911狂想曲 前編

『…ここNYの世界貿易センタービル跡地、いわゆるグラウンド・ゼロでは1機目の突入に合わせた午前8時45分…』
ここは生活隊舎の当直室、点呼前の中途半端な時間にテレビを見ているのは田浦3曹と松浦士長だ
中隊の3/4が演習に行っている中、当然ながら営内もあまり人の気配がない
9時前の清掃も終わり点呼は2150…それまでは当直としても特にやることがなく、二人してNHKのニュースを見ているのだ
「そうか…今日は9月11日かぁ〜」感慨深そうに言う田浦3曹「なぁ松浦、このテロの時は何してた?」
読んでいた雑誌から目を上げる松浦士長「中学生でしたよ」
それを聞いて「はぁ〜」と息を漏らす田浦3曹「オレも年を取ったなぁ…」
「田浦3曹は何してたんですか?」
「陸曹候補生だったな。オレは記念すべき第100期陸曹候補生なんだよ」
「またキリのいい番号ですね〜同期は誰になるんですか?」
「井上だよ。アイツとは新隊員の頃から同期で…」
そこまで言った時、当直室のドアがノックされた
「入るで〜」噂をすれば影、私服姿の井上3曹が入ってきた

「外出証返すわ…これ差し入れやで〜」そう言って手に持ったファーストフードの袋を差し出す
「あっ、ありがとうございます!」嬉しそうに受け取る松浦士長
「帰ってくるの、えらく早いな。明日の出発は早いんだったか?」外出証を受け取って田浦3曹が言う
「0600や…カンベンしてほしいわ〜」
「明日、どっかに行くんですか?」松浦士長は袋からフライドチキンを取り出している
「新しい狙撃銃が入るから、その普及教育を受けにデポ(補給処)まで行くんだよ」フライドチキンを受け取り頬張る田浦3曹
「いよいよ64式ともオサラバやなぁ…もう何年も使ってきたんやけどな〜」



『…年目を迎え、テロはますます増加の一途をたどっています。出口の見えないテロとの戦争にアメリカ国民の間からも…』
テレビからは相変わらず911同時多発テロの話題が流れている
「今日は9月11日やったか」テレビを見て感慨深く言う井上3曹
「おい井上、松浦はこの時まだ中学生だったんだと」「マジかよ…年取ってもうたなぁ〜」
先ほどの田浦3曹と同じような反応を見せる井上3曹に苦笑いする松浦士長だった

「そうか、もう何年前の話やろうなぁ〜」
「あの時は大変だったよな」二人とも何かを思い出したように遠い目をする
「大変?何かあったんですか?」と聞くのは松浦士長
「あぁ、大変やったぞ〜まぁ詳しくは田浦に聞いてくれ。ほな帰るわ〜」そう言って踵を返す
「おぅ、おやすみ」「おやすみなさい〜」

再び二人だけになった当直室。テレビからはニュースが流れ続けている
「…で、何があったんですか?」「え?何が?」「いや、さっき井上3曹が言ってた…」
うなずく田浦3曹「あ〜あの時の…話すと長くなるぞ」
「まだ点呼まで30分以上ありますよ」
「そうか、そうだなぁ…何から話したもんかな?」椅子の背もたれに寄りかかり、手を頭の後ろに組んで天井を見る
「オレと井上はあの時陸曹候補生だった、ってのはさっき話したな?あの日は…」そう言って田浦3曹は語り始めた



2001年9月11日(火曜日)2145…午後9時45分、中隊生活隊舎中央ロビー
「点呼終わり!」当直陸曹に敬礼をして陸士たちが営内班に帰り始める。陸曹候補生・田浦士長も部屋に戻ってきた

候補生になったので営内班を出て陸曹部屋に入った。だが扱いは陸士のままという中途半端な立場である
さっそく部屋のテレビをつけ、NHKにチャンネルを合わせる。国内外情勢もある程度覚えておかないといけないからだ
今日は定年退官者のパーティーがあるため、営内外を問わず陸曹はほとんどいない
例外は当直幹部の木島1曹に当直陸曹の村田3曹だけだ

22時からのニュースにはまだ間がある、田浦士長は自動販売機に向かった
「お〜う、お疲れぇ」そう声をかけてきたのは同じく陸曹候補生・井上士長だった
「おう…」気の抜けた返事を返して田浦士長はそのまま自販機に向かっていった

正直なところ、田浦士長は井上のことが大嫌いだった。新隊員の頃から同期で同じ教育隊の出身、自教まで同期の腐れ縁だが…
新隊員の頃からお調子者で不真面目だった
訓練だけは手を抜かなかったが、清掃や靴磨き、アイロンがけなどは「いかに手を抜いてキレイに見せるか」をとことん追求するようなヤツだ
中隊配属になっても臨時勤務や雑用を喜々としてこなす様は、端から見たら「訓練や演習などを抜け出せて喜んでいる」ようにしか見えなかった
自教でも路上教習中に道を歩く女子高生に声をかけて、教官に思いっきり絞られたこともあった
それでも本人はまったく意に介さない…
真面目な田浦士長にはふざけているような井上士長の言動態度は、同期だからこそなおさら許せなかったのだ

小銃小隊と迫小隊なので、普段の演習などに接点はないのがせめてもの救いだった



自販機でコーヒーを買ってきて、田浦士長は部屋に帰ってきた。今日も消灯延期をして勉強する予定だ
「(どんな教育でも)キリ番の期は教育が厳しくなる」のはよく言われている話、しかもよりによって「100期」だ
それに備えるため勉強は欠かせないのだ
ちょうど22時になったのかニュースが始まった。トップニュースは『小型機がNYの貿易センタービルに衝突』したというものだ
NYにある2本並んだのっぽのビル、その片方から煙が出ている映像が流れてきた。どうやらヘリからの空撮のようだ
(ドジな操縦手もいたもんだ)そう考えて椅子に座り缶コーヒーのプルトップに手を伸ばす

