911狂想曲 後編

じっと井上士長の顔を見る沢田士長「…井上よ、勝手に指示を出して責任は取れるのか?」
ヘラヘラと笑いながらもきっぱりと言い切る「腹切る訳や無いんですから、責任くらいナンボでも取りますわ」
「…ま、よっぽどのことをしない限りは大丈夫だろ」そう言って振り返る「よぅしお前ら、動くぞ!井上の指示通りにな」
陸士達が「ハイ!」と返事を返す。全員の視線が井上士長に集中する

「よし、ほな…沢田士長、何人か連れて高機(高機動車)を動かせるように準備しとってください」そう言って次は福永士長の方を向く
「フクさん、若いの連れて補給庫からエンピ(スコップ)とか適当に準備しとってください」「何を基準に準備する?」「人命救助、災害派遣でええと思いますわ」
次は飯島士長に向き合う
「オレは何をするんだ?」「武器庫を開けといてください」「武器!?」「まぁ無いとは思うんですけど、治安出動やったら(武器が)いるでしょ?」
矢継ぎ早に指示を出す井上士長
「残りのモンは迷彩服、半長靴、テッパチ(鉄帽)、装具、背のうを準備!いつでも出れるようにして営内に待機や」
そして最後に田浦士長の方に振り向いた
「田浦!事務室で名簿使って、今すぐ出れる人間の数を数えとってくれ。たぶん3科がほしがるやろうしな」
突然の事にポカンとしていた田浦士長、急に指名されて慌てて「わ、わかった」と返事をする
「さ、ちゃっちゃとやるでー!」パンパンと手を叩く井上士長だった



勤務隊舎の事務室で名簿を相手に奮闘する田浦士長
「…操縦モス(特技)を持ってるのは…そのうちけん引モスは…」メモ帳に正の字を書いて人数のチェックを行う
「おう、どないや田浦?」事務室に顔を出したのは井上士長だ「ホンマにジメジメおらんわ、どこに行ったんやろな?」
「集計はもうすぐ終わるよ、これは3科に?」「いつでも出せるようにしとって、まだ何も言ってきてへんけどな」
そう言って適当な座席に座る。事務室にあるテレビから片方のビルが崩壊したWTCの映像が映し出されている
時間は23時20分を回っている
「補給庫も武器庫も車両もだいたい準備よし、みんな仕事が早いわ〜」と嬉しそうに言う井上士長。今まであちこちを回ってきたのか少し汗をかいている
「なぁ井上よ…」鉛筆を止めて田浦士長が顔を上げる「何で急に仕切ろうと思ったんだ?」
「何や急に?そやなぁ…」口を開こうとしたその瞬間、廊下の方から「何やってんだよ、あ〜?」という声が聞こえてきた

「おい!お前ら何やってんだよ!あ〜?」事務室に顔を出したのは木島1曹だ「勝手に車両とか動かして、おまけに武器庫まで開けてんのかよ!」
「ドコ行ってはったんですか木島1曹?」木島1曹の怒声も柳に風と受け流す井上3曹
「連隊本部に行って情報収集してたんだよ!お前ら陸士のくせになに勝手なことを…」要するに自分で何をやっていいか判断したくないので、連隊本部に逃げていたというわけだ
「非常呼集やゆうて集めるだけゆ〜わけにはいきまへんから。放置プレイを楽しむ趣味は無いんですわ」顔色も変えずにしれっと言い放つ
「…なんだと!?俺に喧嘩売って…」真っ赤な顔をしてずいと近づいてくる木島1曹、とその時

「来たぞ〜!誰か状況を説明してくれ」事務室の入り口に顔を出したのは、酔いがまだ完全に醒めてないといった顔の先任だった



おそらく2次会から直接来たのだろう、よれよれのスーツ姿が妙に似合う
先任の後ろには中隊本部の面々、そして中隊長がいる。2次会の会場からタクシーで乗り合わせてきたようだ
「え、あ、あのぅ…」言葉に詰まる木島1曹。何をしていいかわからず連隊本部に逃げていたから当然だ
「何だ?何もしてないのか?」呆れたようにいう先任。その時事務室にいた田浦士長たちと目があった
「田浦、井上。お前らは何してるんだ?」
どう説明したものか…と考える田浦士長だが、その前に傍らの井上士長が口を開いた
「誰も陸曹がおらへんかったので、自分の判断で準備をさせました」しれっと言い放つ
「…」少し考える顔をする先任、それを見て木島1曹が口を開く「お前ら、勝手な事しやがっ…」
その言葉を遮るように、先任が口を開いた

「準備状況は?車両は何台準備した?」「ジープ1両、高機3両、ドライバーも確保済みです」
「物は?」「エンピ、十字、それと人命救助システムも。いつでも出せますわ」
「陸士達はどうしてる?」「迷彩服上下、半長靴で営内班に待機させてます。人員集計は…田浦?」
慌てて名簿を差し出す「これです。取りあえず陸士だけですが…」紙を受け取る先任、後ろから訓練陸曹もやってきた

「…よし、営内者は今のまま待機させとこう。お疲れさん!後は俺たちでやるから、取りあえず営内で待機しとけ」満足そうに先任は笑顔を見せた
「さっすが陸曹候補生だな!お疲れさん、助かったよ」訓練陸曹も声をかける
「ほな帰りますわ、行こか田浦」「そうだな…では先任、居室に戻ります」

