イブの弾薬庫

(最低の一日だな…)1530時の警衛所。今にも壊れそうなヒーターが悲鳴を上げる中、第2中隊陸士長・前野健吾は憂鬱だった
今日は12月24日、クリスマス・イブだ。しかも昨日の天皇誕生日から連隊は年末年始休暇に入っている

警衛所にいるのはくじ引きで負けた不運な隊員たち
もしくは不運な誰かと勤務を交代した隊員(当然、見返りはある)
あるいは独り身だからと、先任から勤務を命ぜられた隊員だったりする

警衛所から見える外の風景はいつもとかわらない、ように見える
でも外の世界はクリスマス・イブ。営門をくぐり外出する隊員たちも、心なしか足が軽やかに見える
天気予報は曇り、夜半頃から雨もしくは雪の可能性もあるという

「最低ですね…」思わず不満が口をついて出る「ん?何が?」警衛司令の陸曹長・小野寺政文が顔を上げる
「え、あ、いや…今晩は雪らしいですよ」「ホワイトクリスマスか…華やかなもんだねぇ」その言葉を聞いたとたん、警衛所の気温が1度くらい下がったような気がした
「その言葉は聞きたくなかったです…」前野士長はがっくりと机に突っ伏した

「あきらめが悪いな前野。長い自衛隊生活なんだから、イベントの日に警衛が回ってくることだってあるさ」50才間際の小野寺曹長は苦笑いして言う
「そりゃそうですけど…よりによってクリスマス・イブですよ?」「彼女はいないんだろ?だったらいいじゃない」「そりゃ、まぁ…」
先任もある程度気を遣ったのか、この不運な警衛のくじ引きは全部独身彼女無しの隊員だった
「司令はいいんですか?娘さんにプレゼントとか」そう聞くのは歩哨係の3等陸曹・太田淳、彼女持ちの同期と勤務を交代して警衛に付いている
「ウチは息子が2人、1人はもう防衛大に入学したからなぁ…もう一人の息子は『友達と夜通し遊ぶ』んだと」
「それって、デートじゃないですか?」「だろうな、でもそういうのを敢えて聞かないのも親の勤めさ」そう言って小野寺曹長は笑う

「はぁ〜こんなんだったら、意地でも彼女作ればよかった…」深いため息をつく前野士長
「いつまでも愚痴るんじゃないよ前野」そうたしなめるのは太田3曹だ「オレなんか12月に入ってから、彼女に振られたんだぞ」
「それも悲惨っすね…」「まだな、最初から彼女がいない方があきらめもつくってもんだ…さて、弾薬庫の交代だ。行くぞ前野」
「へ〜い」そう言って2人は席を立つ。そして前野士長は戦闘外被を着込んだ「日が暮れるから懐中電灯も持っていけ」

「弾薬庫、交代出発します」太田3曹が警衛司令に報告して、2人はジープに乗り込んだ


「コータロー、お疲れさん」弾薬庫の入り口前で太田3曹は弾薬庫歩哨の陸士長・浅木孝太郎に声をかける
「いや、やばいッスよ太田3曹。この寒さはやばいッス」ガタガタ震えながら浅木士長が哨所から出てきた

「やばいやばいって、そんな大げさだなぁ」前野士長は笑うが「いやいやケンちゃん、マジやばいよホント。ストーブいるよマジで」口調はふざけているようだが、真剣な顔をして言う
「弾薬庫に火気を持ち込んでどうすんの?」「でもマジで凍死するよ、いやマジで」「わかったから…申し送り事項は?」「特にナシ!早く警衛所に帰りてぇよ」そう言ってジープに向かう
「じゃ、頑張ってくれ。マジやばいらしいから」太田3曹は笑いながらそう言うと、ジープに乗って弾薬庫を後にした

ポツンと一人、弾薬庫に取り残される。確かに寒い、気温だけでなく心も…
弾薬庫の哨所から見えるのは味も素っ気もないデザインの隊舎と、殺風景なグランドだけだ
こんな日でも駆け足をしている隊員がいるのには驚いた、あるいは彼も不運な待機要員なのかもしれない。もしくは当直か、それともボイラー技官か、あるいは糧食班か…
しかしそんな彼も17時を前に去り、哨所から見える範囲からはカラス以外動くモノがなくなってしまった
ますます気分が滅入る、が仕事は仕事。弾薬庫にある土塁の上に上がり、見回りを開始する

高い土塁に上がると、柵の外にある街がよく見える。駐屯地自体が町はずれのやや高台にあるので、遠くの市街地までがよく見えるのだ
雲の隙間から赤い夕日が見える。日が沈むと一気に寒さが増すだろう
(雪も降るかもな)そう考えるとますます憂鬱になってしまった
街のイルミネーションが光り始める。住宅街の方にはクリスマスの飾り付けを行っている家も多い。青や赤の光がチカチカと輝いている
(ケッ!流行だか何だか知らないけど、電気代の無駄遣いしやがって…)心の中で舌打ちし、前野士長は土塁を降りた
夜になると音がよく通る。遠くの方からクリスマスソングが流れてきているのが聞こえた
(…オレ、なにやってんだろうなぁ…)白い息を吐き、空に向かってため息をつく前野士長だった


