負け犬たちの夜 前編

中隊長室から出てきた先任を待っていたのは、1科広報室の杉山准尉だった
「せ〜んに〜ん、ちょっと…」「…な、何?」連隊本部から回ってくる話は厄介ごとが多い、身構える先任だった
「そんなに身構えないでよ〜そんな厄介ごとじゃないからさぁ」苦笑いする杉山准尉「これこれ、ちょっと見て」そう言って一枚の紙を差し出す
そこに書かれていたのは「…『曹友会主催、ふれあいパーティーのご案内』?」
「そう!来週の金曜日なんだが…中隊からもたくさん参加させてほしいんだよねぇ」

自衛隊…特に陸上自衛隊は言うまでもなく男ばかりの世界である。その中でも普通科は特に女性が少なく、必然的に独身隊員や彼女のいない独り身の隊員が多くなるのだ
結婚しない限りはずっと駐屯地内で生活する営内者(ただし諸条件を満たせば営外生活も可)のまま年を取る隊員も多い。新隊員は毎年入ってくるのに、古い隊員もずっと残る…という悪循環も起きる
営内生活は水道代も食費もタダ、電気代も安く冷暖房も完備(季節や時間等で制約も多いが)古手の隊員になればなるほど雑用などからも開放され、営内の居心地が良くなる…という話もある
それに結婚すると私生活も安定し、仕事面でもプラスになる…
という事で、陸曹階級の互助組織(のようなもの)である「曹友会」が定期的に部外団体の協力を仰ぎ、独身隊員を対象に「ふれあいパーティー」「お見合いパーティー」などを開く事があるのだ

「いるでしょ?いい年して独身の古手陸曹連中が…」「そりゃいるけどね」
「今回は気合い入れて女の子をたくさん集めたんだよ〜ね、この機会に売れ残りを一掃しちゃおうよ」辛辣な物言いの杉山准尉である
「締め切りは来週月曜の1200ね、できるだけ多く参加させてよね〜」そう言って杉山准尉は去っていった



チラシを持って考え込む先任「ふ〜む、取りあえず…」そう言って周りを見渡す
課業中なので中隊本部前をウロウロしている人間は少ない。それでも数人はターゲットとなる人間がいるもので…
「おい、小野、井上」たまたま武器庫前で話をしていた二人を捕まえる。二人とも独身営内者だ
「はい?何スか?」と顔を向ける小野3曹「どないしたんですか?先任」振り向く井上3曹
「おまえら二人とも、来週の金曜はヒマか?」「来週金曜?何かあったやろか…?」そう言って事務室前の「特別勤務表」を見る井上3曹
「当直も警衛も無いし、待機要員にも入ってないっすね」と小野3曹だ
「じゃあおまえら、これに出てみろよ」そう言って手にした紙を見せる

「曹友会主催…」「ふれあいパーティー…?」顔を見合わせる二人 「二人とも独り身だろう?彼女はいるのか?」「いません」「いまへん」声をそろえて言う二人
「じゃあどうだ?一人あたま3000円だぞ」「う〜ん…」考える二人に先任が追い込みをかける
「せっかくの機会だし、曹友会も今回は力を入れてるんだ。女性の方が多いとカッコつかんだろう?」

独身隊員には「曹友会のパーティーなんて…」と敬遠する隊員も多い
「彼女くらいは部隊に頼らず見つけたい」とか「曹友会のパーティーで彼女を見つけるなんて恥ずかしい」という考えを持っている人が多いのもまた事実
「独り身の方がラク」とか「彼女くらいはすぐに見つけられる」という隊員もけっこういる
だが、本音ではやっぱり彼女が欲しい隊員も多いわけで…
自分から積極的に「ふれあいパーティー」に参加する、というのは気恥ずかしくても「先任(or小隊長or小隊陸曹etc…)に言われて」参加、というのであればメンツも立つ

「まぁ先任がそこまで言うのなら…」「しゃ〜ないっすねぇ」二人とも仕方なく…という顔をしながらもOKする 「よし!当日はオシャレしていけよ?」そう言って先任は二人の肩を叩いた

「取りあえず二人…さて、あとめぼしいヤツはいるかな?」そう言って先任は隊員の名簿に目を落とした



そんなこんなで次の週の金曜日、終礼が終わりパーティーに参加する独身陸曹たちが忙しそうに動き回る
先任が声をかけて参加を決めた隊員は10人以上になる。それだけ独り身の隊員が多いという事か…
シャワーを浴びてヒゲを剃る、基本的に短い髪の人間ばかりだが、それでも整髪料やムースなどをつけて髪型を整える
隊舎の玄関口や階段の踊り場などにおいてある鏡でそれぞれの服装をチェックする

「田浦!どや?この格好」食事を終えて生活隊舎に帰ってきた田浦3曹に声をかけるのは井上3曹だ「…それで行くのか?」と冷たい視線を向ける
井上3曹の格好はというと…グレーのスーツに黒い開襟シャツ、胸元に銀のアクセサリー、目には薄い色のサングラスだ
「…安物のホストみたいだ」「なんやと〜?」柵の中で生活してる自衛官には、時々「何を考えているんだ?」というファッションセンスを見せる人間がいる
ただ、金を賭けて気を遣っている井上3曹はまだマシな方で…「おまえ、安物のホストみたいだな〜」と声をかけてきた小野3曹は、ジーンズにTシャツという「まるで普段着」な格好だ
「あれ?小野3曹はパーティーに行かないんですか?」と田浦3曹が思わず聞いてしまうほどだ

「お疲れ〜っす、田浦3曹は行かないんですか?」3人に声をかけてきたのは7月に昇進したばかりの藤井3曹だ「オレは待機要員だし、まだ少し仕事も残ってるからね」そう言って藤井3曹をまじまじと見る
「…藤井は普通の格好だな」「へっ?はぁ」と気の抜けた返事。藤井3曹の格好はチェック模様の半袖シャツにTシャツ、下はジーパンだがビンテージもの 少なくとも前の二人よりは「常識的な」服装だ
「な〜んか俺たちが普通やないみたいやないか…」と不満そうな井上3曹であった

駐屯地の正門前にパーティー会場のホテルから来たマイクロバスが停まっている
出発時間は1800、ゾロゾロと集まってきたのは連隊の独身男が数十人…汗くささを消すためか、コロンの匂いがけっこうきつい
どこから見てもモテなさそうな小太り男から、若くてそれなりに格好いい隊員まで
各人の真剣度に差はあれど、獲物を狙う猟犬のような目をして独身男たちはマイクロバスに乗り込んでいった…



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