「おぅ、じゃあお前ら帰って陸士どもの…」木島1曹が何か言おうとしているが、それを聞かずに二人はさっさと帰っていった



結局何事もなく駐屯地は朝を迎える、朝の点呼が終わり食堂には長い列ができている
朝のニュースは丸ごと同時多発テロのニュースだ。飛行機突入とビル倒壊の映像が繰り返し流されている
テレビ越しに見るアメリカは混乱と悲劇、そして怒りに満ちているように見える
これからおそらく戦争になるだろう
「戦争の世紀」だった20世紀が終わり、21世紀は「テロ」で幕を開けてしまったのだ

とはいえ場末の駐屯地には何の変化もない、せいぜい警備強化と称して巡察が増えただけだ
夕暮れの涼しい風の中、駆け足を終えてサーキット場に来た田浦士長は意外な人影を見かけた
「あれ?井上…何やってんの?」「何って…ここに来て酒でも飲むんか?」
そう言って井上士長はバーベル(といっても鉄の棒にコンクリートの固まりを付けたもの)を持ち上げる

「いつも来てたっけ?」トレーニングが終わるのを待って、田浦士長は尋ねた
「まぁな、いつもメシ食ってからすぐに来てるんや」ストレッチをして肩を伸ばしながら答える井上士長
「全然知らなかった…」
「べつにええやん、オレも見せてるわけやないし」
薄暗くなったサーキット場には数人を残すのみ。懸垂や腕立て伏せ、バーベルや鉄アレイを使い思い思いに体を鍛えている

「なぁ、井上。何であの時さ、急に場を仕切ろうとか思ったんだ?」「あの時って?」「ほら、こないだのテロの時に…」
考え込む井上士長「そりゃオレらが先任者やったからや」
「それはそうだけど、やっぱり誰かの指示を待った方が…」「ん〜な難しく考えることはあらへんよ。ああいう時は待ってるより動く方がええねん」そう言って笑う
「…意外と真面目だったんだな。ああやって自分から仕切るようなタイプとは思ってなかったよ」



田浦士長の言ったその言葉に笑う井上士長「ハハハっ!そりゃそやなぁ」
そう言って田浦士長の方に振り向く「田浦は難しく考えすぎやな。初めて見たときから思とったけど」
「初めて?教育隊でか?」「いや、たぶん気付いてへんやろうけど、地連の事務所で一回会ってるんやで」
頭をひねる田浦士長「え〜?いつ…?」地連の募集事務所に行ったのは3回くらいしかない。ほとんどの場合、募集官が自宅までやってきたのだ
「ほら、7月くらいに来たやろ?」「7月…」自衛隊の話を聞くために、初めて地連に来た時だ 「あの時におったんやで?」「あの時って…」古い記憶を呼び起こす
あの時は地連の事務所に募集官が数人、そしてソファーに座っていたのが…ドレッドヘアーに派手なシャツ、膝丈のズボンにサンダル履きという変な格好の人がいたが…
「まさか、あの…」「そうや、あのドレッドヘアーがオレや」「うそぉ!」まさかこの人は自衛隊に入るまい、と思っていた相手が目の前にいた

ギャンブル好きの父に愛想を尽かして離婚した母と一緒に、井上士長は兄妹たちとともに大阪からこの地方までやってきた
高校には行かずバイト生活を続けて数年、プー太郎生活に飽きた時に「自衛官募集」のポスターを見たのが入隊のきっかけだった
数年で辞める予定だったが、思いの外この自衛隊生活が肌に合っており、射撃という自分の隠れた特技も見つけた
そこでもうしばらく残ろうと、陸曹候補生の試験を受けたのだ

「へ〜そうだったんだ…」「ま、あんまり真面目に考えるなってことやな。一応目上の人間の話は聞いとった方がええで」
入隊は同期だが、1才だけ井上士長の方が年上なのだ
「そうか…そうだな」今まで嫌っていた相手だが、少し見直した田浦士長であった



「…というわけさ。まぁあの時からジメジメは変わってなかったって事さ」田浦3曹はそう言って笑う
当直室の時計は2140…21時40分を指している
「そんな事があったんですか〜変な連隊長だったんですね」「まぁな…悪い人じゃなかったんだけど、ちょっとズレた人ではあったな」
後から聞いた話だが、師団司令部が非常呼集をかけたのは翌12日の午前3時だったという。防衛庁が警戒態勢に入ったのを受けてのことだった
「だから連隊長の判断は正しかったと言えば正しかったな」「は〜なるほど…」

21時45分、テレビからグラウンド・ゼロに鳴り響く追悼の鐘の音が聞こえてきた
「あの日からいろいろ変わったよ、この社会も自衛隊もなぁ」
北朝鮮の不審船事案以来その傾向はあったが、自衛隊の組織、装備、編成、作戦内容、訓練内容…この911を経て大きな変化があった
『市民を弾圧するための訓練!』と左翼勢力に言われ、今までタブー視されてきた市街地戦闘が大きく扱われるようになった
装甲車・軽装甲車が大量に配備され、火砲や戦車が削減され始めた
念願の特殊部隊『特殊作戦群』創設、空挺団の大幅増強、情報機関の強化などが行われた
そして『有事法制』の成立…さらには憲法改正まで議論されるようになった

「井上が明日から行く狙撃銃の講習だってそうだしな。大変な時期に陸曹になったもんだよ」苦笑いをする田浦3曹
「う〜ん、大変っすねぇ」わかったのかわかってないのか、生返事を返す松浦士長だった

「ま、今はやるべきことをやるだけさ。そろそろ点呼だな…放送をかけてくれ」「はい!」返事をして松浦士長はマイクを手にしてスイッチを入れた 「第1中隊、点呼集合!」その声が生活隊舎に鳴り響いた


〜 完 〜


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