2130時…ヒーターだけでは暖が足りず、ついにストーブまで引っ張り出してきた警衛所
やはりクリスマス・イブだけあって、この時間に帰ってくる隊員も少ない

むしろこの時間から営門を出る隊員も多い。明らかに気合いの入った格好の若い陸士、珍しくスカートをはいてる連隊のWAC(名前は知らない)、プレゼントの箱を私有車の助手席に乗せていた陸曹…
どこか幸せそうな雰囲気を見ていると、なんだかムカムカしてくる「司令、営門閉めちゃいましょうよ」などと思わず口走ってしまう
「お前は何を言ってるんだ?」苦笑いする小野寺曹長「人の幸せを妬むんじゃないよ」太田3曹がたしなめる
「そうは言っても、むかつきません?俺たちがこんなところで寒さに震えてるってのに…帰ってくるヤツもいないから、差し入れだってロクに無いんですよ?」
同じ中隊などが警衛に付いていると、夜に駐屯地に帰ってくる営内者が差し入れを持ってくることも多い。餃子やファーストフード、たこ焼き、焼き鳥、コンビニおでんetc…が定番だ(夏場だとアイスも人気がある)
「それが仕事じゃねえか、諦めの悪い性格は女に嫌われるぞ…さて、そろそろ弾薬庫の交代だぞ」そう言って太田3曹は立ち上がる
「行きたくねぇなぁ…」そう呟きつつも渋々立ち上がる前野士長だった

「やばいッス、この寒さ…」浅木士長はさっきより口数が少ない。どうやらホントに寒いようだ
「ケンちゃん、防寒着持ってきた?」「もち、でもマジで寒そうだな」「ああ、マジで凍るかとおもった…」そう言うと申し送りを済ませ、長居は無用とばかりにジープに飛び乗った
「風邪引くなよ」太田3曹はそう言い残し、ジープはけたたましいエンジン音を残して去っていった

(寒い…)確かに夕方よりグッと気温が下がっている。じっとしてるとよけい寒いので、前野士長は見回りに出発することにした
土塁の上も風が吹いていて寒かったが、それでも哨所でじっとしているよりははるかにマシだった。弾薬庫はいつもと同じく異常なし
土塁の上から駐屯地を眺める。ポツポツと見える明かりは、当直室か残留者の居室か…自分以外の不運な隊員を見つけ、少しだけ嬉しくなる
さらに柵の外に目を向けると、遠い街の明かりがよく見える。雲は出ているが空気が澄んでいるのだろう
(あの明かりの下でみんな今ごろ…)そう考えると自分が惨めに思えてきた

(せっかくのクリスマスだってのに、オレは何してるんだろ?)日本全国あちらこちらでお祭り騒ぎをしてるって時に、この寒い中銃を持って土塁の上に突っ立ってる…
肺の中の空気を全部はき出すかのようなため息を一つつく、肩にどっと疲れがのしかかる…その瞬間だった


土塁の上にひらり、と白いモノが舞い降りてきた
(…?)顔を上げると冷たい感触、辺り一面が急に静かになったような気がする。天気予報通り、雪が降ってきた

(…雪か)次の瞬間、前野士長は顔をほころばせた。そして、静かに笑い始める
「…ハ…ハハ…できすぎじゃねぇか…」寒い雪の日、しかもクリスマスイブ、こんな状況で弾薬庫…もうここまで来たら笑うしかなかった
笑ってみると不思議な事に、さっきまでの惨めな気分はどこかに吹き飛んでしまった
(いいよいいよ、好きなだけ遊べよ)街の灯りを見て心の中で叫ぶ(お前らの幸せぐらい、オレが守ってやるよ!でも来年こそは…)
開き直った前野士長は、次の交代が来るまでずっと土塁の上で街の灯りを見続けていた…

翌日、下番した警衛隊の面々…彼らは少し遅めの年末年始休暇に入る
「や〜終わった終わった…」「雪のせいで銃が濡れちゃって…」銃を格納して解散する
「太田3曹はこれからどうするんですか?」「実家に帰るよ。でもこの雪だと車はちょっと危ないかもな…」
駐屯地一面にうっすらと雪が積もっている。この地域では珍しい事だ
「前野は?」「オレは…自分改造ですよ、今日から!」「?」
警衛明けとは思えないほど力のこもった目をしている「今日から、来年のクリスマスまでに彼女を作るんです!」
「…今日から?」ポカンとする太田3曹を尻目に、前野士長は意気揚々と引き上げていった

「…アイツは何を言ってるんだ?」「さぁ〜寒さにやられたんじゃないスか?」太田3曹と浅木士長が頭を捻る
「弾薬庫で何か思うところがあったんだろう。まぁ若い連中が何かを頑張るってのはいい事さ」
小野寺曹長はどこか満足げな目をして、前野士長を見送っていた…


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