その瞬間だった

1機の飛行機がまるで吸い込まれるかのように、もう片方のビルに衝突した…

反対側から火柱が吹き出す。音がしない、まるで冗談みたいな光景だった

「なんだこりゃ?」一人しかいない室内で、思わず口に出してしまう
テレビのキャスターも混乱しているのか「これは(1機目がぶつかった時の)VTRですか?」と現地のレポーターに聞いている
テレビの画像は相変わらず2本のビルを写している
後ろの空が青い、どうやら現地は朝のようだ

数十分後…他局も次々と番組が報道特番に切り替わる。アメリカ大統領の会見が流される
「…パレスチナの過激派組織が犯行声明を…」
キャスターの言葉に田浦士長はハッとなった

(これはテロか…?)



消灯前の22時40分…陸士たちの様子を見ようと、田浦士長は迫小隊の営内班に入った
「お疲れ様で〜す!」何人か残っていた陸士たちが声をあげる
やはりテレビのニュースに釘付けのようだ「これって何事ですかね?」と聞いてくるのは同じ迫小隊の後輩、三島1士だ
「な〜んかテロらしいぞ」と田浦士長
点呼から23時の消灯まで、普段は営内班でゲームorテレビ、というのが定番だが、さすがにこんな事件がある時はゲームもできない
「なぁ田浦…」部屋の先任士長で田浦士長の先輩、飯島士長が声をかける「これって、非常呼集とかかからんのか?」
湾岸戦争に「観戦武官」として参加していたという噂のある連隊長は、師団の中でも有名な「武闘派」だ
この状況なら非常呼集をかけることもあり得る…そう思った次の瞬間

『残留者は至急、当直室前に集合!繰り返す…』当直陸曹・村田3曹の声が廊下に鳴り響いた
「まさか…」「おいおい、マジかよ…」ざわめきつつも隊員たちは営内班を飛び出した

「…で、集まってどうしたらいいんだ?」当直室前に集まった陸士たちも当惑している。が、一番当惑しているのは当直陸曹の村田3曹だ
「いや、それが…当直幹部と連絡が取れないんですよ」飯島士長始め古手陸士たちに説明する
村田3曹は曹候補学生…いわゆる曹学出身で、この7月に陸教を出たばかりなのだ
階級的には上だが、実質的な立場は1任期を過ぎた士長とあまり変わらない
営内に陸曹が他にいないわけでもない。しかしその陸曹はパーティーで飲み過ぎた(元々酒に強くない)ため、帰ってきてからずっと営内のベッドでダウンしているのである

「当直幹部って…ジメジメか」木島1曹は陰湿な性格から若い隊員たちの間で「ジメジメ」と呼ばれ嫌われている
「アイツ、逃げたんじゃね?」「まっさかぁ…」その時、当直室の電話が鳴った
それを取る村田3曹、途中で話を聞きながら「えっ?」とか「それは…」などと困惑した声を出している
電話の相手は勤務隊舎に差し出した当直陸士のようだ

そして受話器を置いて陸士たちの方向に振り向いた
「木島1曹、勤務隊舎の当直室にもいないそうです…」



「いないって、何で?」「逃げたんじゃないかぁ?」陸士たちの間で笑いが起きる
「でもこのままじゃマズイだろ?どうするよ?」そう言ったのは飯島士長だ
「しかし指示が無いことには…」困り切った感じの村田3曹「ちょっと僕も行ってきます」そう言って勤務隊舎に向かおうとする
「おい、待て待て。陸曹が誰もいないんだから、お前さんが向こうに行くのはマズイぞ」そう言うのは同じく古手士長の福永士長だ
「え〜でも…」ますます困惑する村田3曹

その騒動の中に田浦士長もいた
(この中ではオレが先任者なんだなぁ…)陸曹候補生に指定された時点で、陸士の間では序列が上になるのだ
(ここはやはり先任者が取りまとめるべきか…しかし先輩たちもいるし、勝手な判断もできないしなぁ…)
例え何もしなくても、後から文句を言われることはないと思う。非常呼集がかかったとはいえ、今の時点では出動するような事態は考えられないのだから
むしろ陸士だけで勝手な行動を取る事を嫌がる幹部・陸曹も多い
だが現状を放置するべきではないとも思う
陸曹候補生すなわち先任者としてこの場をまとめるべきか、それとも無用な口出しはしない方がいいのか…逡巡する田浦士長
しかしその時、一人の隊員が声をあげた

「しゃ〜ないっスね、オレ達で動くしかあらへんなぁ」みんなの前に出てきたのは陸曹候補生・井上士長だった
「井上?お前が?」当惑する福永士長。普段の井上士長を知ってるだけに思わず「何で?」と言ってしまう
「いや、オレと田浦がここでは先任者でしょ?誰かが指示出さなアカンのですから…ねぇ、沢田士長?」
そう言って井上士長は中隊最先任士長、沢田士長に顔を向けた。今まで後ろの方でじっと推移を見守っていた沢田士長が前に出てくる

沢田士長は中隊、いや連隊でも最古参の陸士だ。入隊は何と湾岸戦争よりも前…もうすぐ6任期満了で退職が決まっている
毎日外出できるという先任士長の権利を行使して今日も飲み屋に行っていたのだが、テレビでテロを知って「もしかしたら…」と営内に帰ってきたのだ



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