうだ
とはいえ105mm榴弾砲を持つ部隊も最近は減ってきている。これから先もこの曲を演奏し続けるかどうか…
施設点検も終わり、今日はちょっと早めの終礼
「明日は0700時に朝礼、事後、各区分ごとに行動してください…え〜パレード参加組は0830武器庫開放…」
記念日行事自体は0900時に営門開放となるが、隊員たちはそのはるか前から準備があるのだ
「…こういった行事をもって我々の姿を知ってもらう事も大事である。明日は頑張っていこう!」中隊長の言葉で終礼は終わった